(5) 本物の英雄のチカラ

 故・チェスター=クロムウェル公爵家の荘園邸宅マナー・ハウス


 通称・亡霊館ファントムハウスの広大な敷地内には、大邸宅を取り囲むようにいくつもの軍用天幕が張られていた。


 その迷宮攻略の為の中規模根拠地ベースキャンプは、僕がアルヴィンから新たな任務クエストの依頼を受ける前から粛々と敷設作業が行われていた。


 未だ遠征隊員全員で突貫工事中だが、少ない資材でほぼ軍の宿営地と変わらない規模の根拠地ベースキャンプが出来上がりつつあり、おそらくあと数時間もあれば立派な前線基地として機能するだろう。


 中規模根拠地ベースキャンプ完成後、僕ら遠征隊員は亡霊館ファントムハウスへ本格的な迷宮攻略に入る。


 僕は前線である聖遺物アーティファクト捜索隊に加えられ、ユーリカは後方支援する為の補給部隊に入る。だけどその前に僕ら二人は、彼ら冒険者のルールを知らなければならない。そのルールとは通常の任務クエストとは異なる迷宮攻略に臨むに当たり、隊員各人が守らなければならない規律のことだ。

 

 僕とユーリカは司令部を兼ねた一際大きな天幕テントの中で、遠征隊副隊長サブリーダーであるガルデロッサ卿から簡易的なレクチャーを受けていた。


「――まぁ、こんなものでしょうな」


 ガルデロッサ卿は短い咳払いをしてから、ギルド入会時に配られる初級教本をパタリと閉じる。


 彼はアルヴィンと同じくらい忙しい身でありながら僕らの教育係を押し付けられたというのに、嫌な顔一つせず一時間の講義を完璧に全うした。

 僕らはその事に感謝して素直に礼を言うと、ガルデロッサ卿は深い髭の奥に隠された分厚い頬を紅潮させて、重たい咳で照れを隠すように返事をした。


 僕らが教えられたことはそう難しいことじゃない。基本的なルールだ。僕もユーリカも徴兵された経験があるから、ほとんどが知っていることの再確認だった。

 

 唯一違うのは軍人ではなく冒険者としての心構え、何があっても仲間を見捨てないということだけだ。

 

 悲しいけれど僕が昔いた軍の部隊では、仲間はもとより自分の命も上官に捧げろときつく命じられていた。

 それが正しいと思うほど馬鹿じゃなかったけど、冒険者の前に軍人であるガルデロッサ卿の強い言い含め方に、僕は少なからずショックを受けた。


 いつも流されて生きてきた僕と違って、彼らは強い信念のもとに行動しているのだと……。


「最後に一つ言い忘れていた」


 演壇に立つガルデロッサ卿は、席を立とうとする僕らに鋭い視線を送る。


「今回の迷宮攻略に限っては特別に気をつけねばならないことがある。我らは第二次遠征隊本隊が派遣される三日後以内に、目的の聖遺物アーティファクトを確実に確保せねばならないのだ」


「……え? 三日って、かなり短くないかしら?」


 ユーリカは隣りにいる僕をまじまじと見て言った。


 僕もそう思う。三日はあまりにも短すぎる。本来天然の要塞となった迷宮ダンジョンの攻略には数ヶ月、こういう人工物の建物でも最低数週間は掛けるはずだ。


 その上で攻略を続行するか撤退するかを決め、迷宮ダンジョンによっては本格的な攻略に年単位で臨むものもある。


 三日であの亡霊館ファントムハウスを、それも秘匿された聖遺物アーティファクトを見つけ出すなど、いくら歴戦の冒険者であるアルヴィン達でも無謀な気がする……。


「貴殿らが不可解に思うのも致し方ない。だがそれには当然理由がある」


 ガルデロッサ卿は僕らの戸惑いを察して、重い溜息と共に言葉を挟む。


聖遺物アーティファクトを使っての和平協定を進言したのは、誰でもない我らがアルヴィン殿だ。聖王陛下はアルヴィン殿をいたく信頼しておられる。大戦を止めた英雄であるアルヴィン殿であるからこそ、陛下は和平協定を結ぶことをお認めになられたのだ。だが宮中にはそのことを快く思わない輩もいる。連邦国との平和的解決を認めず、恒久的に諸外国を支配し搾取したい連中は、国内外に有象無象いるからな。そういった奴らはどんな手を使ってでも、聖王国と連邦国の和平協定を結ばせたくないのだ」


 ガルデロッサ卿は鬼のようなしかめっ面で、仮想敵を見做した宙を睨みながら話していく。


「明後日に到着するはずの第二遠征隊からは土木工事の為の人夫だけでなく、軍部から送り込まれた監査委員の人間も少数ながらやって来る。貪官汚吏たんかんおりの息の掛かった奴らに極秘任務のことを嗅ぎ付けられれば、聖王陛下の親縁を盾にクロムウェル邸の出入りを禁じられるかもしれん。よってその前に何としても聖遺物アーティファクトを手に入れねばならん。目的の聖遺物アーティファクトさえ手に入れば後はどうとでもなる。とにかく三日以内に迷宮攻略を完遂させねばならない」


 鼻息を荒くしてガルデロッサ卿は、任務完遂を誓うように聖王の抽象絵にうやうやしく礼拝した。


 どうやら僕が想像していた以上に受けた仕事は責任の重い任務クエストのようだ。アルヴィンが僕のような者にさえ頼るのは、こういう切迫した事情があったからなのだろう。


「ま、そう固くなるなよビトー」


 いきなり肩を組まれてびっくりした。


 反射的に横を見ると、僕の引き攣った顔を見て笑っているアルヴィンが隣にいた。いつのまにか天幕テントの中に入って会話を聞いていたらしい。


「後方支援の指揮には聖王国バルハイムの宿将と呼ばれたガルデロッサ。さらに根拠地ベースキャンプの詰め所には常時二十名以上のA級ライセンス保持者である冒険者を置いて手厚いサポートをさせるんだ。これだけ豪華な支援体制はどんな金持ち貴族の道楽クエストにだってない。俺達が多少無茶な潜行をして急いだって、すぐに救援部隊が駆けつけるから問題はないだろう。屋敷も見たところそんなに広くないし、二日もあれば十分攻略可能だって」


 アルヴィンは全く心配はないと言うようにからからと笑う。


 確かにそうなんだろう。遠征隊の皆は信頼できるし何より優秀だ。だけど絶対とは言い切れない。ただでさえあの幽霊屋敷は危険な場所だというのに、時間も制限されているとなるとかなり厳しいんじゃないのか……。


「ビトー、俺達【夜明けの女神アストラ・アウラ】がちまたの冒険者の間でなんて呼ばれているか知っているか? ……夢見る現実主義者リアリスト・ドリーマーさ」


 アルヴィンは自分で言って、自分で笑った。


「俺達だってあからさまに無謀なことには手を出さない。これはイケると思ったら全力でやりきるだけだ。それが周りには蛮勇と見える時もあるのかもしれないが、何かを為すのなら絶対という言葉は時に無視しなきゃならないと思う」


 ガルデロッサ卿が同調するように唸る。


 僕にだって分からないではない。戦時中には命を顧みず特攻して、そのおかげで命拾いしたことが何度もある。


 だけど今はあの時とは状況が違う。僕はもう一人きりじゃない。ユーリカという、守らなきゃならない存在がいるんだ……。


「俺を信じろビトー。必ず【下僕王の黄金玉璽パケム・パラベルム】を見つけて和平条約を締結させる。そのために今、俺達はここにいるんだから……!」


 アルヴィンは僕の肩から腕を放して離れると、天幕テントの入り口へとおもむろに歩いていく。


 そして漆黒の闇と冷たい外気を遮る重い布のとばりを、その逞しい右手で勢いよく捲り上げた。


「……そうだろう! お前ら!」


 入り口が開かれ天幕テントの外が露わになると、そこには宵闇の中、たくさんの遠征隊隊員たちが整然と待機していた。


 誰もが本来の職種である武具装備をガッチリと身に着け、迷宮攻略への本格的な支度が完璧に整っている。


 彼らの自信に満ち溢れた顔つきから分かる。あとは作戦指揮官であるアルヴィンの号令を待つだけだった。


「聞けッ! 恐れ知らずの戦友たちよ!」


 アルヴィンの闇夜の天を衝く厳かな咆哮に、仲間たちの顔から浮ついた表情が消えていく。

 彼らはリーダーであるアルヴィンの激励に、静かに耳を傾け始めた。


「これから俺達は英雄王の寝所を荒らす! だがそれは断じて彼の築いた偉業を汚す行為じゃない!」


 いつのまにか魔法鏡でライトアップされた幽霊屋敷。そのまばゆい光に明かされた屋敷の姿を、アルヴィンは背負っていた大剣で威風堂々と指した。


「彼が振るった力を今一度呼び覚ます事は、恒久なる平和を導く為への正当なる行為だ! 俺はこの剣に誓う! 俺は英雄王の意志を継ぎ、この世界に千年の平和を約束する!」


 屋敷の正面までゆっくりと歩くアルヴィン。彼の為に仲間たちが道を譲り、人波が左右に大きく割れる。


 そしてアルヴィンは屋敷の正面玄関エントランスの前で立ち止まると、僕らに振り返って力強く叫んだ。


「この世界に真に平和を願う者は種族に拘らず俺に力を貸せ! それが永劫に続く平和への、偉大な一歩となる!」


 彼の声に宿る熱く、激しく、巨大な意思の塊。


 その底の見えない膨大な熱量が、その場にいた者の全ての魂を震わせた。


 それは冒険者になったばかりの僕も決して例外じゃない。僕もユーリカも、彼のその魂の強く輝く純粋な波動に、確かに震えるほど共鳴していた。


「全ては弱き者の盾と矛になるため……。悠久なる大地母神ユグドの下にッ!」


「「大地母神ユグドの下に!!!」」


 アルヴィンの魂を揺する咆哮。


 そして仲間たちの咆哮への復唱が、凄まじい音の波となって僕の耳を劈く。


 あまりに大きすぎるその声量の群れに、闇の森で様子を窺っていたケモノ達が恐れをなして一目散に逃げている。


 ……これが英雄の力。

 これが戦争という強大な魔物を打ち祓った者の力。

 この世でアルヴィン=フリーディングだけが持つ、誰しもを納得させうる特異な能力。

 

 この力を持って彼は、世界の命運を握る大戦を終戦へと導いたのだ。


  僕はそのとき初めて知った。


 本物の英雄と呼ばれる人間――その者の魂から産まれ出る熱く激しい鼓舞。


 それは臆病で意思が弱いただの人間でさえ、不条理に立ち向かう高潔な人間――真の勇者に一瞬で変えうることが出来るのだと……

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