(2) 僕らの決意

「ワイロを収めればいいのさ!」

 

 孤児院の大食堂に置かれた、粗末な木製長テーブルの端。

 指定席であるそこでミヤと並んで昼食を食べていると、向かいの席でカエルのように素早く昼食を平らげたデグゥが快活に言った。

 

 見回り中の年老いた修道女シスターに注意の空咳をされると、デグゥは自分の声が大きすぎたことにやっと気付いた。


「ワイロって何?」

 

 僕が薄味のスープに固いパンを浸しながら尋ねると、デグゥはテーブルに身を乗り出してヒソヒソ声で囁いた。


「この前ヂッタが村の盛り場でやってたようなことさァ」

 

 ヂッタとは孤児院で暮らす年長の子だ。ついさっき食堂に入ってきて、たった一人で食事をしている痩せぎすの男子だ。

 

 彼は僕らより二つ年上の十歳だけど、いつも誰かにイジメられている。彼の偏屈な性格が災いしていると僕らは思っているけど、本人はそれを直そうとはまるで考えていないらしい。ヂッタは村で頼まれ事をこなしてわずかな報酬を得ると、それをいじめっ子に渡して見逃してもらっているのを見たことがある。

 

 つまりワイロとは、問題をお金で解決するということだろう。


「ゼーマン院長はお金を払えばどんな孤児でも受け付けるって村中の噂さァ。……ビトーもお金を払えば、ミヤと一緒にずっとここにいられるさ」

 

 確かにそういった噂話は村に行くと嫌でも聞こえてくる。ゼーマン院長は孤児院の運営費に国の予算からだけでなく、篤志家からの援助金を不正に受け取っている。それらを帳簿に付けず懐に収めている、金に汚い人間だって……。


「だけどデグゥ、僕は両足を持たれて逆さに振られたって、一セリアの銅貨もでてこないよ」


「だからあそこに行くのさァ。あそこならたっくさん金目のものがあるからよォ」

 

 デグゥは誰にも聞かれていないか周囲を窺ってから、ニシシと悪巧みの笑みを浮かべた。

 

 あそことはきっと、さっき樹の上から見た幽霊屋敷のことだ。デグゥは村の掟で禁じられた幽霊屋敷の探索を、僕たち二人だけでしようと言っているのだ。


「本気で言ってるのかい? デグゥ」


「本気も本気さ! オレ達でお宝ぜ~んぶ頂いて、売っぱらったお金でこんなシケた村からオサラバするのもいいかもなァ!」

 

 デグゥは良いやつだ。僕らのためにこんなに明るく振る舞って勇気づけてくれている。もしも僕が君の立場だったなら、これほど身を削るようなお節介はきっとしなかっただろう。

 

 僕らはよそ者で、いつかこの孤児院から追い出されるかもしれない。

 

 だけど君は違う。デグゥも僕らと同じ戦災孤児だけど、両親はこの村の出身で真面目な木こりだったと言う。だから同じ孤児だとしても、この村の大人たちはデグゥが独り立ちするまで守ってくれるだろう。

 

 デグゥが僕らを庇うために危険を冒す必要などないのだ。だけどデグゥは僕たち兄妹の為に、わざわざワイロなんて小難しい言葉を使ってまで希望を見させてくれた。

 

 君はどうして僕たちにそこまでしてくれるのだろう。君だってこの辛い毎日を生きるのに、同じくらい必死だろうに……。


「……デグゥ、ありがとう。でももういいんだ。僕らは切羽詰まっているけれど、明日にでも死ぬってわけじゃない。それに隣町の孤児院なら空きがあるかもしれないって、修道女シスターたちも言ってくれてるし……」

 

 そんなわけがないのは幼いミヤだって知っている。今どきの孤児院は身元がしっかりしていないと簡単に弾かれる。特に敵国の子供だったりしたら、その場で軍に通報されて強制的に連れて行かれるのだ。連れて行かれた子供がどうなるかは知らないけど、少なくともまともな扱いがされるはずがなかった。

 

 僕ら兄妹は幸い敵国の出身ではない。だけど獣人族ベスチア人間ヒュムリア混血児ハーフだ。見た目で差別されるのは慣れている。だけどまさか女神を信仰する孤児院でさえ、僕らのような姿の子供が敬遠されるとは思っていなかった。


「しっかりするさァ! ビトー!」

 

 いつになく真剣な顔を作るデグゥ。彼は僕の気落ちした顔をまっすぐ見て、活を入れるように両肩を豪快に叩いた。


「大人が何をしてくれるって言うのさァ! あいつらは自分のおまんまのことばっかりで、オレたち孤児のことなんか鬱陶しい犬妖精コボルトくらいにしか思っていないさァ! ビトー、ミヤを守れるのはお前だけさァ! 兄貴ならしゃんとしろ!」

 

 デグゥは本当に僕らのことを思って言ってくれている。

 

 それは君の真剣な眼を見れば分かるよ。だけどそれでも僕は前向きになれない。結局僕らは大人によって生き死にをふらふらと左右される、親無しのひ弱な子供に過ぎない。いくらこの場で強がりを言ったって、僕らの運命はそう変わらないんじゃないのか……。


「運命は自分で切り開くのさァ! 英雄ドッドリアもそう言ってたさァ!」

 

 ……英雄ドッドリア。

 

 僕はそいつが嫌いだ。そいつが引き起こした戦のせいで僕らの両親は死んだのだ。ドッドリアが敵の幼稚な挑発に乗らなければ、僕らの両親は醜巨人オーグルの大鎚で潰されずに済んだのだ。

 

 デグゥはそのことを知らないけど、ドッドリアの名前を出すたび僕の心は軋んでいく。


「そうは言ってもやっぱり無理だよデグゥ。僕らだけであの危険な幽霊屋敷に忍び込むなんて……。それにミヤだって置いていけない。僕がもしいなくなったら、ミヤは一人で生きていけないもの……」

 

 隣りでまだ薄いスープをちびちびと飲んでいたミヤ。ミヤは小さな手でスプーンを繰り返し口に運びながらも、不安そうに兄である僕を横目で見つめていた。

 

 ミヤはまだ六歳だ。夜中のトイレはおろか着替えだってままならない。そんなミヤがたった一人残されて、この過酷な世界を生き抜けるわけがなかった。

 

 ……僕は死ねない。僕の命の上には、ミヤの命も乗っかっているのだから。


「ミヤ……?」

 

 不意にミヤが僕の手を強く握った。ミヤは僕に向かって、パチパチと二度瞼を瞬きする。

 

 これは「気にしないで」の合図だった。

 

 ミヤは両親を目の前で亡くしたショックで口がきけない。だからミヤは何か伝えたいことがあると、こうやって身体の一部を使って自分の意思を表現する。「気にしないで」の合図は、ミヤが最もよく使う表現の一つだった。

 

 ミヤはいつも自分のせいで僕が被害に遭いそうになると、こうやって「自分は気にしてないから」と僕に訴える。意地の悪い修道女シスターにイビられた時も、年上の粗野な孤児たちに大事なぬいぐるみを奪われた時も、ミヤは僕が怪我するのを嫌って悲しい目で訴えた。

 

 ミヤはあの小さな体で一体どれだけの悲しみを飲み込んできたのだろう。今回もまた、ミヤは自分がお荷物になることを嫌がった。ミヤは自分のせいで孤児院を追い出され、僕らが浮浪児になると思い込んでいるのだ。


「ミヤ、そうじゃないんだ……」

 

 僕はミヤの心を解きほぐすために優しく諭そうとする。だけどミヤは頑なに僕の手を強く握って、パチパチと瞬きを繰り返した。


「ミヤ……」

 

 こんなにも懸命に、それでいて必死に訴えるミヤ。その健気な妹の姿を見て、僕は忸怩たる思いで決心する。

 

 今夜僕らは幽霊屋敷から宝を見つけて、離れ離れになる不安から解放される。そしてミヤにこんな思いをさせるのは、これで最後なのだと。

 

 ――だからごめん、ミヤ……。

 

 僕はデグゥと一緒に、最初で最後の冒険をするよ。だからお前はどうか一晩だけ、たった一人で眠る夜を堪えて欲しい。そうしたらきっと、僕らはずっと一緒にいられるはずだから……。


「やっぱり行くよデグゥ。……運命は自分で切り開く。君の言う通りだ」


「その意気さァ! ビトー!」


 翻って乗り気な僕の言葉に、デグゥは素直に喜んだ顔を見せる。


 そして嫌がる僕の背中へ強引に手を回すと、デグゥは肩を組んでおどけるようにステップを踏み始めた。


「わわ、そんな速いステップは踏めないよ、デグゥ!」


「勝利の前祝いさ、踊れ踊れ、ビトー!」

 

 そんな僕らの仲の良い姿を間近で見ていたミヤ。


 ミヤは食事をするのも忘れて手拍子を取ると、他の孤児たちの無責任な囃し立てに混じって、僕らの下手な踊りをいつまでも、そう、いつまでも満面の笑みで見つめ続けていた……。

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