(8) 迷宮の奥に潜む闇
「なんという馬鹿者どもじゃ……!」
気付け薬と幾許かの時間によって落ち着きを取り戻したペシエダ達。
奴ら三人はお互いの認識が正しいか確認するように話を進めていくが、それらを全て聞き終える前に、ゴーダンが我慢し切れずに感情をあらわにした。
真っ赤な顔で鼻息を荒くするゴーダンに凄まれたペシエダ達は、蛇に睨まれた蛙のように一様に固まった。
「法で禁止された薬草を仲間に密売し、それらを乱用して死者を弔う宴を穢す。その上自らの怒りを鎮めさせる為、ユーリカを嬲り者にしその伴侶であるビトーを
ペシエダ達はわなわなと震えはじめた。今さら自分の行ったことを悔いているらしい。
「だが最も許せんのは己の罪を正当化する為に、よりにもよって自らの領袖を盾にしたことじゃ。しかもそれらは全て虚言ときておる」
「そ、それは嘘じゃねぇだろ。現に大将のテントにエルフ女が入ったのを女どもが見て――」
ペシエダがすかさず反論しようとすると、ゴーダンが鬼のような形相で遮った。
「馬鹿者! アルがユーリカを迎え入れたのはビトーのことで相談しに来たからに過ぎん! ユーリカは村に近づくにつれて暗くなるビトーを心配したのだ! それを荷馬車の中で察した儂が、それなら年の近いアルに相談せよとユーリカに助言した! テントの中で一晩過ごしたのは事実じゃが、それはユーリカが急に体調を崩して倒れたからだ! あの晩アルはユーリカを安静にさせた後、自分は仕事で空になった儂のテントで休んでいたんじゃ! ビトーがそれを知らんのは、モンスター共が夜襲をかけてきてドタバタした日だったからじゃろう。……それをよりにもよってアルがユーリカを略奪したじゃと? この愚か者の痴れ者が! ビトーが貴様らを殺そうとするのも無理はない!」
ゴーダンから真実を伝えられ、ペシエダは傍から見ても分かるほど狼狽えていた。
時折俺の方をチラチラと見て助け舟を求めていたが、この状況で一体俺にどうしろというのか。いくら弟のように目を掛けてきた奴でも、ここまでの誤解による失態を擁護するつもりはなかった。
「し、仕方なかったんだ! ブチ切れたソゾンのおっさんを宥めるには誰かが身体で慰める必要があった! だけどそんな娼婦みたいな役回り、ここにいる女どもは誰もやりたがらねぇ! だったらミスったビトーの身内にやらせるのが筋だろ!」
ペシエダは混乱して自分を見失い、逆ギレしたように言い返す。
「ビトーのせいで大勢死んだ! 俺だってこの身体じゃもう二度とまともな冒険には出られねぇ! なのにあいつは俺達に詫びることもしねぇで帰りの支度をせっせと始めていやがったんだ! そんなこと許されるかよ! だったらせめててめぇの女房に下の世話くらいさせなきゃ割に合わねぇだろ!」
「貴様……!」
怒りの沸点を超えたゴーダン。もはや言葉で非難することを諦め、ペシエダの首根っこを乱暴に掴み始める。老いてもなお筋骨逞しいゴーダンの膂力で、ペシエダの小柄な身体が簡単に浮き上がった。
だがすぐにゴーダンはその力を込めた手を緩めた。なぜなら俺がそれ以上の力でゴーダンの腕を制したからだ。
「……ぬ? アル、こいつらには――」
「俺達は自由という言葉に憧れた。だから冒険者になった。……そうだろ、ペシエダ?」
俺が助けに入ったと思い、安堵の顔をするペシエダ。
だがそれも束の間、俺が同時に剣を抜いたと知ると、ペシエダの顔がみるみるうちに青褪めていく。
「誰に強制されることもなく、誰の思想に寄り掛かることもなく、いついかなるときも自らが選び取った責任を翼にして、この開かれた世界を冒険する。……それが俺達の思う本当の自由。それが冒険者のあるべき姿だと、俺は信じている」
ペシエダは冷静に語る俺の迫力に押されて後ずさった。
「ビトーは確かにミスを犯した。ウィルフレン達の死に因果関係がないとは俺も思わない。彼には彼の、背負わなければならない罪があることは事実だろう。だがそれはビトー本人が自ら考えて償うべきこと。他者が寄ってたかって罰を押し付けることではない。何よりペシエダ……この遠征に来ることを決めたのは誰だ? 危険な探索班に志願したのは誰だ? 自らの命を投げ売ってでも、無辜の民を救いたいと願ったのは誰だ?」
「あ、あ、アル……」
腰砕けになって床に尻餅をつくペシエダ。何か言い訳を探しながらも、言葉にならないその姿に、本気の怯えが見て取れた。
「ウィルは自分の意思で選択した。デューイもズィンマもザザルーもゼッヴォもだ。皆が自らの選択において覚悟を貫き、自身の犠牲も厭わず薄氷を踏むような危険を引き受け、そしてその末に彼らは彼ら自身の冒険を全うした。そこに利己的な損得勘定はない。あるのは彼らの弱者を救いたいという甘く純粋で、だからこそ揺るがぬ不変の意思だけだ。なのにお前は、ウィルフレン達のその覚悟が紛い物だったと言うのか? 彼らは自身の冒険の結末を他者の不始末だと呪うような、底の浅く愚かな人間だったと? ……言ってみろペシエダ!」
剣に敵意の意思を乗せてペシエダ達に構えると、奴らは本気で斬られると思って失禁した。
俺はそれでも構えの姿勢を解かない。奴らの目を真っ直ぐ見据えて敵対の意思を伝え続けた。
「……ち、ちげぇよぉ。ウィル達も、俺達だって本当に、戦争で痛い目を見た、気の毒な奴らを救いたかったんだ……信じてくれよぉ、アルヴィン……!」
泣きべそを掻きながらペシエダは許しを請うた。他の二人もしゃくりあげながら同調した。
完全に言い逃れの戦意を喪失した三人は、嗚咽しながら懺悔の言葉を繰り返し続けた。
「……ペシエダ、それにドンマンにロッツ。俺達冒険者は誰にも縛られないという自由な道を自らの意思で選んだ。だがそれは無法が許されたというわけではない。むしろ俺達は法のもとで生きる誰よりも厳しく自分を律さねばならない。でなければ俺達が憧れた自由という名の理想郷は、自分の弱さを誤魔化す為の幻想へと容易く変貌するからだ。……自由への意志という選択と覚悟。それこそが俺達にとって世界と繋がる為の唯一の鎖。その鎖を安易に他者に預ける奴に、冒険者を名乗る資格はない」
俺はそこまで言って剣を鞘に収めると、ペシエダ達に背を向けた。
「すまねぇ、すまねぇ……」
ペシエダ達はひたすら許しを請うている。その姿はひどく幼く見えた。
こいつらも根っからの悪人ではない。それは戦時中に共に修羅場を潜ったから分かる。幾度の戦争によって歪んだ社会が、子供だったペシエダ達の純粋な心を容易く捻じ曲げた。俺だってウィルやゴーダン達と早くに出会わなければ、こいつらと同じように屈折した心を持って成長していてもおかしくはなかったのだ。
「……ふん、誰に謝っているものか」
ゴーダンの憤りはまだ治まらないらしい。だがもうペシエダ達に本気の殺気を向けるようなことはなかった。
「しかしアルよ、こやつらの話が本当だったとして……それでもやはり儂にはビトーが仲間を殺生出来るとは思えんのだがな」
「それは分かっている。俺もビトーが仲間を殺せるなんて思っていない。この遠征で会ったばかりだが、彼の人となりは理解しているつもりだからな」
ゴーダンも同意するように溜息を吐いた。
「俺達はもしかすると、この
「……どういうことじゃ?」
「ゴーダン、この館が地元の人間の間で何と呼ばれていたか知っているか?」
急に小声で話し出す俺を、ゴーダンは訝しむような眼つきで見る。
「……
この呼称は樹海の入り口に住む森番から聞いた。彼は昔アルバート村で季節労働をしていた経験があり、そのとき古参の労働者仲間からとある噂話を耳にした。それはこのクロムウェル邸に近づいた人間の尽くが、謎の失踪を遂げて二度と見つからなかったという話だった。
村の人間はなぜかその噂話に敏感に反応し、そういった事実はないと頑なに否定し続けた。だが周囲の村落に住む人間は余計怪しんで、いつしかアルバート村のクロムウェル邸を
「
「ああ。おそらく迷宮攻略が順調に進んだのもこの館の意思によるものだろう。俺達がすんなり迷宮を踏破して油断している隙に、この館は溜め込んでいた負のエネルギーを発して仲間割れが起こるように仕向けた。そして取り返しのつかない段階までパーティの内部崩壊が進んだ後、虎視眈々と狙っていた館は弱りきった俺達を残らず喰うつもりなんだ。その手法こそが今までこの
「まさかとは思うが……英雄王のか?」
チェスター=クロムウェル。この大陸の最初の覇者。始まりの英雄と呼ばれた伝説的な男。そしてこの館の真の主……。
「どうだろうな。英雄王とまで呼ばれた人間が悪霊に身をやつすとは考え難いが……。だがありえない話ではない。もしも英雄と謳われたほどの存在が悪霊になれば、いかにひ弱な人間に取り憑いたとしても酒に酔った仲間たちを殺す程度は造作もないだろう」
だとすればこの部屋で起こった惨劇。それも悪霊によるものだったのかもしれない。
「……ふん、どおりでA難度の迷宮にしては歯ごたえがないと思ったわ。初めから儂らが油断するのを狙っていたというわけか。英雄王のくせに小狡いことをしおって」
豪気にもゴーダンは幽霊屋敷の壁を玄翁で激しく叩く。今の話を聞いても微塵も怖いと感じていないらしい。
「ペシエダ達の話から推測するに、この封鎖された館にはもう俺達しか残されていないと認識していいだろう。館の外の状況も分からない今、ガルデロッサ達の救助を期待するわけにはいかない。うかつな動きは出来ないが、ここに籠もるのも得策だとは言えないな……」
俺の状況分析を聞き、ゴーダンは苦い顔をして腕を組む。
「ここにいる儂らの中で悪霊を祓う術を持っている者は誰もおらん。もしも悪霊と戦うことになれば、取り憑いた肉体ごと焼き払うしか方法はない。……アルよ、ビトーを殺せるか?」
「……やむを得ないだろう」
俺が静かに、それでも力強く呟くと、ゴーダンは沈痛な面持ちで眼を閉じる。そして重くなった口を再度開くと、
「それもまた、
ウィルの残した血痕を見て呟いた。
「とにかく今は大広間に行こう。もしかするとまだ生存者がいるかもしれない。それに――」
――
……なんだ? この頭の奥が灼かれるような感覚は……。
これは、また――
「どうした、アル!?」
突然よろめいて壁に手をつく俺に、ゴーダンが体を支えに入る。俺はすぐに立って持ち直すと、ゴーダンの手を優しく拒絶した。
「……いや、何でもない。少し疲れが溜まり過ぎているようだ」
「本当か? 顔色がすこぶる悪く見えるが……」
そうだろうと思う。これだけの痛みを無理やり我慢すれば、きっと顔面蒼白になっているに違いない。
だけど俺はあえて気丈に振る舞う。
「これだけ暗ければ誰だって顔色は悪く見えるさ。俺から見ればゴーダンの顔は死にかけの
ゴーダンは笑わない。俺の言葉を信じていないのだ。だがこの状況でこれ以上問答を続ける無意味さを彼は理解している。俺が大丈夫だと言い張る限り、ゴーダンはこれ以上追求してこないだろう。
「……行こう。立ち止まるのは、性に合わない」
俺は部屋の隅で項垂れるペシエダ達を立たせ、全員で陣形を組みながら部屋を出る。ゴーダンは頑なに危険な先頭を歩くと言い張り、俺はその意見を適切ではないと思いながらも退けることは出来なかった。
……まだ頭が割れるように痛い。
正直言って倒れそうだ。休めるものなら休みたい。だがそういうわけにはいかなかった。これ以上仲間から死者を出すわけにはいかない。そう心の中で強く思っても、頭の芯を抉るような鈍痛が引くことはなかった。
この痛みは大分前から感じていた。聖都で遠征行きが議決されたあたりだろうか。信頼する医者からはすぐに治ると言われていた。だけど樹海に入ってから痛みの間隔が短くなり、館に入ってからは痛みの強さが格段に増している気がする。
痛みの原因は分からない。だが、今は何とか館から出るまで持たせなければ……。
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