(3) 後悔を糧に

 上官からの手紙に書かれた文章。


 そこには僕をとある任務クエストをサポートさせる為に道案内ガイドとして雇いたいという旨が書かれていた。


 その任務クエストとは隣国との国境沿いにある村、アルバート村を再興させるという特殊なものだった。再興したアルバート村は隣国との交流都市として機能させ、ゆくゆくは軍事拠点としても活用するつもりだという。


 僕も風の噂で聞き知ってはいたが、アルバート村は十年以上前に滅んでいる。


 大戦中隣国に攻められ重要拠点として奪われる前に、我が聖王国バルハイムの軍事研究所が病原性の猛毒をアルバート村一帯に散布して滅ぼしたのだ。


 その毒の影響で村に人間は住めなくなり、森の木々は短期間で異常に生長し、あの村付近一帯は人跡未踏の樹海となった。最近は毒の抵抗を持った強力な魔物モンスターも闊歩しているらしく、昔から森に住んでいる森番もまともな道案内ガイドは務まらないと言う。


 だから僕に白羽の矢が立った。アルバート村周囲の地理に明るく、軍務経験のある僕なら、ある程度の危険な仕事を任せられる。そう判断して上官は見知りである僕を推薦したらしい。


 上官は本文でこの任務クエストを無事に遂げれば、報酬だけでなく再興したアルバート村で良い職を得られるかもしれない、そう希望的な観測が書かれていた。


「ねぇ、ビトー……」


 読み込んでいた手紙からふと顔を上げる。


 テーブルを挟んで向かいに座るユーリカが、僕を心配そうに見つめていた。


「行きたくないのなら、無理して行かなくても良いんだよ?」


 夕食の手が止まっていた僕に、ユーリカが慮るように言った。


 ユーリカにも手紙の内容は伝えていた。だからなのだろう。手紙を受け取ってからずっと上の空の僕が、行くべきかどうか深く悩んでいるのだと、目の前の彼女は考えているのだ。


 僕はこれ以上心配させまいと思い、ユーリカに無理に微笑む。


「いや、行くさ。こんなチャンスは滅多にないからね。この仕事を終えれば口利きで公職を貰えるかもしれない。そうなったら僕もいつクビになるかもしれない夜間警備の仕事をせずに済む。そしたら身体の悪いユーリカのお母さんを引き取って、君と一緒に終の棲家で暮らすという望みもすぐに叶うよ」


 いつか遠方で一人暮らしをしている母親を引き取る。これは僕とユーリカが同棲する前に決めた、未来の願望の一つだった。


 だけどユーリカの顔は優れない。僕自身がまだこの任務クエストに納得していないと、勘の良い彼女は分かっているから。


「ビトー……」


 ユーリカは僕の手を握った。そして心から案ずるような穏やかな眼差しを送る。


「あなたは昔のことを一切話さないけど、私だってあの暗い時代を過ごしたから分かるの。あなたは故郷に良くない思い出がある。だから行くことを心が拒否している。あなたはそれを認めたくないのね。私に臆病だと思われたくないから。……でもね、ビトー。それは決して恥ずかしいことじゃないのよ」


 いつのまにか僕の手は震えていたようだった。ユーリカはそのことに気付いていて、僕の震える手を鎮めるために暖かい掌で覆ってくれたのだ。


「……今回は止めましょう。私の母のことも大事だけど、そのせいであなたが傷つくのを誰より母は良しとしないもの。母を引き取る方法は、他にいくらでもあるわ」


 僕の手を優しく愛撫してくれるユーリカ。蝋燭の柔らかな光に照らされた彼女の顔には、僕を親身になって労る表情がそこにあった。


 ……ユーリカ。


 僕は君をそんな顔にさせる為に一緒になったわけじゃない。君はそんな顔をして、頼りない僕を安心させては駄目なんだ。


「……そうさ。暗い過去なんて、誰にだってあることさ。僕は孤児としてあの村で育ち、追い出され、そして唯一の肉親だった妹が死んだ。珍しくもない。この世界じゃどこにでもある、ありふれた出来事なんだ」


 そうなんだ。誰もが戦争で大切な誰かを失っている。あの時代に何も失うことのなかった人間なんて、白いカラスを見つけるよりも難しい。


「だから僕はアルバート村に行くよ。ユーリカ、君と幸福な未来を築くには、いつまでも過去に囚われていちゃ駄目だから」


 彼女の目を見て力強く言うと、ユーリカはほんの少し微笑んで、再び夕食に戻った。


 僕らはそれから一言も言葉を交わさず、黙々と冷めた料理を平らげ、そしてユーリカを残して僕は夜間警備の仕事に出た。


「ミヤ……デグゥ……」


 半月が照らす石畳の路地を歩きながら、僕は彼らといた時代を回想する。


 思い出すのは嫌なことばかり。大人たちからは邪険に扱われ、同じ孤児からは格好の標的としてイジメられた。僕にとってアルバート村は、思い出したくない記憶の土壌だった。


 だけど僕はあの村が嫌いではなかった。なぜならあの村で僕は、妹のミヤと、そして親友のデグゥと、確かに魂の繋がりで分かち合えたからだ。


 こんな世界で僕が生きてこれたのは、彼らが僕に力を分け与えてくれたから。あの村で過ごした経験がなければ、僕は度重なる戦地の中で死という安易な逃げ方を選んでいただろう。


 明るい未来を望みながらも、呆気なく死んでしまった彼らを思えば、残された僕はどれだけ醜くても生にしがみつくしかなかった。


 ――ミヤ、お前は不甲斐ない兄を恨んでいるのかい? 僕にもっと力があれば、お前を寒空の下で死なせることはなかった。


 ――デグゥ、君は悪運の強い僕を羨んでいるのかい? この救いのない残酷な世界でも、君だけは全てが燦々と輝いて眩しく見えていたはず。なのに僕だけがこの世界に残されたことが、君にとってどんなに理不尽なことなのだろう。


 僕は君たちのことを考えると、苦しくて、後ろめたくて、いたたまれなない気持ちになる。だけど僕は生きるよ、ミヤ、デグゥ。


 僕はユーリカと出会って変わった。こんな時代でも慈しみの心を強く持ち続ける彼女と一緒にいると、僕はこんな世界でも少し好きになれそうなんだ。


 ――ミヤ、デグゥ。僕を恨んでもいい。


 それでも僕は、ユーリカと一緒に生きていきたいんだ……。

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