(4) 打ち明けられた秘密

「ビトー、そういえば――」


 村中むらなかにまで侵食した毒樹の伐採作業中、二人一組で相方になったアルヴィンが、作業中の僕に唐突に声を掛ける。


 僕は毒樹の太い幹に振るっていた斧を止め、気になって彼に振り返った。

 

「君とユーリカは、明後日に着く第二遠征隊の荷馬車で帰るんだって?」


 アルヴィンは自ら伐採した切り株に腰掛け、水の入った皮袋に口を付けながら言った。


「ああ。僕らの仕事は終わったし、ここに居続けてても邪魔なだけだから」


 僕は再び前を向くと、下ろしていた斧を大木に向けて振りかぶった。


「邪魔だなんて……」


 アルヴィンの気遣うような溜息は、大木に食い込む斧の音で掻き消された。


 アルヴィンは、それに遠征隊の皆もそうだけど、彼らは僕らがまだアルバート村に残れるように細かな仕事を絶えず割り振りしてくれる。それはきっと仕事のなくなった僕らに、肩身の狭い思いをさせたくないからなのだろう。


 彼らのそのさり気ない心遣いは嬉しい。だけど僕とユーリカが本来やるべきことはこの村ではもうない。


 今僕らがやっている毒樹の伐採も、演習中には想定していなかった作業だ。これは遠征隊の指揮権を持つアルヴィンが、僕の為に無理やり仕事を作ってくれたから存在する。僕一人ではキツイことも承知で、誰より忙しいのに自らが相棒を名乗り出て……。


 ユーリカがしている洗濯や飯炊きの雑用も、本来の任務クエストとはかけ離れたものだ。今は人手が足りないのかもしれないけど、これらの仕事も第二遠征隊からは正式な人足が充分に派遣されて来る。進んでやる必要もない仕事なのだ。


 なぜ僕らがそういった雑事を進んで手伝っているかと言うと、大した理由ではない。帰るまで残り数日とはいえ、無駄飯喰らいと思われるのが嫌でやっているだけだ。結局は自分たちの真面目な人柄という、最後の砦のような個人的体裁を保つ為に他ならない。このまま数日をしのぎ次の遠征隊が来たら、僕らは潔く聖都に帰るつもりだった。


「確かにビトー、君が頼まれた任務クエストは完了したかもしれない。だけどまだこの村の再興作業で出来る仕事はたくさんある。もし軍と交わした契約のことを気にしているのなら、俺から上層部に掛け合って新たに契約をし直そう。失礼な言い方になるかもしれないけど、町で働くよりもここで働くほうがよっぽど良い稼ぎになるしな」


 アルヴィンは決して恩着せがましく言い聞かせないよう、注意深く、そして親切に助言する。僕はそんな彼の気配りが過ぎる姿に、あからさまに戸惑いを感じて恐縮してしまう。


「いや、ありがたいけど僕らはやっぱり帰るよ。契約のこともあるけど……実は体調があまり良くなくてね。どうもここの毒は僕らにはキツイらしい」


 咄嗟に嘘をついてしまった。別に毒の影響はさほど感じていない。風の無い日は少し息苦しいくらいで、特に問題なく過ごせている。嘘をついたのは、また流されてしまうかもしれないと思ったからだ。


 アルヴィンは結構押しが強い。このまま話していれば、また任務クエストの契約のときのように流れるままに彼に話を纏められる。


 それは決してアルヴィン達彼らと一緒に仕事をするのが嫌というわけじゃない。むしろ光栄にさえ思っている。だけど僕はこの村に留まることで精神的に良くない兆候を感じた。これからもしかすると、そのことでユーリカだけでなく、アルヴィン達にも迷惑を掛けることになるかもしれない。そう考えた僕はユーリカに相談し、契約通りここで区切りを付けるべきだと天幕テントの中で結論づけた。


「そうか、そういうことならな……」


 アルヴィンは僕の勝手な事情も知らずに肩を落とす。


 彼のその予想以上の落胆ぶりに良心が痛んだが、本当の理由を話すわけにもいかない。彼ならきっと、そんな事情も飲み込んで僕らに力を貸そうとするからだ。


 聖王国バルハイムの希望であるアルヴィン。彼が僕ら二人だけの為に時間と労力を割くべきではないのだ。彼の救いを待っている人間は、この国の内外にも数え切れないほどいるのだから……。


「ごめん、アルヴィン。こんなに君に気を遣わせてしまって……」


「それは別にいいんだ。俺が勝手にお節介を焼いているだけだから。……ビトー、実はここだけの話なんだけどな――」


 そう意味深に前置きしてからアルヴィンは、慣れない伐採から一息つく僕に小声で打ち明けた。


 そしてその告白された内容に、僕は含んでいた水に噎せて目を剥くほど驚いた。


「……え? 聖王陛下から勅令された極秘任務?」


 僕は驚きのあまり声が裏返ると、アルヴィンはぎこちない笑みを浮かべた。


「本当は民間人に教えることは重大な越権行為なんだ。だけど君に話すのは構わないだろう。事情が事情だしね……」


 どうして僕に話すのは構わないのだろうか。僕には分からないが、彼は訥々と話していく。


「君とユーリカ……外部から遠征に参加した君達二人も気付いていると思うけど、この遠征隊を構成する隊員のほとんどは軍部所属者じゃない。俺に縁のある冒険者ばかりなんだ。なのにこの遠征が軍務として受注されているのはおかしいだろ? 軍内部からわざわざ冒険者に向けて、中規模遠征という大掛かりな任務クエストを発注する必要はない。聖王陛下の勅令ならば、それこそ聖王国バルハイム軍の人材で全て賄えばいいんだから。なぜそんなややこしいことになったかには当然理由がある。……それは聖王国バルハイム軍上層部にこの遠征自体を快く思っていない人間がいること、そしてもう一つは俺達【夜明けの女神アストラ・アウラ】が迷宮攻略のプロだからさ」


「迷宮攻略……?」


「そうだ。あの丘の上に建つ無頼王の残した亡霊館ファントムハウス。あの迷宮ダンジョンを攻略する為に、俺達冒険者は派遣されたのさ」


 ここから村を挟んで反対側にある幽霊屋敷。アルヴィンは切れ長の目をそこへ向けて、そして冒険心をくすぐられたように不敵に笑った。


「【下僕王の黄金玉璽パケム・パラベルム】。そう呼ばれた強力な聖遺物アーティファクトがあの亡霊館ファントムハウスに人知れず眠っている。遥か昔、二大超大国同士が和平協定を結んだ際に使われた神聖印璽だ。これを使い盟約を結べば、互いの奸計偽計が強制的に無効化され、千年続く平和が約束されるという。世界にも二つとない、神から贈られたと言われる神聖遺物オリジナルアーティファクト、それが【下僕王の黄金玉璽パケム・パラベルム】だ」


 ……聖遺物アーティファクト


 僕らが住む世界とは全く違う世界から齎されたという、ことわりを打ち破る究極魔法具オーバーテクノロジー。これを手にした者は聖者であれ罪人であれ、世界の運命を変える権利を持つことになるという。


 あの幽霊屋敷にまさか、そこまで大層なものが隠されていたとは……。


 だけどこれで納得がいった。村の人間が幽霊屋敷に誰も近づかなかった理由に。


 噂だけは聞き知っていた学のない大人たちは皆、強すぎる力を持つ聖遺物アーティファクトの呪いを怖れたのだろう。聖遺物アーティファクトは人を幸福にする絶大な力を持つが、同時に不幸を呼び込む厄介な代物だという噂も絶えず伝えられてきたから。


「聖王陛下はその聖遺物アーティファクトを使って、征服した連邦国家と和平協定を結ぶと仰った。反旗される怖れのない協定を結んだ後、占有していた国家支配権は全て民衆に返却すると。だがその御言葉はこうも捉えることが出来る。聖遺物アーティファクトを使わなければ和平協定を結ばず、連邦国をこのまま継続支配し、最悪連邦国家全てを軍事的圧力によって強制的に解体するということ。だがそうなってしまえば行き着くところは一つだ。連邦国で生きる市民は行き場所を失い、戻る場所さえ奪われ、膨大な数の難民を生むことになる。国を追われた民衆は流浪の生活の果て、どこの土地でも厄介者扱いされ、新たな悲劇を数多く生むことになるだろう。……俺はどんなことがあっても、そんな結果になってほしくない」


 僕は大戦で連邦国に攻め込んだから知っている。あの隆盛を誇った連邦国は聖王国バルハイムの侵攻によって瓦解し、戦争責任者である首脳陣はことごとく同盟国へ逃げ出したが、見捨てられた国民は未だ国に残り続けて苦境を耐えている。


 たとえ聖王国バルハイムに国を支配されても、彼らはまだ自国の力を信じているのだ。その彼らがもし、そのしがみついていた拠り所さえ奪われたら、どれだけ深い絶望に堕とされることだろうか。僕も帰るべき家を失った孤児だったから、少なからずその苦しみを知っている……。


「ガルデロッサから聞いたよ、ビトー。君は子供の頃、あの館に入り込んだことがあるらしいじゃないか。……それも無傷で生還した」


 アルヴィンは勘違いしている。それは僕のおかげじゃない。デグゥがいたからだ。デグゥが役立つ情報を集め、勇敢な彼が僕を導いてくれた。だから臆病で無知だった僕は、あの危険な屋敷からも逃げられたのだ。


「頼みがある、ビトー。君には特殊な経験がある。それは今回の迷宮攻略にとって非常に有益なものだ。だから僕らを――」


「あの屋敷の中も案内してほしい。……そういうことかい? アルヴィン」


 僕が先回りして言うと、アルヴィンは虚を突かれたように苦笑いした。


「……察しが良くて助かるよ、ビトー」


 彼のバツの悪そうな顔に、僕は良心の呵責を感じた。


 ユーリカとの未来の為とはいえ、僕だけは私利私欲でこの村に来た。アルヴィン達もユーリカも、誰かを助けたいという思いでここにやって来たのに。


 なのに僕だけは仕事が終われば早々に帰ろうとし、ちゃっかり任務クエストの報酬金だけを受け取るつもりでいる。


 ……本当にこれでいいのだろうか? 


 断ってもアルヴィンは分かってくれる。きっと本心から僕らを笑って見送るだろう。だけど彼らの遠征の本当の意味を知って、僕はこのまま逃げ帰っていいのだろうか。


 ユーリカもきっと許してくれるだろう。だけど本当に、これで……。


「すまないビトー。帰る間際にこんなことを言って……。だけどあの亡霊館ファントムハウスは僕ら冒険者の間でも気味悪がられていてね。挑んだ冒険者の消息が誰も分からないことから、還らずの館とも呼ばれている。皆の命を預かる身としては、出来るだけ多くの安心材料が欲しいんだ」


 もしかするとこの任務クエストに僕が選ばれたのは偶然ではないのかもしれない。


 上官は僕が幽霊屋敷に入った事実をどこからか聞き知っていた。ユーリカの同行という異例が認められたのも、幽霊屋敷から生還した僕が辞退することを恐れたから。

 

 これは何の裏付けもない憶測だが、あの幽霊屋敷から生きて帰れた人間――それは冒険者も含めて僕くらいしかいないのではないだろうか……。


「アルヴィン……」


 僕は頭の中で整理できずにいた。決断出来ずにいた。だけどそんな状態でも、彼にこれだけは訊いておきたかった。


「確かに僕は子供の頃、友人と一緒にあの幽霊屋敷に入ったことがある。だけど僕らが帰れたのは子供だったからだ。冒険者の君なら当然知っていると思うけど、屋敷に潜む亡霊レイスは欲望の薄い存在をあまり感知出来ない。僕らはその特性を知っていたから何とか脱出出来たんだ。それに二十年以上も前のことだから屋敷の構造も覚えていないし、ほとんどの部屋は魔法で施錠されて入れなかったはずだ。……仮に僕が君達に同行しても、期待する案内は出来ないと思う」


 正直に述べた。ここで強がりを言っても仕方がない。二十年前僕とデグゥはあの幽霊屋敷で、何も戦果を上げることは出来なかったのだから……。


「それでもいいんだ。何も俺は君が屋敷に入ったことがあるから手伝って欲しいと頼んでいるわけじゃない。これまでの君の仕事振りが信用に値するものだったから、俺達のパーティに加わって欲しいと思ったんだ。君が屋敷に入った経験があるというのはあと付けさ。俺は現在のビトー=アルノーゼが信頼できる男だから、危険な任務クエストにスカウトしているんだ」


「だけど……」


 僕は困った。彼は僕が興奮して飛び上がりたいようなことを臆面もなく言ってくれている。


 だけどどう考えても僕とユーリカの冒険者としての実力は、彼ら一人ひとりの半分にも満たないだろう。


 とはいえ確かに迷宮攻略は少しの情報の欠如でも命取りになる。僕が行くことでほんの少しでも危険が軽減されるのならば、僕は彼らと共に行くべきなのかもしれない。


 それに民衆を救う為に僕に平気で頭を下げるアルヴィンに、嫌だとは言いづらかった。


 彼の行いは何万何十万の無辜の民を救うことを意味する。僕が拒否するということは、そういう存在を無視していることに繋がるのではないだろうか。


 そもそも僕がこうやって人並みに仕事を貰い生活できる基盤を得られたのは、大戦を終わらせた彼らのおかげとも言えるのだから……。


「……分かったよ、アルヴィン。どこまで役に立てるか分からないけど、出来る限り協力させてもらうよ」


 やっぱり拒否出来なかった。


 アルヴィンは僕の手を掴んで、力強く握手した。


「ありがとうビトー。君がついていてくれれば心強いよ」


 握った彼の手は大きく、暖かく、そしてなんて力強いんだろう。


 きっと彼は幽霊屋敷も樹海のように難なく踏破する。目的の聖遺物アーティファクトもすんなり手に入れて、あっさりと世界は平和になる。僕はそんな彼を影で支えた一般人として、胸の中で密かに誇るのもいいかもしれない。


 ……もう少しだけ。もう少しだけ辛抱しよう。


 ユーリカと家に帰るのはそれからでも遅くない。この任務クエストは危険だけど、彼と一緒なら必ず乗り越えられる。


 この仕事が終わったら、ユーリカ、僕らはきっと幸福になれるんだ……。

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