(2) 月影に浮かぶ少女

 幽霊屋敷の正面玄関エントランスホールでソゾン達と別れてから、僕はユーリカの待つ簡易天幕テントに寝に帰った。


 ユーリカは昨夜から心身共に不調らしく、後方支援の仕事以外は天幕テントで休んでいる。


 無理もないと思う。本来はもうとっくに任務クエストの期限は過ぎている。本当ならば今頃帰りの荷馬車に揺られて、仕事を無事に全う出来たことにホッとしているはずなのだ。


 僕は仮にも男だから多少無理をしても健康面に問題はない。だけど女性であるユーリカには、見知らぬ土地で生活する期間を伸ばされるのは相当キツイだろう。それでも与えられた仕事はちゃんとこなすのだから気丈な女性だと思う。


 天幕テントの中で既に横になっていたユーリカ。


 彼女は僕が戻ったことも気付かずにごろりと寝返りを打って、天幕テントの隅に向かって意味不明な寝言を呟いた。どうやら悪夢を見ているらしく、白い額は寝汗でびっしょりだった。僕は彼女を起こさないようにして、細心の注意を払って汗を拭ってやる。


 ユーリカの心身もそろそろ限界なのかもしれない。彼女は遠征というものを今まで経験したことがないのではないだろうか。遠征任務という名の終わりの見えない行軍は、長引けば長引くほど心身に過剰な負担が掛かる。


 樹海の突破だけで二週間を要した。それだけでも並の冒険者なら疲労困憊になる。さらにここから聖遺物アーティファクト探しの追い込みが始まるとなれば、その蓄積された疲労はピークを迎えて限界を超えるだろう。


 これ以上この村に留まるのは危険だ。僕の勘がそう訴えていた。


 だけどあともう少し……。早ければ今夜にでも聖遺物アーティファクトは見つかるだろう。ユーリカには悪いけど、それまではなんとか踏ん張って欲しい。これを終えたら僕らは胸を張って聖都に凱旋でき、それこそ十分すぎる褒賞を貰って自由な生活を送れるのだから……。


 僕は毎日の習慣となっていた日記を書き終え、仮眠を取る前に水を飲むことにした。


 天幕テントの外に出ると暗い中、細かな霧雨がしとしとと降り、気温が著しく下がっていることに気付く。


 近くの共有テントに設置された飲用水樽。その樽から直接手のひらへ水を汲み、冷えた水を立ちながら飲もうとする。


 そこで僕は、屋敷の中からこちらを見つめる一筋の視線に気付いた。


(あれは……)


 この村に到着した初日にも感じた奇妙な視線。


 その視線の送り主の姿が、不気味な闇夜の中、偶然顔を出した月の光に照らされてはっきりと見えた。


 ……少女。


 まだ十歳にも満たないであろう小柄な少女が、地上の闇夜に紛れたはずの僕を捉えてじっと見下ろしていた。


 僕は手に汲んだ水を零す。目を凝らして屋敷の窓をしっかりと見据える。粗末なワンピースで包まれた体は見えるのに、どういわけか少女の顔だけは見えなかった。だけど少女が右手に抱えていたもの、それには見覚えがあった。


(そんな馬鹿な……)


 妹のミヤが持っていたはずの、人形……。


 どうしてそれをあの少女が持っているのだろうか。あれはミヤが死んだとき一緒に火葬されたはずだ。ミヤと共に灰となってこの世から消えたのだ。


 ……似ている人形? 


 そんなはずはない。あの左右非対称で不細工な形の人形は、幼い僕が苦心してボロ布で作りあげたものだ。あんなもの、誰が似せて作るというのか……。


「どうしたの? ビトー」


 突然肩に手を置かれ、僕は驚いて振り向く。


 ユーリカだった。彼女は僕が天幕テントから出て一向に戻らないことを不審に思ったらしい。


「あの窓に……」


 少女のいた屋敷の窓に再び目を向けると、彼女はもう消えていた。


 今はもう月が雲に覆われて、部屋の中は見えない。


「探索班も頑張るわね……。そろそろ見つかるといいんだけど、聖遺物アーティファクト


 あくびをするユーリカの視線の先には、屋敷の三階部分で移動するぼんやりとした光の群れがあった。


 おそらくあれは僕らと入れ違いで探索を任された小隊のランタンだろう。光の群れは少女がいたはずの部屋を、何事もなく素通りしていった。


「早朝に交代でしょ。ビトーもそろそろ眠ったら?」


「うん……」


 僕は硬直した顔を冷水で洗ってから、ユーリカと一緒に天幕テントに戻った。そして何も言わずに毛布の中に潜り込む。


 ユーリカは僕が疲れていると思ったのだろう。これから仕事に行く旨だけを伝えて、彼女は静かに天幕テントから出て行った。


 毛布の中で僕は思い出す。月光に曝された人影。僕の両の瞼には、窓辺に佇むあの少女の姿がこびりついていた。


 ――あれはミヤだったのか? 


 どうしてだろう。僕にはあの少女の顔だけがはっきりと見えなかった。


 だというのに僕の脳裏には、少女がまるで非難するかのように蔑んだ目付きで睨み、そして硬直した僕を恨めしそうに見下ろしている……そのように思えて仕方なかった。

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