幕間 8年目の真実(後編)

 午後十時十二分


 私は今、静岡県警の安藤哲也巡査部長だったはずなのに、群馬県警の中村清隆警部補のフリをしている自称警視庁の警察官から説教を食らっている。


「なんで須藤から話を聞いた後に自分で調べなかったんだ!?」


 ――調べたら負けかなと思って。


 なぜこうも立て続けに碌でもないことが起きるのだろうか。私は納得できない。


 葉梨はスタンドプレーで迷惑をかけるし、上司のチンパンジーからは結婚を迫られるし、八年もの間、静岡県警の安藤哲也さんだと思っていた目の前にいる命の恩人は警視庁ウチの人でお仲間だったし。何なんだ。私が何をしたというのだ。


 だが私は思った。深く考えても無駄だ。考えても意味のないことだ。考えたら負けだ。


「加藤さ、もしかして怒ってんの?」

「怒ってないです」

「怒ってるだろ」

「怒ってません」

「久しぶりだな、メンドクセー女の相手すんの」


 私は中村さんに言いたい。

 メンドクセー女とは誰だと。私には心当たりはない。だがメンドクセー女とはおそらく私なのだろう。心外だ。

 中村さんと私の間にいる中山さんはなぜか泣きそうになっている。なぜ私よりも中山さんの方がダメージを負っているのだろうか。

 そんなことを考えていると、中山さんが口を開いた。


「加藤はこういうヤツです。長いものには巻かれるタイプなんです」

「ああん!? あれから八年も経ってるんだぞ!? お前ら今まで何してたんだ!」


 ――長いものには巻かれろの精神で一生懸命生きていました。


「だって加藤の指導員は玲緒奈さんですよ? 無理です」

「そうだけど……」


 ――あ、中村さんも玲緒奈さんには逆らえないんだ。


「……だとしてもだ。須藤も敬志もお前も、今まで何してたんだ?」


 ――碌でもないことばっかりしてましたよ。


「加藤は大丈夫です。問題ないですから」

「例えば? 具体的には?」

「えっと……そうだな……」


 ――おい中山。何か言え。


「うーんと……あっ、加藤は池から俺が来るのをわかってました」

「……それだけ?」

「うーん……」


 ――もっとこう、他にあるだろう。思い浮かばないが。


 私は思わず中山さんを睨んでしまった。だが中村さんは呆れた顔をしている。

 私はとりあえず、この場では黙っていた方がよさそうだと判断した。それが最適解だ。長いものには巻かれろだ。だが――。


「加藤、こっち来い」


 大きな溜め息を吐いた中村さんは私の左腕を掴んで中山さんから離れた。

 中山さんはベンチに向かって歩いて行った。


「玲緒奈さんの本業・・が忙しいのは知ってるよな?」

「ピーポくんですか?」

「違う。まあそっちもみたいだけど」

「中に人などいませんけどね」

「ああ」


 今、玲緒奈さんは本業以外に私たちの仕事とピーポくんをやっていて多忙を極めている。玲緒奈さんは家にほとんど帰れておらず、ものすごく機嫌が悪い。


「玲緒奈さんの本業をお前もやることになった」

「私がピーポくんを?」

「違う。状況次第ではそうなるかも知れないが」

「ピーポくん、か……」

「中に人などいないけどな」

「はい」


 玲緒奈さんのピーポくんじゃない方の本当の本業をやるには条件がある。それは既婚者で、なおかつ配偶者が信頼のおける人物でなくてはならない。


 ――だから早く結婚しろと須藤さんは言ったのか。


「葉梨なら問題ない。だから早く結婚しろ」

「……お言葉ですが」

「ああん?」

「葉梨と別れたらどうしますか?」


 私の言葉に中村さんは息を呑んだ。

 少し動揺を見せる中村さんの目を見ると、目を伏せ、唇を噛む。


 続く言葉を待っていると、強い眼差しで私の目を見て、口を開いた。


「俺がもらう。どんな手を使ってもお前を手に入れる。お前を俺のものにする」


 ――お前はTLコミックの溺愛執着系俺様御曹司か。


 昭和の暴力団から風俗のキャッチを経たザイル系地方公務員のお前が言うな。私はそう思った。


「お前さ、今、何考えてた?」

「えっと……奈緒キュンキュンしちゃう、です」

「棒読みで?」

「棒読みで」

「……なんでこんな碌でもない女になっちまったんだ」

「玲緒奈さんの舎弟ですから」

「じゃあ無理もねえな!」


 私はなぜこうも追い詰められなければならないのだろうか。早く帰りたい。


 私はいろんな意味で、来なければよかったと本日四回目の後悔をした。



 ◇



 午後十時二十分


 ザイル系とギャルは見つめ合っているが沈黙が続いている。私も居心地が悪いが、ベンチに座る中山さんも所在なさげにしている。ここは私から話を切り出した方がよさそうだ。そう思って口を開いた時、中村さんが言った。


「葉梨は惚れた女しか夢中にさせない男だったはずなのに、違ってたな」


 ――どうしてそれを……。


 ああ、玲緒奈さんか須藤さんに聞いたのか。中村さんは情報網を全て知る人だ。そんな些細なことでも知っているのだろう。


「魔法は解けたんだよ」


 ――魔法、か……。


 私は大きく息を吸い込んで、下を向いて吐き出した。


 ――そっか。私は魔法にかかってたんだ。


 私が葉梨に夢中になっていただけだったのだ。私の夢は醒めたのだ。私が勝手に葉梨はいい男だと、そう思っていただけだったのだ。


「本当はな、お前の結婚相手は相澤がよかったんだよ」

「えっ……」

「それはこっちの都合でもあるし、お前が一番幸せになれるし……」


 中村さんは言う。

 私が相澤をずっと好きだったことを知っているのは玲緒奈さんと自分だと。早く結婚させたかったと。いつまでも私が何もしないことに二人は焦っていたと。

 ならばと相澤を別の女と結婚させて諦めさせるかと相澤に好みの女を宛てがったが、松永さんが全力で交際を妨害していたと。

 松永さんが私を口説いた時はそれでもいいかと様子見していたが、私が返り討ちにしていて膝から崩れ落ちたと。


 ――うわー、大変だなー、この人。


「玲緒奈さんと松永ブラザーズ、それに須藤がお前に悪い男が寄って来ないようにしてた」

「はい、ありがたいことに……」

「まさか白馬に乗った熊の葉梨が正面突破してお前をさらって行くなんて思いもしなかったよ」

「ふふっ……白馬に乗った熊」

「葉梨とケンカしてんだろ? 無視はダメだ。ちゃんと話し合え」


 葉梨からの電話もメッセージも私は無視している。私は葉梨のスタンドプレーが許せないのだ。周囲にこうして気を遣わせているのも、申し訳ないと思っている。だが……。


「加藤」

「はい……」

「怖いんだろ? 話し合いの結果次第では別れるかも知れないし」

「……はい」

「安心しろ。葉梨はお前しか見てない。山野花緒里との音声データとテキスト、お前に見せてやってもいいぞ」

「えっ……」

「見たらお前、それこそ『奈緒キュンキュンしちゃう』になるぞ。棒読みじゃなくて」


 私は今、どんな顔をしているのだろう。私を見ている中村さんは、驚いた表情をした後に頬を緩ませた。


「加藤、俺が店で言った言葉を覚えてるか? お前を葉梨から奪う最後のチャンスだって言ったの」

「はい」

「俺はもう諦める。けど、最後だから俺がお前を好きになった理由を言わせてよ。お前を止血してた時、動くなって言ってんのに――」


 中村さんは、事件の際に私の止血をして下さったが、その時の記憶はあまりない。どんな人だったのかも、正直記憶にない。


「――ずっと相澤の名前を呼んで、相澤に近寄ろうと這って行こうとして、仕方ないから相澤の右側に抱えて移動させたらお前ずっと相澤に謝ってたんだよ。相澤より出血量が多くて橈骨動脈で脈が取れなくなってたのに」


 ――そんなことがあったのか。


「俺はそんなお前の気概に惚れた。だから玲子さんに進言してこちらに引き込んだ」

「……そうだったんですか」

「玲緒奈さんにバレた時はボコボコにされたけどな」

「はっ!?」

「ふふっ。過去の話だ。お前は、葉梨とちゃんと向き合え。幸せになれ」


 中村さんは優しく微笑んでいる。

 こんなにも私のことを気遣ってくれる人だとは思わなかった。本当にありがたいし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 中村さんはベンチに座る中山さんを呼んだ。中山さんに近寄り、何かを話して、二人は私の元へと来た。


「じゃ、俺は帰る。中山は加藤を家までちゃんと送って行け。命令だ」

「了解」

「あの、中村さん」

「……なんだ?」

「本当に、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします」


 私は深く頭を下げた。

 顔を上げると、少し眉根を寄せた中村さんは目を伏せ、去って行った。

 残された私と中山さんは中村さんの後ろ姿を見ていたが、男が一人、中村さんに近寄っている。


「中山さん」

「ん? なに?」

「私を見ていたのは、中山さん以外に六人ですよね?」

「うん、こっちが五人で、中村さんの群馬県警・・・・の人が二人」

「……あと一人、いますよね?」


 私の問いに答えない中山さんは、私の目を見ている。

 中村さんが柵バージョンの壁ドンをした時、私の耳朶に唇をつけた時はなにもなかったのに、私の肩を押した瞬間に空気が変わったと気づいた。

 今日の中山さんは、本来は私の身になにがあろうと見ているだけだったはずだ。なのに池から現れた。柵を乗り越える際、私にだけ聞こえる発声法で言っていたから。


 俺が怒られるじゃねえかよ、バカ――。


 中村さんから私を引き離さないとマズかったのだろう。


「さすが加藤だな。頼もしいよ」

「……誰の駒ですか?」

「それは知らないでいい。話はつけてある」

「……そうですか」

「帰るぞ」


 これもまた、聞いたら負けなのだろう。

 長いものには巻かれろの精神でやって来た私は、そろそろマズいのではと思っていたが、このままでいいようだ。


 私は頷いて、中山さんと並んで歩き始めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る