(3) 悪夢

「チッ……ひでぇ埃だな」


 僕のすぐ前を歩くペシエダが、舌打ちをしながら毒づいた。彼の言う通りこの部屋に堆積する埃の量は尋常じゃない。


 一歩進むたびに多量の埃が風砂の如く舞い上がり、僕らのカンテラで灯されたわずかな視界さえ塞いでいく。この部屋は相当の年月の間、誰にも使われなかったらしい。その証拠に地面に残る足跡には、僕ら以外のものは残されていなかった。


「おーい、大将。この部屋は――」


「ああ。当たりっぽいな」


 アルヴィンは用心深く周囲に気を配りながらも、その顔に口角が上がっているのが薄闇の中見て取れた。

 この部屋に目的の聖遺物アーティファクト、【下僕王の黄金玉璽パケム・パラベルム】があることを確信したのかもしれない。


「でもよ、アルヴィン。こん中から聖遺物アーティファクトを探すのは骨が折れるで。ガラクタが多いだけでね、こん中には魔呪物カースド・アイテムが紛れこんでるかもしれん。大変な作業になるでよ」


 ソゾンの言う通りだ。部屋の中は四方の壁が見えないほど荷物で溢れかえっている。これだけの物量から目的の聖遺物アーティファクトを探し出すとなると、僕らだけではあまりにも時間が掛かり過ぎる。残された時間は限られている。残り一日や二日ではたして見つかるだろうか……。


「そうは言ってもこればかりは仕方ないだろう。散らばった探索班を集中させて、総掛かりで聖遺物アーティファクト探しに取り掛かるしかない。……アル、ガルデロッサ卿に連絡して、すぐに必要分の応援を回してもらえ」

「そうだな、ウィル……」


 アルヴィンの最古参の仲間。最も信頼を寄せていると言われるウィルフレンの意見に、彼は思案しながらも同意する。そしてくるりと振り返って僕に向くと、


「ビトー、悪いが外にいるミハル達に今のことを伝えてくれないか? そして彼女たちと一緒に一旦屋敷を出て、キャンプにいるガルデロッサにも同じことを伝えて欲しい。出来れば鑑定魔法が使える人間を多く手配するよう言ってくれ」


 そう言伝てを頼んで来た。


「……ビトー?」


 アルヴィンの声は聞こえていた。僕に向けて言っていることも分かっている。だけど僕は彼の頼みに答えられない。


 別に使いぱしりのような役を嫌がったわけじゃない。誰かがその役目をやらなければならないのなら、この中で戦力外の僕が適任だということを理解も納得もしている。


 ――


 ガラクタの山の中に埋もれながら、僕にだけは異彩を放つように見えるモノ。


 ……人形。


 僕が昔、妹のミヤにあげた人形。


 幼い彼女を慰める為、有り物のボロ布とボタンで作った薄汚れた人形。


 そして昨夜この部屋で見た少女が、大事そうに抱えていた人形……。



 やはりあれは見間違いじゃなかった。あの少女はこの部屋に存在した。窓辺から見下ろしていた冷たい視線は、間違いなく僕に向けられていたのだ……。


 僕の動揺して熱くなった脳裏に、ミヤを火葬した時の記憶がフラッシュバックする。


 ……そうだ。確かに僕はこの人形をミヤと共に燃やした。ミヤはどんなときも僕が作った人形を手放さなかった。極度の人見知りだったミヤにとって、あの人形は唯一の友達だったから。だから僕は冷たく動かなくなったミヤと一緒に、向こうの世界でも淋しくないよう人形を持たせた。


 なのになぜ、あの人形がこんな場所に……。


「――それに触れるな! ビトー!」


 アルヴィンの張り詰めた大声。


 それによって気付く。僕は無意識の内にガレキの山に登り、ミヤの人形に手を伸ばしていた。そして今まさに僕の手は、人形の柔らかい胴体を掴んでいたのだ。


 ――オニィ…チャン……。


「……え?」


 瞬間、部屋の中が暗闇に包まれる。


 何も見えない。周囲の仲間の姿はおろか、自分の手元さえ分からない。これは窓から差し込む日光が遮られたというレベルじゃない。自身の眼から光そのものを奪われた感覚だった。これは一体……


暗黒の帳ブラックカーテン……! 感染系の上級呪文か……!」


 ごく近い場所から、魔道士ウォーロックであるウィルフレンの焦りと驚愕が混じった言葉が聞こえた。


 何も見えなくなったのは僕だけじゃない。周囲の慌てた喧騒の様子から、この部屋にいる全員も同じ状況に陥ったらしい。


「みんな気をつけろッ! 魔物モンスターがいるぞッ!」


 今度は離れた場所から注意を促す怒声が聞こえてきた。あのダミ声はアルヴィン隊にいた銃使いガンマンデューイだろうか。


 魔物モンスターと聞いて僕は焦る。この状況下で攻撃などされたらひとたまりもない。だけど盲目状態は一向に自然回復する兆しがなく、仲間からの助けもすぐには期待できない。今はとにかく状況を把握して、このままやり過ごすしかない。

 

 僕は視覚が戻ることをを諦めて、自身の鋭敏な耳を研ぎ澄ます。

 並外れた聴力を持つ獣人族ベスチアの耳に、この部屋の中から微かに人間ではない気配を感じた。


「全員防御の構えを取れッ! 攻撃された場合にだけ反撃しろ! 同士討ちだけは絶対に避けるんだ!」


 アルヴィンの全員に向けた鬼気迫る命令。その指示が出された瞬間、部屋の中に薄気味悪い高笑いが響き渡る。


 ……これは亡霊レイスの声? しかも二体や三体じゃ効かない。部屋中に何重にも重なり合った笑い声が反響して、僕の敏感過ぎる耳を一方的に占領していく。信じられない数の亡霊レイスが僕らの上空に漂っているのだ。

 

 僕は直感する。ここは亡霊レイスたちの発生源。そして奴らの絶好の狩り場だったのだ。


「おいッ! 誰か抵抗魔法レジストは使えねぇのかよッ! 目が見えなきゃ反撃のしようもねェッ!」


「ウィルの兄貴、あんたが強力な魔法をぶっ放してくれよ! じゃなきゃこの状況を切り抜けるのは無理だ! 多少のダメージは構わねぇから!」


「駄目だペシエダッ! この部屋には聖遺物アーティファクトがあるかもしれない! 攻撃魔法は絶対に使うな! 分かったなウィルフレン!」


 僕らの必死な姿が見えているのか、亡霊レイスたちの嘲笑うかのようなノイズは部屋の中でさらにけたたましく木霊する。


「クソッ! 誰だ俺を攻撃してる奴はッ! 目が見えたら承知しねぇぞ!」


「ガレキの山に埋まっていた亡霊鎧リビングアーマーが何体もいるんだ! そいつらが無差別に攻撃している! 無闇に武器を振り回すなよ!」


「外にいるミハル達は何をしている! 魔法が使えないんじゃ何も出来ん!」


「ヤべぇ! 足をやられた! 誰か回復魔法ヒールを!」



 聖遺物アーティファクトが眠るはずの部屋の中は、ものの数分で阿鼻叫喚の地獄と化した。


 亡霊レイスの攻撃に加えて、同士討ちも発生しているらしい。自分が攻撃されるのを恐れて、滅茶苦茶に武器を振り回している者もいるのだ。


 僕は耳を澄ましながら身を固くする。いつ亡霊レイスの攻撃や、仲間の武器が飛んでくるか分からなかった。ひたすら自分の身を守る為に、暗黒の中で感覚を研ぎ澄ました。


「誰が残ってる! まだ戦える奴は名前を言えッ!」

「おでだ! 仲間はもう駄目だで! 二人で切り抜けるしかねぇでアルヴィン!」

「ソゾン! 互いの背中を守りながら戦うぞッ!」


 アルヴィンとソゾンの鬼気迫る咆哮が耳を劈く。

 僕には見えないが、まさにそこには生存を懸けた死闘が繰り広げられているはずだった。


 僕はいつのまにか地面に蹲っていた。もはや戦闘に参加する意思などなかった。これだけの凶悪な亡霊レイスたちを相手に、戦って生き残れる気がしなかった。


 ほんの少し前まで聞こえていた仲間たちの声も、一人、また一人と聞こえなくなっていた。獣人族ベスチアの僕には目が見えずとも分かる。彼らはこの混沌と化した部屋の中で、戦う甲斐もなく絶命していったのだ。


 震えながら地に伏していると、何かが僕の腕にぶつかって止まった。僕はその転がってきたものの感触を反射的に確かめる。


 重さはあるが柔らかい。それにほんのりと暖かい。僕は更にそれを掴んで撫で回す。そしてすぐにそれの正体に気付く。この弾力のある球体状のものは、鱗竜族ハイ・リザードの頭部だ。おそらく僕と行動を共にしていた、あの若い鱗竜族ハイ・リザードの内の誰か……。


 僕はその事実に恐怖して、ぬめつく物体を投げ捨てた。


「大丈夫か! アルヴィン殿!」


 ……どこかから響く、低く野太い声。


 不意に聞こえたのはガルデロッサ卿の焦った呼び声だった。続いて大量の人間が部屋に踏み入る足音が聞こえ、すぐに亡霊レイスたちの断末魔が耳に届く。


「……大丈夫ですか!?」


 暖かな光を額に感じて、僕は蹲りながら目を開く。


 ……視える。


 自分の足、手、身体。それら当たり前の光景が、僕の視界に現れた。

 頭を上げると、目の前には回復魔法を使う女の子がいた。彼女は呆然とする僕を無視して、必死に回復魔法を掛け続けていた。


 周囲を見渡すと、ガルデロッサ卿が応援部隊を引き連れて逃げ惑う亡霊レイス共を片っ端から駆逐していた。


 大怪我をしたのだろう。床でのたうち回る血塗れのペシエダが、数人の仲間に抑えつけられてすぐに部屋の外へ運ばれていった。



 僕はようやくこの部屋で起きた惨状を理解した。


 無事だったのは僕とアルヴィンとソゾンの三人。アルヴィン隊の三人はウィルフレンとデューイの二人が死んで、ペシエダは重傷。ソゾン隊の鱗竜族ハイ・リザード三人は、全員同士討ちで絶命していた。


「ズィンマ! ザザルー! ゼッヴォ!」


 ソゾンは動かなくなった仲間たちの亡骸を抱きかかえ、自分の持っていた回復薬を闇雲に振り掛け続けていた。だが当然彼らは動かない。死んだ者にはどんなに高価な魔法薬も効かないからだ。


 ソゾンはその当たり前の事実をようやく噛みしめると、戦闘で赤くなった鱗皮をさらに濃くさせて、肺から絞り出したような凄まじい慟哭を屋敷の中に響き渡らせた。


「ウィルフレン……」


 アルヴィンは蘇生処置を受けているウィルフレンを、唇を強く噛みしめながら見下ろしていた。


 だがあれが意味のない行為だということは僕にも分かる。なぜなら法衣ローブの上からでも分かるウィルフレンの厚い胸板には、床板が見えるほど大きな空洞が穿たれていたのだから。


 ウィルフレンはアルヴィンの最古参の仲間、義兄弟の契りを交わした特別な関係だと聞いている。ここにいる者にとっても、ウィルフレンはアルヴィンと同様、なくてはならない人物だった。だから死んでいると分かっていても、その事実が認められないのだ。


 回復術師ヒーラーの一人が蘇生処置の手を止める。そして手の施しようがないと呟くと、アルヴィンは近くにあったガレキの山を素手で殴りつけた。血が出るほど殴った拳を更に握りしめて、アルヴィンは足取り重く部屋から出て行った。


「ビトー殿、怪我はないか」


 魂が抜けたように呆然とする僕。そんな僕にガルデロッサ卿がひざまずいて尋ねる。


 ガルデロッサ卿は担架で運ぼうと言ってくれたが、僕は自分で歩ける旨を伝えて逃げるように部屋を出た。


 廊下に出るとユーリカがいた。彼女は肩で呼吸して息を切らせている。惨劇があったことを聞きつけて、危険を承知でここに駆けつけたのだろう。

 ユーリカは幽鬼のように立ち尽くす僕を人垣の中から見つけると、返り血で汚れていることも気にせず僕の胸の中に飛び込んで泣いた。


 僕も泣いていた。渇いていたはずの両の瞳から、二筋の水滴が流れていくのを感じた。


 ユーリカの優しさが身に沁みたせいもある。仲間の死が悲しかったのもある。


 だけどそれ以上に僕は、あの惨劇から奇跡的に生き延びたこと――その単純で明確な事実に、心の底から安堵していたのだと思う……。

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