幕間 8年目の真実(中編)
午後九時二十分
食事を済ませ、私は化粧室へ行った。
中山さんは本当に近くにいるのだろうか。
連絡をしようと思いスマートフォンを見ると、中山さんからメッセージが何通も届いていることに気づいた。
『この店って誰が面倒見てんの?』
『メキシコ料理ってタコス以外に何があるの?』
『ちょっと高い店』
『タマレスってどういう料理?』
『マリアッチってパツパツ』
『交通機動隊の青服みたい』
『ソンブレロって帽子って意味なんだ』
『海老のクリームソースのが人気なんだって』
『お腹すいたんだけど』
『タコス食べたい』
『煎餅あった!!!』
『サボテン食べた?』
『ねーまだー?』
――なんだ。近くにいるのか。
私は、『マリアッチの衣装は着ている人がムチムチだからパツパツなんですよ』と返しておいた。
◇
化粧室を出て中村さんを見ると、ムニムニのラティーナ店員と話をしている。何を話しているのかは聞こえないが、おそらくスペイン語でだろう。
私に気づいた中村さんはトレーに置かれたレシートを財布に入れ、ジャケットの内ポケットにしまうと席を立った。
会計は済ませたのか。当たり前か。
「お待たせしました」
「行きましょう」
ムニムニのラティーナ店員はドアを開けて店外まで見送りに出てくれた。
前回は『ノス べモス! また会おうね!』と言って見送ってくれたなと考えていると、異なる言葉がかけられた。
「スエルテ! セニョール!」
どういう意味だろうか。
ちらりとセニョール中村を見ると微かに口元を緩ませていた。そしてムニムニのラティーナ店員に向かって――。
「グラシアス! エスペロ ケ スセーダ!」
――セニョール中村はスペイン語が話せない設定なのに。セニョリータの押しの強さに負けたんだな。
「スペイン語、話せるんですね」
「ええ。英語とフランス語、ポルトガル語も」
「そんなに」
「ロシア語は読み書きなら」
仕事で必要なのだろうか。でも聞いたら負けかなと思っている。
レストランの階段を降りる時に振り返ると、まだ店外にいたムニムニのラティーナ店員が手を振ってくれていた。私は軽く会釈をする程度だったが、中村さんは手を振り返すと私に笑いかけた。
「加藤さん。彼女は『グッドラック』と言いました」
「健闘を祈る、ですか?」
「ええ。そして私は、『そうなることを願ってる』と返しました」
「……そうですか」
「ふふっ、何についてか、全くわかりませんよね」
私と中村さんは駅まで歩いている。ちらちらと私を見る中村さんは、何かを言いたそうにしているが、何も言わない。
どうしようか。カラオケにでも行くか。たまには歌いたい。
「あの、カラオケ、行きません?」
「カラオケ?」
驚いた顔をした中村さんは何か思いついたようだったが、出て来た言葉は意外なものだった。
「加藤さんと二人きりになれる静かな場所へ個人的には行きたいですが、今日の私には都合が悪いので……公園に行きましょう」
――ギャルとザイル系で公園。そうですか。
私はいろんな意味で、来なければ良かったと二回目の後悔をした。
◇
午後九時三十五分
私たちはメキシコ料理店から徒歩十分の場所にある公園に着いた。ここは葉梨と来たことがある。
公園までの道すがら、中村さんはなぜ私の恋人の存在を知っていることを疑問に思わないのか、なぜ聞かないのかと訊ねたが、私は答えないまま、無言のまま歩いていた。だって聞いたら負けかなと思ってるし。
このところ、私は試されているような気がしている。特に岡島、須藤さん、中山さんからだ。松永さんは通常営業だが、他の皆は私を試している気がする。
須藤さんは葉梨と結婚しろという。
あの須藤さんが言ったのだ。葉梨の生殺与奪の権は私が握っている、と。
まだ私たちは付き合って半年なのに。
仕事では毎日のように会っているが、プライベートでは四回しか会っていない。なのに結婚を迫るのはなぜか。もちろん私の年齢もあるが、須藤さんはパワハラはするが絶対にセクハラはしないジェントルポリスメンなのに、セクハラに該当する結婚ネタを言うなんてどう解釈すればいいのか私は困惑している。
――中村さんが現れたことに何か関係しているのだろうか。
中村さんが何者なのかは知りたい。知りたいが、知ったらもっと深みにはまってしまいそうで、これ以上はダメだと本能で感じている。だからこれ以上は深入りしたくない。
◇
都会の真ん中にある大きな公園は高層ビルに囲まれたオアシスのようだ。等間隔にベンチがあるが今は人影もなく、月明かりに照らされている。
私たちは無言のまま公園内を歩いているが、中村さんは立ち止まった。
池に沿った道を歩いていたが、中村さんは私を柵に追い込んだ。
足で膝を押され、背後の柵を掴んだ中村さんは私の体に触れることなく、私の逃げ道を塞いだ。
――壁ドン、柵バージョン。
中村さんの左手は柵を掴んだままだか、右足で私の左足側面を動かせないように押して、右手は肩に置いた。そして顔を近づけて来た。
私は身動きせず、次に起きることを待った。
だが何も起きなかった。その代わりに、中村さんの唇が私の耳朶に触れた。
そして、耳に流れ込んだ言葉に、心臓を鷲掴みにされたようになった。
「中山さんは助けに来ないですよ」
――本当に、中村さんは何者なんだ。
中村さんの唇は私の耳朶に触れたまま、中村さんは話し続けた。
「中山さん以外に六人います」
その六人のうち四人は、玲緒奈さん、須藤さん、松永さん、岡島の駒だという。
中山さんを入れて私の監視は五人。オールスターだ。なぜ誰一人来てくれないのだろうか。
「なのに、誰も助けに来ないのはなぜでしょうね」
――それはこっちのセリフだ。
だが私は、中村さんがカラオケを嫌がった理由がコレだったのかと納得した。おそらくオールスターズを試しているのだろう。
中村さんは右手で私の髪を掻きわけ、耳朶から首すじへと顔を動かしている。肌には触れないが、吐息が肌を伝う。
「誰がどう動くか、試しているんですよね?」
「さすがですね」
中村さんは顔の角度を変え、左肩で私の右肩をゆっくりと押した。三秒ほどで離れたが、中村さんは囁いた。
「なぜ、誰にもサインを送らないんですか?」
「えっ、だって試してる、から……」
「加藤さん。なぜ、私を信用するんですか? どこの誰なのかわからないのに」
――お前はどう考えても
私から離れた中村さんは困ったような顔をしている。私の目を見つめていたが、柵の向こうの池に視線を動かした。そして――。
「んあっ!!」
私は両腕を中村さんに抱えられた。私は背後から膝カックンされたようだった。私を見下ろす中村さんは鋭い目つきで気配を覗っている。
背後からは音がする。
何かブツブツ言いながら柵を乗り越えて来た見覚えのある男は、私の横に立ち、口を開いた。
「バーカバーカ!!」
ネイビーのデニムに黒いポロシャツ、黒いリュックを背負い、黒のキャップを被る中山さんは私の顔を見て、溜め息を吐いた。
「なんで池から来るんですか」
「近かったから」
「そうですか」
私はいろんな意味で、来なければ良かったと本日三回目の後悔をした。
◇
午後十時一分
私たちは池のほとりの歩道を歩いている。
私は中村さんの背中を見ながら同じ速度で歩き、一定の距離を保った。中山さんは私の後にいる。中村さんは一方的に話していて、話の内容はこうだ。
中村さんは警視庁の警察官で、松永敦志さんと須藤さんと同期。
そして、須藤さんが引き継いだ『松永家三人の情報網を繋いでるもの』は一部に過ぎないという。それは須藤さんも知っていると。
須藤さんから情報網について聞かされたのは約一年前だ。それから情報網については誰からも何も言われていない。もちろん私も松永家の情報網を引き継ぐのだろうとは覚悟している。私はもう組織から逃げられないのだ。なるようにしかならない。ただ、いまだに何も言われていないことについては、気にはなっていた。
中村さんは立ち止まり、私に振り向いた。中山さんも輪に加わっている。
ちらりと中山さんに目線を送った中村さんは、少し息を吐いてから私の目を見て口を開いた。
「情報網の全貌を知っているのは私です」
――あー、そういうことですか。
「八年前、情報網を引き継ぐのは加藤さんが良いだろうと
――まさかの誰。玲子さんって誰だ。
「エーッ!? ホントですかぁー!? ウッソー!!」
「……あの、なぜそんな芝居がかったリアクションなんですか?」
「玲子さんって誰かわからなくて」
「えっ……それ本気で言ってます?」
「はい」
ザイル系中村がものすごいしょんぼり顔をしている。ものすごいしょんぼり顔で私を見ている。中山さんは唇を噛みながら空を仰いでいる。とはいえ、玲子さんとやらが誰だかわからないのだから仕方ないだろう。
「玲子さんは松永雅志さんの奥様です。松永ブラザーズの母で玲緒奈さんのお姑さん」
「狂犬の親玉の親玉」
「何ですかそれは」
中山さんは膝から崩れ落ちた。手で顔を覆っている。
心の声をうっかり口にしてしまったことは反省している。だが、中山さんのライフをゼロにしてしまったのは私のせいなのだろうか。
なんとも言えない空気が漂う中、ギャルとザイル系は見つめ合った。
Nos vemos!
(・∀・) ノス べモス!
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