第五章 「夜明けの真実」

(1) 邂逅

 扉を開けると血の臭いでむせ返った。


 そこには変わらず死体の山があった。だけど僕はそれらに目を向けることもなく、ある一点に引き寄せられるように注目した。


 大広間の中央を陣取る、宴の為に持ち込まれた革張りの大きなソファ。そこに彼は座っていた。立て掛けた大剣に両手を預けて項垂れる彼は、この部屋の意匠と相まって観賞用の立派な甲冑のように見えた。


 彼は扉の前で立ち尽くす僕に気付くと、今まさに深い昏倒から目覚めたような呆けた顔を向けて、ゾッとするような低く押しこもった声色を漏らした。


「……待っていたよ、ビトー」


 虚脱する彼の手に握る大剣・ヨルムンガンド、その研ぎ澄まされた刃から血が滴るのが見えた。

 流れる赤い血は汚れた絨毯に赤く大きな染みを作り、それはとある死体たちへと点々と繋がっていた。


 首のない四つの死体。それらは広間に山積する死体とは一線を画すように、等間隔に離れて捨て置かれている。


 ペシエダ、ドンマン、ロッツ、それにゴーダン……。


 なぜ僕がそれら首のない死体の名前が分かったのか。それは彼の座るソファの前のテーブルに、ペシエダ達四人の生首が綺麗に並べられていたからだ。なぜかどの切断された生首も総じて、驚愕の表情を顔に貼り付けたまま時が止まっていた。


 だけど衝撃的な光景はそれだけじゃなかった。彼の前のテーブル以外にも、全ての棚、台座、階段、椅子、それらの上に僕が殺した仲間の首も丁寧に切り取られて並べられていたのだ。生者である僕と彼を取り囲むように、死んだ仲間の頭部は大広間の壁際から僕らを一心に見つめていた。


 退魔灯と暖炉の暖かな光に照らされた彼らの死に顔は、皮肉でも何でもなくとても穏やかに見えた。


「この首は……アルヴィン、君がやったのか?」


 周囲をぐるりと確認した僕がそう問い質すと、彼はなぜか苦笑して、撥条のイカれたソファからギシリと立ち上がった。


「……真の仲間だった。誰一人として俺の掲げた信念を疑う者はいなかった。目的地さえ定まらない無茶な冒険を続ける俺に、皆命を顧みず無償でついてきてくれた。……巷では俺は英雄と呼ばれているらしい。だけど信頼の置ける彼らがいなければ、俺は理想を声高に叫ぶ世間知らずの青二才に過ぎなかった」


 暖炉の上に並べられたいくつかの仲間の頭。彼はそれらの青白い頬を、愛おしそうに撫でて微笑んだ。


「なぜ彼らは俺に付いてきてくれたと思う? ビトー」


 彼は仲間の頭蓋から、じっと息を潜めていた僕に胡乱な眼を向ける。

 その眼は暖炉から遠い場所にいた僕にも分かるほど、邪に濁っていた。


「俺は彼らの代弁者だったからだよ。彼らは皆、いずれも優れた能力を持つ傑物だった。だが傑出していたゆえに、孤独で臆病だった。この世界では口にするのも憚られるようなこと。たとえそれが真実であったとしても、凡庸な人々はそれを事実とすることをすぐには受け入れられない。彼らはそのことを身を持って知っていた。だから彼らは世界が間違った方向へ進もうと、誰しも口を噤み黙した。それが賢い生き方だと信じて……。だからこそ彼らは俺のような存在を祭り上げる。正しいことを正しいと押し通す青く愚かな俺が死ぬことは、昔信じた彼ら自身が再び死ぬことと同じだからだ。俺が英雄になれたのは、自身の我欲を誰よりも強く願ったからに過ぎない……。ただそれだけのことなんだよ、英雄になる条件なんてものは……」


 彼は淋しそうに笑う。僕はただ黙って論説する彼を見据え続けていた。


「ビトー、君はいま滑稽に思っているんだろうね。こんなことをこんな時に平気で言う、俺の英雄という昏い性のことを……」


 その美しい顔立ちに恵まれたはずの彼の輪郭は、今はなぜかひどく歪んで見えた。まるで僕が知っている英雄とは、全く違う別人のように……。


「……ミヤと会ったんだろう? だったら今の俺が誰なのか、もう分かっているはずだ」


 君は……やっぱり……


「デグゥ……なのか?」


僕がゆっくりと、その名前がタブーであるかのように静かに呟くと、【彼】は驚くことなくただ笑った。


 かつてヒトの行く末を決める大戦を止め、今なお英雄と呼ばれて世界の希望を一身に担う男。目の前にいるその彼は、全く違う名前を呼ばれても否定することもなく不敵に笑っていた。


 それが意味することは一つ。自分がアルヴィン=フリーディングではないということを、そして自分がデグゥ=ミタラシであることを、彼は自ら認めたということだった。


 だけど――


「本当に君はデグゥなのか? だって君はあの日――」


 野盗の銃弾に倒れて……。


 そう言い掛けた僕を、彼は自分の口に人差し指を当てて、僕に黙ることを促すようなジェスチャーを取った。まるで君の話す番は終わった、これから話をするのは自分の番だと、そう僕に強制するように。


「……俺達が昔、この幽霊屋敷に入り込んだ日のことを覚えているかい? ビトー」


 大広間の中二階、黴で黒ずむ壁に掛けられていた一点の大きな絵画を見上げて、彼は懐かしさに顔を綻ばせるように言った。そこには始まりの英雄王、チェスター=クロムウェルの肖像画が未だ落ちることもなく掛けられていた。


「俺達は愚かだった。あの薄汚い孤児院にわざわざ残る為に、こんな危険な屋敷に二人だけで挑もうとしたんだから」


 背を向く彼の雰囲気からは、敵意は全く感じられない。


 だけどどうしてだろう。僕は親友であるはずの彼に気を許すことは出来なかった。


「俺達は村の大人達に無断で屋敷に忍び込み、宝があるという噂を信じて必死に探した。だけど宝は全く見つからず、亡霊レイスに追いかけられて命からがら逃げ延びた。そして俺達は何の収穫もないまま、この幽霊屋敷から手を引いた。……そんなところだろう? 君の思い込んでいるあの日の真実は」


 やはり彼は本当にあのデグゥ……。でなければ僕らしか知り得ない秘密を、目の前の彼が言えるはずがないのだから。


 だけど思い込んでいるとはどういう意味なのだろう。彼が言った通り、あの日以降僕らは幽霊屋敷に挑むことを止めた。妹のミヤを置いてはいけなかったからだ。僕はそう記憶しているが、何か間違ったことがあるのだろうか。そしてそれはミヤが死してこの屋敷に縛られていることと、何か関係があるのだろうか……。


「ビトー……その様子からすると、ミヤは君にあの事について何も言わなかったんだな。だけどそれも分かるよ。ミヤは優しい子だ、死んでもそれは変わらない。実の兄貴が狂っていく原因を自分で作りたくないんだろう。……たとえそれが、自分を見捨てた憎い相手であったとしてもな」


 ……僕が、ミヤを見捨てた?


「何を言っているんだ、僕はそんなこと……!」


 途端に感情的になる僕に、彼はなぜか鼻白むような視線を送る。


 確かに――確かに捉えようによってはそう感じるのかもしれない。僕はミヤを食わせるだけの力がなかった。最低限の生活さえ送らせることが出来なかった。それでも盗みでも何でもやれば、ミヤを死なせずに済んだのかもしれない。だけど浮浪児に染まりきれない僕はそれだけはどうしても出来ず、結局ミヤが我慢することに死ぬ間際まで甘えてしまった。それは事実だ。今では言い訳にもならない。


 だけど僕は最後までミヤの傍で彼女を看取った。凍える街の路地裏の隅で、僕は衰弱していく妹の奇跡を願い続けていた。僕は祈ることしか出来なかった。だけど決してミヤのそばを離れず、ましてや見捨てるようなことなどしなかった。だから妹を見捨てたなどと乱暴な表現をされるのは、あまりにも心外だった。


 だけど一方で僕は思う。ミヤが自身の死を運命だと受け入れているのならば、どうして彼女は亡霊レイスに成り下がってまでこの世界にしがみついているのだろうか。僕に恨みを持つのは分かる。だけどそれは天国にいる両親と会えなくするほどの強いものなのだろうか。


 その事も何も、ミヤは教えてくれなかった。ユーリカの休む部屋でミヤの存在は感じたものの、あれからプツリと気配は消えたまま姿を現すことはなかった。


 だから僕はもう一人の家族を探すことにした。死んだミヤがこの屋敷に存在するというのなら、同じくこの村で死んだデグゥもきっとこの屋敷にいる。そう僕は確信したから。そして親友のデグゥならきっと、この屋敷で起きた不可解なことを説明してくれると思ったから。だけど――


「……ビトー、君は何も知らない。俺がなぜこの男の身体を借りられているのか。なぜ俺とミヤはこの屋敷に二十年も縛られているのか。知らないからこそ君は、そうやって平気な顔で俺達の前にノコノコと出てこられるんだ。……お前は幸せ者だよ、ビトー。知らぬ存ぜぬを貫いたお陰で、お前はこの二十年を目一杯生きることが出来たんだから。だけどもう、そんな甘えは許されない。いや、俺が絶対に許さない……!」


 僕に向けて憎悪の籠もる視線を向ける彼は、僕の知るアルヴィンのものでも、まして親友だったデグゥのものでもない。ただそこにあるのは、僕という個人に暗い情念を持ち続けた、憎悪の塊というべき幽鬼の姿だった。


 彼の急変した態度で分かる。僕は許されないことをしたのだと。決して贖うことは出来ない罪を犯したのだと。


 だけど僕にはそんな記憶はない。どんなにあの日の記憶を精査しようと、僕が重大な罪を犯した事実など思い出すことは出来なかった。


 そんな混乱状態の僕に向かって、彼は何かを取り出して放り投げた。床に落ちたそれは金属音を響かせ、大理石の上を回転しながら滑っていく。


「ビトー、それを使え。それを使えば全てが分かる」


 僕の足元に転がる金属片。これは――


「……【記憶の円匙スコップ】」


 それは聖遺物アーティファクトだった。対象者の過去の記憶を掘り起こして、任意の相手にその記憶を追体験出来る究極魔法具オーバーテクノロジー。この聖遺物アーティファクトに見覚えがあったのは、採掘屋ゴーダンが片時も離さず所有していた彼の七つ道具の一つだからだ。


 その持ち主のいなくなった聖遺物アーティファクトを、僕は震える手で拾い上げた。


「君がもしこの二十年で現実を受け入れる強さを手に入れたというのなら、それを使ってあの日の真実を目の当たりにしても過去の過ちを乗り越えることが出来るだろう。……だがもしその真実に負けて心が押し潰されるようなことがあれば、君は、君自身はもう二度とこの世界に両の足をつけて立ち上がることは叶わない」


 鈍く光る銀色の円匙スコップ。その表面の金属に反射された自分の顔は、まるで死刑判決を下された囚人のようにやつれていた。


「俺はそんなものを使わなくても毎日思い出す。亡霊レイスとして記憶が断絶する度に、あの日の夢を何度も何度も、見たくないと叫んでも繰り返し拷問のように見させられる。その決して逃れられない辛さと痛みは、経験しないと分からない……!」


 ……逃げられない。


 素直にそう思った。彼は、デグゥはこの状況を作る為だけに、今まで亡霊レイスとしてこの屋敷で生きてきた。そう思えるほどに目の前のデグゥの瞳は、恨みを通り越した意思の硬さを表していた。


「……さぁ、ビトー。仮初の夢の時間は終わりだ。お前はもうあの頃のような子供じゃない。俺とは違って十分な時間を与えられ、立派な男に成長した恵まれた存在なんだ。いい加減現実を見ろ。自分がやるべきことをやれ。それが俺達が子供の頃に憎むほど憧れた、自由な大人の在り方ってもんだろう? なぁ、ビトー……!」


 僕は記憶の円匙スコップの刃先を自分の頭頂部に向ける。選択肢は一つしかなかった。彼には抗えなかった。


 カタカタと恐怖と猜疑心に震える手。その手で僕は、自分の頭の中からあの日の記憶を掬い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る