急転

※三人称視点から始まります。




「今日も来ないのかな…………」


 アステルは窓の外を見ながら、呟く。


 ブラックはもう二日、姿を見せていない。


「飽きられちゃったのかな…………別れの挨拶くらいは言いたいのになぁ…………」


 ブラックにアステルを買うだけの資金はない。


 それは彼女自身、よく分かっていたから、残された時間を大切にしたかった。


 取り置きの期限は五日後。


「このまま会えないのは嫌だなぁ…………」


 アステルは呟き、相変わらず、窓の外をボーっと見ていた。


「ん?」


 すると一台の豪勢な装飾の馬車が止まった。


「あれって貴族の馬車だよね? しかも、かなり爵位が高くないと持てないヤツだった気がする。でも、そんな馬車がなんでここに止まったの?」

 

 アステルは心の中でほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ淡い期待をしてしまった。


 冒険者ブラック、というのは仮の姿で正体は大貴族。


 そんな〝大貴族ブラック〟が自分を買いに来てくれた、のだと。


「まぁ、そんなおとぎ話、あるわけないよね」


 アステルは夢想はすぐに終わる。


 馬車の中から出て来たのは、不健康に太った男の貴族だった。


 店の外の異常に気付いたハンナが店内から出て来る。


「これはこれは。貴族様がどのような用件で私の店に来られたのですか?」


 ハンナが少し緊張した様子で言うと、大貴族の男は鼻で笑った。


 アステルは直感で、この貴族の男のことを嫌いになる。


(まっ、嫌いなったところで私には何も出来ないし、関係ないことけどね)


 しかし、事態はアステルの予期しない方向へ進む。


 貴族の男がアステルに冷たい視線を送り、指差す。


「あの奴隷を貰う」


 貴族の視線はアステルを人間としてみていなかった。


 言葉が聞き、視線が合った時、アステルは酷く動揺し、恐怖する。


 ハンナの店に来たばかりの時のように、アステルの身体は震え出した。


 


※ここからは一人称になります。



 二日も顔を出さなかったことをアステルは怒るだろうか。


 まぁ、理由を知れば、許してくれるはずだ。


 俺は金貨百枚が入った小袋を持って、ハンナさんの店に急いだ。


「…………何の騒ぎだ?」


 ハンナさんの店の前に着いたが、様子がおかしい。


 人だかりが出来ている。


 胸騒ぎがした。


「すまない。通してくれ!」


 店の前には豪華な装飾の馬車が止まっている。


 ハンナさんと話している男が貴族だとすぐに分かった。


 明らかに穏やかな雰囲気ではない。


 いつもは強かな笑みを浮かべているハンナさんが必死の形相だ。


「ですから、決まりは決まりです。こちらの奴隷を売ることは出来ません!」


 ハンナさんが言った「こちらの奴隷」というのはアステルだった。


 アステルは体を丸くして、ガタガタと震えている。

 普段の陽気な彼女から考えられない姿だった。

 

 だから、すぐに状況を理解出来た。


「ハンナさん、どうもです」


「ブラックさん…………」


 ハンナさんの表情は険しかった。


「ブラック? ああ、この男か。身分不相応な奴隷を買おうとしている冒険者は」


 貴族の男が馬鹿にしたように笑う。


 そして、俺の方を向いた。


「私はランズベルク侯爵だ。お前はそこの奴隷を取り置きしているそうじゃないか? どうせ、冒険者には買えない金額の奴隷だ。この場で取り置きの破棄を宣言したまえ」


 ランズベルク侯爵と名乗った男は馬鹿にしたように言った。


「…………」


 アステルの方を見る。

 彼女は俺が見たことのないほど不安そうな表情になっていた。


「おい、私の話が聞こえなかったのか?」


 ランズベルク侯爵は俺が返答しなかったので、不機嫌になる。


「すいません。大貴族の方と話すは初めてなので緊張してしまったのです」


 俺はすぐに頭を下げた。


「確かにお前のような冒険者風情が本来、私と話を出来る場など無いな。話は聞こえたな? 取り置きの破棄を早く……」


「破棄はしません」


 俺が途中で話を遮るとランズベルク侯爵はさらに不機嫌になった。


 ほとんどの貴族は自尊心を気付けられることに耐えられない。


 貴族とはそういう連中だ。


 俺はランズベルク侯爵の横を抜けて、ハンナさんへ金貨百枚の入った小袋を渡す。


「遅くなってすいません。金貨百枚、何とか用意が出来ました」


「えっ」とハンナさんは声を漏らし、驚いていた。


 アステルを見ると「信じられない」と言いたそうな表情になっている。


 口では早く俺に「買ってくれ」と言っておきながら、、やはり期待はしていなかったな。


「た、確かに金貨百枚、あります」


 ハンナさんはあっという間に金貨を数え終わる。


「では、お約束通りアステルをお売り致します」


 ハンナさんはホッとしたように言う。


 しかし、ランズベルク侯爵が簡単に退いてくれるだろうか?


「おい、店主、私は倍の金貨二百枚でその奴隷を買おう」


 案の定、そんな提案をしてきた。


「ランズベルク侯爵様、申し訳ありません。アステルは取り置きをされていたのであって、オークションにかけられたわけではありません。そのような値段交渉には応じかねます」


 商人としては魅力的な提案だったはずなのに、ハンナさんは俺の味方をしてくれた。


「おい、店主、大貴族、侯爵の私が頼んでいるんだぞ?」


「もしだ。もし、私の頼みを断りでもしたら、この店に良くないことが起きるかもしれないな。それにお前、ブラック、とか言ったか? お前のような冒険者風情、簡単に潰せることを忘れるなよ?」


 ランズベルク侯爵は俺たちを脅して来た。


 本当に貴族はこういう連中ばかりだ。


 自分勝手で、自分が特別だと思っていて、思い通りにならないことなんてないと思っている。


 別に俺だけならをぶん殴っても良かったが、ハンナさんまで巻き込むわけにはいかない。


 それでも納得が出来ずに俺が言い返そうと口を開いた時だった。


「待って!」


 アステルが声を上げた。


「うん、私、気が変わったよ。侯爵様に買われたいな」


 アステルは無理やり笑いながら言う。


 震えを少しでも抑える為か、両手は服をギュッと握っていた。


「おい、どうして?」と俺は尋ねる。


「どうして? そ、そりゃ、侯爵様に買われたら、私の人生大成功だよ……。ブラックさんは良い人だけど、所詮は冒険者だしさ……」


 アステルの声は震え、今にも泣きそうだった。


「おい、店主、奴隷も私に買われたいと言っている。もう、結論は出ているだろう?」


 ランズベルク伯爵はハンナさんへ詰め寄った。


「し、しかし……」


「ハンナさん、私がこれで良いって、言っているの。侯爵様にこれ以上、楯突いちゃ駄目だよ。それに商人なんだからさ、ちゃんと商売しなよ。私はハンナさんの店の商品、それだけの存在でしょ?」


 躊躇うハンナさんにアステルが声をかける。


 ハンナさんは少しの間、無言だったが、やがて大きく息を吐く。


「…………分かりました。ブラックさん、不義理は自覚していますが、申し訳ありません。ランズベルク侯爵様にはいくつかお渡しするものがありますので、店内へどうぞ」


「ふん、初めからそういえば良かったのだ。冒険者如きに無駄な時間を使った」


 ランズベルク伯爵は俺に対し、侮蔑の視線を向けてから、店内へ入っていった。

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