転生者の君へ ~僕の罪科と君の罰~

亀男

プロローグ 「還るべき少年時代」

(1) 孤児院の青い空

 樹高十ニールは届くかという巨大な木、マダラギ樹。

 

 その遥かな蒼空にさえ手が届きそうな樹上――マダラギ樹のてっぺんまで僕らが登り切ると、先頭にいたデグゥがとんでもないことを言い出した。


「みんなで幽霊屋敷に行くさァ!」 


 彼はマダラギ樹の伸び切った枝葉の間からわずかに見える、寒村に似つかわしくない外国風のお屋敷を見据え、欠けた歯を見せつけるようにニッカリと笑った。

 

 その少し下の枝で休憩していた僕。

 そして樹の中腹で怖気づいていた妹のミヤ。


 僕ら兄妹は今回は本気なのだろうか、それとも数分後には忘れるようないつもの戯言なのか、デグゥの気まぐれをそれぞれ見極めようとした。

 

 だけどいくら彼のいつも通りの表情――その晴れ晴れとした笑顔を見つめても一向に何も分からないので、僕は彼と同じ場所へ視線を向けることで心情を察しようとした。

 

 デグゥがつぶらな目を細めて見ている先。


 そこには小高い丘陵の上に立つ幽霊屋敷、クロムウェル公爵家の大邸宅が悠然とそびえ立っていた。


「ビトー! 今日は霧が晴れて幽霊屋敷がよっく見えるさァ! ここからなら屋根の上でのん気に昼寝してるトビネコも見える! ミヤも早く登って来い来い!」


 

 ミヤは樹の中腹以上にどうしても登れず、それでいて戻ることも出来ずに泣きべそを掻き始めている。僕は仕方なく興奮しながら手招きするデグゥの側から離れ、半べそのミヤを抱えてマダラギ樹から降り始めた。

 

 デグゥは樹の上から僕の名前をしつこく呼んでいたけど、地上の僕はそれを無視して、樹皮で汚れてしまった妹の服をパンパンと手で払ってやる。ミヤは一張羅の白いワンピースに小さな穴が空いたことに気付き、また泣きそうな顔をして僕の手を弱々しく握った。


「ビトー! あの幽霊屋敷にはたっくさんお宝が眠ってるのさァ! オレ達で全部見つけて頂いて、村の大人たちを驚かしてやらないかァ!」


 

 まるで落下するように樹から降りてきたデグゥ。彼は真っ黒に汚れたシャツと半ズボンも気にせず、妹の世話をする僕に向かって声高に叫んだ。

 

 僕はちゃんとデグゥの話を聞いていた。彼の興奮ぶりは見て取れた。だけど僕はどうしてもデグゥの調子に合わせることが出来ず、何の反応も見せずにそのままミヤの手を引いて家の中に戻ろうとする。


「……どうしたのさ、ビトー?」

 

 デグゥは僕が怒ったのかと勘違いして、さっきまでの勢いが嘘のように声のトーンを下げた。


「どこか怪我でもしたのか? それとも腹が空き過ぎてイライラしてるのか? もしかしてオレ、ビトーの気に触るようなことでもまた言ったか? ……それだったら謝るさァ」


 ――そうじゃないよ、デグゥ。


 僕は一度だってそんなつまらないことで怒ったことはないじゃないか。

 

 見知らぬ大人に理不尽に怒鳴られたって、村の子供に悪質な意地悪をされたって、僕はいつだって下手な愛想笑いを作って我慢してきた。そうじゃなきゃ僕ら兄妹は、この村で静かに生きていくことは出来ないんだから。


 ――君だって分かっているはずだ、デグゥ。


 僕とミヤがこんなにも心が暗くなる理由。それを知っているからこそ君はあえて何も言わないのかもしれないけど、だからって僕らの運命が君の気遣い一つで変わるわけじゃない。

 

 僕たち兄妹が明日にでもこの孤児院から追い出されるかもしれない事実。


 君は何も悪くはないけど、僕がその事実を抱え込んで暗くなるのを止める権利は、君にだって、村の人間にだって、それこそこの世界の誰にだってないんだ。


「……大丈夫さビトー、ミヤ。なんとかなるさァ」


 ――僕は君が好きだ、デグゥ。

 

 こんな時代に僕らのような兄妹を気にかけてくれる存在。そんな稀有な人間は君くらいしかいなかった。君だけが唯一この残酷な世界で僕ら見放された兄妹を心から心配してくれる。そんな存在が身近にいてくれるだけで、僕らは幸福なのかもしれない。それだけで僕らは救われる気持ちになるんだ。


 ――だけどね、デグゥ。知っていたかい? 

 

 君のその優しさから出たむき出しの言葉。

 

 その純粋で暖かな塊は、僕らの未成熟で柔らかい心を、時として、知らずに傷つけていることも、あるんだってことを……。

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