第二章 「一日目 ~明光~」

(1) 樹海を渡る船団

「もう少しで抜けるぞォ!」


 天空を厚く覆う大樹の束が、鬱蒼と茂る深緑の樹海。


 立ち込めた灰色の重い霧によって視界は奪われ、頭上にあるはずの太陽の光線は一分も差し込まない。吸い込む空気は咽るほどに濃く、肌に張り付く湿気は服の中まで水浸しにさせた。


 僕ら遠征隊が行軍する獣道を塞ぐように現れた、魔精樹トレント斑狒々まだらひひの群れ。


 狂ったように襲い掛かるそれら魔物モンスターの大群を、巨大な戦斧と長槍で次々と薙ぎ倒していく重戦士隊の面々。


 その精兵揃いの小隊を率いる副官ガルデロッサが、後方で別の魔物モンスターの群れと応戦する僕らに向けて再び咆哮を上げた。


「見えた! アルバート村だ!」


 樹上で索敵していた軽業師の数人が、南西の方角を指差して呼子笛を吹く。


 僕らは彼らの指す方角に向かって必死に藪こぎし、追いかけてくる魔物モンスター達を迎撃しながら樹海の中を走り続けた。


「早く! 早く!」


 アルバート村に先に着いていた斥候部隊。彼らは村の敷地から出てきて、僕らの後方でもたつく荷馬車の列を急かさせる。


 村に入ればモンスターは追ってこない。村と森の境界に張り巡らされた聖結界が、不浄なモンスター達を拒むからだ。


 僕はしつこく付き纏うシビレ蝶を振り払って、荷馬車と共に一目散にアルバート村に駆け入った。


「ひー! ヤバかったなァ! ……みんな大丈夫かぁ?」


 遠征隊の殿を務め最後に到着した、大剣を背負う長身痩躯の若い男。


 彼が結界内に入るやいなやそう言うと、遠征隊メンバーほぼ全員から罵詈雑言の総ツッコミが入った。

 彼はこの遠征隊のリーダーであるはずなのに、部下でもある仲間から容赦なく袋叩きにされていた。


 だけどそれも当然だと僕は思う。彼が魔物モンスターとの迎撃中に上級魔法など使わなければ、あれほど多くの魔物モンスター達と交戦することもなかったのだ。


「みんな無事だったんだからもういいだろう!」


「ふざけんな! どうしてお前はいつもルールを無視して勝手な行動を取るんだ! あれだけモンスターが寄って来るから魔法は使うなと、自分から厳命していたくせに!」


 怒り狂った仲間に羽交い締めにされ、彼は責任を取れと皆から詰め寄られている。四方八方からタコ殴りにされた彼は、土下座までして必死に許しを請うていた。


 だけど誰もが彼を本気で怒っているわけじゃない。彼だって深刻に受け取って謝罪しているわけじゃない。むしろ皆、そのやり取りをコミュニケーションとして楽しんでいる雰囲気すらある。それはきっと、たかが一回のミスでも揺るがないほど、彼のことを皆が信頼しているからなのだろう。


「良かった……! 無事だったのね、ビトー」


 振り向くと別の隊にいたはずのユーリカが、汗まみれの僕に駆け寄りながら顔を綻ばせていた。


「ああ。腕に魔精樹トレントの爪が刺さったくらいで大したことないよ。君も無事で良かった、ユーリカ」


 ユーリカはすぐに僕の腕を捲って、怪我した場所を魔法で癒やしてくれた。彼女は弓術士だけど初歩的な回復魔法も出来る。これくらいはお手の物だろう。


「私は一番守りの堅い荷車にいたから。……それよりもあまりに不注意だわ、あの人。隊を預かる身なら、もっと慎重に行動すべきだと思う」


 ユーリカは他の隊員たちと違って、本気で遠征隊リーダーの彼を怒っている。


 この中規模遠征で外部の人間は僕とユーリカの二人だけだ。僕と違って別の隊にいたユーリカは、彼の凄さがいまいち分からないらしい。だから今の彼の飄々とした態度が、すべて不誠実だと映るのかもしれない。


「そうだね、僕もそう思うよ。だけど今考えると、森の周囲で手ぐすね引いていたあの魔物モンスター達。奴らを放置したままだと後続の部隊に影響が出るかもしれない。だから遠征隊最高戦力である彼が早々に懸念材料を処理することは、この任務クエストを全体的に見れば正しかった行為なのかもしれないね」


 僕が穏やかな口調で諭すと、ユーリカは反論できずに黙った。それでもユーリカは不満顔を浮かべて、負け惜しみのように僕に文句を言った。


「だとしてもまずはみんなに相談するべきだわ。奇跡的に誰も大怪我しなかったから良かったものの、下手したら死人だって出ていたかもしれない。それにこんなに慌てて村に入っちゃって、仕事を遂げた情緒もへったくれもないんだから」


 それは個人的な感情だ、と、彼女にはこの場で言うべきではないのだろう。


 ユーリカも分かっている。常に隊の殿にいたリーダーの彼は、各小隊全ての状況をつぶさに把握して、的確な指示を僕らに与えていたことを。


 間近で見ていた僕には彼の凄さが分かった。


 個人戦闘能力、情報分析能力、環境状況把握、情勢制御能力。


 その将として備えるべき全ての資質がどれも著しく飛び抜けている。例え今ここで敵国の一個師団に襲われたとしても、撃退は叶わずとも僕ら全員を逃がすことが彼個人だけで出来るだろう。それだけの優れた力を、隊を率いる彼は持っている。


「大戦を終わらせた若き英雄……【光のアルヴィン】、か」


 僕はユーリカから手当を受けながら、時代の寵児である彼が無邪気に仲間と戯れている姿を、どこか非現実的な目で捉えていた。

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