(5) 饗宴

 幽霊屋敷の一階層は完全に開放されていた。


 アルヴィン達探索班によって屋敷の内部は完全攻略され、数知れない危険なトラップは全て解除されたか破壊されたという。


 いまだ二階以上には低級霊スピリット亡霊レイスがわずかに存在しているみたいだが、一階においては退魔灯が全ての部屋と廊下に等間隔で置かれ、屋敷に居着くモンスターが寄り付くことも出来ない。もはやこの幽霊屋敷一階フロアは、遠征隊の第二の根拠地ベースキャンプとして機能していた。


 不落の迷宮においてこれは異例の事態ともいえる。迷宮ダンジョンとは本来、人間を寄せ付けない構造が自然に出来た天然の要塞なのだ。普通は迷宮ダンジョンの中を常駐キャンプにしたり、ましてや大勢での酒盛りなど出来るはずがない。こんな無茶な真似が出来るのは、遠征隊の彼らが冒険者の中でも恐れ知らずの猛者揃いだからだろう。


 僕は屋敷の正面玄関エントランスホールを通り大広間へ足を踏み入れると、昼間に探索した時とはまるで違う雰囲気に圧倒される。


 豪華で綺羅びやかな装飾と光り輝くシャンデリア。


 さすがに大理石の上に敷かれたカーペットは薄汚れているが、照明を点けただけで幽霊屋敷という認識が消えてしまいそうな感覚に陥る。皆パーティースーツにドレス姿の正装ならば、ここで貴族の晩餐会が開かれていると勘違いしてしまいそうだ。


 僕は酔い潰れたたくさんの人間の中から消えたユーリカを探す。だけどどこにも見当たらない。てっきり給仕の仕事でもしているのかと思ったけど、皆自分で酒と食べ物を用意している。


 やはりこの宴中に仕事などしている者はいないのだ。だとしたらユーリカはなぜこんな場所に一人で来ているのだろう。ユーリカは酔い潰れて管を巻く男が大嫌いだ。それに彼女はこの幽霊屋敷を未だに気味悪がっていた。たとえ一階が安全だと保障されても、怖がりの彼女が進んで近づくはずがないというのに。


 僕は歩哨していた男の言葉を思い出す。客間は確か東館の外れにあったはずだ。ソゾン達と一緒に一階は散々調べ回ったから間違いない。だけどあんな奥まった場所で何をやっているのだろう。宴なら大広間だけで充分出来るはずだが……。


 僕は賑やか過ぎる大広間をまっすぐ抜け出して、東館に続く長い廊下を歩いていく。ふと廊下の鉄格子が設けられた窓に視線をやると、雨がしとしとと降り出していることに気付いた。風もかなり強くなっている。これはもしかすると今晩中にでも嵐になるかもしれない。


 僕はユーリカの頭痛持ちを思い出す。彼女は嵐の前に必ずひどい頭痛に襲われるのだ。そうなるとユーリカは全く動けなくなる。吐き気まで催して何も出来なくなる。もしかするとユーリカは、頭痛が再発して客間で休んでいるのかもしれない。確か客間は他の部屋に比べて比較的綺麗で汚れていなかった。天幕一枚の寒いテント内で休むよりも、ボロでも外壁に守られたベッドで休む方が体の負担は軽くなると考えて……。


 そう考えながら廊下を歩いていると、前方からコツコツと大理石が響く足音が聞こえてきた。


 ……呪術師シャーマンのイェシカだ。


 腰まで届く長い黒髪が特徴の彼女は、遠征にそぐわない薄手の長衣ローブと高いヒールを身に付け、まるで王宮の廊下でも歩くかのように優雅にこちらに向かって来ていた。


「ビトー……!」


 なぜかイェシカは退魔灯に照らされた僕の顔を見て驚く。


 僕がここにいることがそんなにおかしいのだろうか。だけどすぐに思い出す。彼女もきっと、僕の噂をどこかで聞いたのだろう……。


 僕は無視される覚悟で彼女にユーリカの所在を聞く。奥の客間にいるのか静かに尋ねると、


「……行かない方が良いわよ」


 イェシカは憐れむように僕を見て呟いた。


 それ以上彼女は何も言わず、再び大理石の音を響かせて大広間へと歩いていった。


(……何なんだ?)


 僕は彼女の真意を考える。そして思い至ったのは、客間で僕に対する悪罵が飛び交っているということだった。


 客間でもおそらく酒盛りが行われているのだろう。その際に僕の取り返しの付かないミスに話が及んだ。当然僕は中傷の的にされる。それを知っている彼女は、だから部屋に向かう僕を止めた。そんなところだろうか……。


 だけど引き返すという選択肢はない。イェシカがユーリカのことに触れないということは、彼女はきっと客間にいるのだ。もしかすると僕の代わりにユーリカが責められているのかもしれない。だとしたらなおさら僕が行かなくては。


 そう覚悟を決めて歩いていると、客間の近くの廊下で異変に気付く。


(この匂い、それに……)


 僕の敏感な鼻が異臭を嗅ぎ取っていた。それに何かおかしな声が近くから聞こえる。広間で行われていた談笑とは違う、どこかタガが外れたような奇怪な笑い声……。


 僕は奥まった場所にある客間の扉の前で止まる。間違いなくこの中から、廊下に漂う異臭と異質な声がする。


(まさか……)


 胸の鼓動が早くなる。ドアノブに掛けられた手がピタリと止まった。


 ……僕も大人だ。部屋の中で行われていることには想像がつく。大の大人達が二週間も禁欲を強いられた後の宴なのだから、こんなことも当然あり得るのだろう。

 だけどユーリカはこんな場所にいるはずがない。彼女がここに来る理由などないはずだ。すぐそばに僕という伴侶がいながら、あの貞淑な彼女がそんなことをするはずが……。


 そうだ。きっと何かの間違いだろう。イェシカだってユーリカがここにいるとは言わなかったじゃないか。おそらくユーリカは別の場所にいる。もしかすると全く別の部屋で疲れて眠っているのかもしれない。そうだ。きっとそうなんだ……。


 僕は一応この中も調べないとな、と、自分自身に言い聞かせ、意を決して客間の扉を開けた。


 そして眼前に広がったのは――


 

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