アステル

※今回はアステルの視点になっています。

 アステルの過去の話から始まります。




 アステル・ヴァン・ミューゼレント。


 それは私がまだ貴族だった時の名前。


 下級とはいえ、貴族の家に生まれ、学校の成績は良かったし、剣や魔法の才能だって評価されていた。


 私には兄弟がいない。


 だから、このままいけば、私が家を継ぐことが出来ると思っていた。


 それなのにある日、私の人生は転落する。


 屋敷に乗り込んで来た男たちによって、私は突然、拘束されてしまった。


 お父様やお母様は助けてくれない。


 それどころか、私を攫って行く男たちから金貨を受け取っていた。


 それを見て、私は自分が売られたのだと気付く。


 家名を失って、奴隷になった当初の生活は過酷だった。


 奴隷になったばかりの頃、十数名の大部屋に入れられたけど、私が元貴族だと分かると他の奴隷の子たちから苛めを受ける。


 でも、虐めている人たちは楽しそうじゃなかった。


 憎悪の感情の捌け口にされた。


 ほとんど人は泣きながら、「お前たち貴族のせいで……!」という言葉を何度も口にする。


 ああ、そうか、貴族って人から恨まれているんだ、と理解した。


 全てが嫌になり、このまま死んでも良いと思った。


 そんな時、ハンナさんと出会う。


「あの奴隷はいくらかしら?」


 ハンナさんは私を指差して、値段を聞く。


「今なら金貨一枚です」


 それ聞いて、私は悲しくなる。


 金貨一枚……それが私の全てなんだ……。


「本当にそれで良いのかしら?」


「はい。元々は貴族でそれなりの値段で売ろうとしたのですが、他の奴隷と一緒の部屋に入れたのがまずかった。他の奴隷に暴行を受けて、ボロボロだ。特に顔の傷が酷い。女の奴隷は顔に傷が入れば、売り物にならない。それでも金貨一枚の値段を付けたのは、貴族を恨む奴が買っていくかもしれないからだ」


 どうやら、私自身には金貨一枚の価値もなかったみたい。


 元貴族、その部分に金貨一枚分の価値が付与されていた。


「そういうことね。良いわ。金貨一枚で買いましょう」


 ハンナさんは不敵に笑う。


 私はハンナさんを睨むが、彼女は表情を崩さない。


 こうして、私はハンナさんに買われ、ハンナさんの店へやって来た。


「さてと良い買い物をしたわね。でも、このままだと汚いし、傷が酷いわね」


 ハンナさんは私の身体を洗い、そして、魔法を使い、私の傷だらけの身体を治してくれた。


 酷かった顔の傷も消える。


 ハンナさんはとても高位の再生魔法を使えた。


 その力で売り物にならなくなった奴隷を買い取って、再販をしているのだと理解する。


「あんたの過去に何があったかは知らないわ。けど、ここから人生を逆転する為の第一歩を教えてほしいかしら?」


 ハンナさんは不敵に笑う。


「そんな方法あるの?」


 するとハンナさんは表情を崩さずに「笑うことよ」と言った。


 さらに続けて、


「世の中の男なんて、かわいい子がニコニコしていたら、一緒に居たくなるものなのよ。まぁ、やることやったら、居なくなる薄情者もいたけれどね」


 ハンナさんの表情が少しだけ歪む。

 

 この人も色々なことがあったのかも、とくらいは察することが出来た。


「あなたは高く売れそうだから個室を用意するわね。精々、努力して、良いご主人様を探しなさい。それと私はあなたが嫌という相手に、あなたを売ることはしないわ」


「もしかして、ハンナさんって良い人?」


 私が言うとハンナさんは声を出して笑った。


「私が良い人? 馬鹿言わないでちょうだい。勘違いしない方が良いわ。奴隷商人なんて、人間のクズ。私はあなたを売り物としか、思っていないのよ」


 ハンナさんはそう言うけど、彼女の嫌いにはなれなかった。

 

 それにハンナさんが私を買ってくれなかったら、死んでいたかもしれない。

 ううん、間違いなく死んでいた。


 恩返しをする為、店先に展示されてからは出来るだけ愛想を良くした。


 でも、中々買い手が付かない。


「あんた、不自然すぎるわよ? もっと自然体で過ごしたら、どうかしら?」


 ある日、ハンナさんにそんなことを言われた。


「でも、それだと売れないかもしれないよ?」


「今だって売れていないからこれ以上、状況は悪化しないわよ」


「それなら、気を使わないで過ごすけど、売れ残っても知らないよ」


「そうならないと思っているわ」とハンナさんは言う。


 それからは特に媚を売ることもなく過ごすようになり、心に余裕が出来た。


 すると街の景色が良く見えるようになる。


 そんな時、ブラックさんのことが目に止まった。


 街の他の人とはどこか違う雰囲気。


 冒険者のようだけど、誰か決まった人とパーティを組んでいる様子はない。


「何者なのかな?」


 店の前の道を通るブラックさんのことを自然と目で追うようになる。


 けど、ブラックさんは私に気付かない。


 だから、話す機会はないと思っていた。


 それなのにあの日、ブラックさんは雨宿りの為にハンナさんの商店の前で足を止める。


 その偶然に感謝して、私がブラックさんに声をかけると彼はとても紳士的だった。


 話している間は危険な雰囲気を感じられず、思い違いだったのかな? なんて思ったけど、やっぱりブラックさんは時折、普通とは違う雰囲気になる。


 どこかのタイミングで踏み込もうと思っていたけど、ブラックさんはその隙を見せてくれない。


 ブラックさん、あなたって結局、何者だったの?





「――――おい! 早く起きろ!」


 私は身体を叩かれて、無理矢理に覚醒させられる。


「ここは?」


 夢を見ていた気がする。


 でも、なんで寝ていたのかな?


 すぐに状況を思い出すことを出来なかった。


「!?」


 でも、観客の狂ったような歓声を聞いて、頭が働き出した。


 そうだ、私、魔物と闘わされていたんだ。


 それを思い出し、次に体中が痛いことを自覚する。


 ゴブリンに引っ掛かれた傷、魔狼に噛まれた傷、レッドキャップの持つ槍で刺された傷……体は傷だらけで流血している。


 レッドキャップにどうにか勝って、気を失ったんだ……。


「起きたなら、とっと立て!」と男は言いながら、桶に入った水を私の頭から掛けた。


 私は何とか立ち上がり、観客席を見渡す。


 闘技場の大盛り上がりだった。


「レッドキャップに勝った奴隷なんていつぶりだ!?」

「このままいけば、大儲けだ! 次で死んでくれ!」

「いいや、俺はさらに大穴に賭けたんだ! 次も勝て!」


 会場の様子を見て、恐怖した。


 これだけ必死に戦って、ボロボロなのに誰一人、私を心配していない。


 私をただの賭けの対象として見ている。


「さぁ、次はいよいよ大型の魔物、トロールの登場だ!」


 ランズベルク侯爵の言葉に耳を疑った。


「トロール……?」


 巨大な檻が運ばれて来る。


 その中には緑色の巨大な化け物、トロールが入っていた。


「あんなものに勝てるはずない…………」


 私は膝を付き、剣を手放してしまった。


 すると少しだけ会場が静かになる。


 命が欲しかった。


「だ、誰か、私を買ってくれませんか!?」


 その言葉で会場は完全に沈黙した。


「私は元貴族です。それなりの教養もあります! それにご覧いただいた通り、剣や魔法も使えます! 役に立てると思います! だから、誰か買いませんか!? いえ、買ってください! お願いします! 私は死にたくないのです!」


 涙を流しながら、必死の命乞いをする。


 しかし、それが無駄だったとすぐに思い知らされた。


「今回の奴隷の命乞いは良いな!」

「ゴブリンを殺した時は強気だった分、惨めな姿は見ていて面白い!」

「あんな汚い奴隷、いらない!」

「早くトロールに殺されてくれ!」


 会場から笑いが起きる。


 誰一人、私を人間としてみていなかった。


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