第4話 ラブソングとソング

 午前二時十分


 カランカランとカウベルの音色と共に扉を開くと、心地よいジャズが流れてきた。カウンターの奥でグラスを磨いていた望月もちづき奏人かなとが顔を上げる。「いらっしゃいませ」という言葉よりも早く、「お久しぶりですね」と言った。


「あっ、中山さんもいる!」

「久しぶりー! 元気そうだねー」

「おかげさまで」


 カウンターに座り、いつものロングアイランドアイスティーを二つ注文した。


「メシ、ほどほどの量を食べたい」

「うーん、パスタとステーキを二人でシェアか、ハンバーガーというのは?」

「ハンバーガー! ハンバーガー!」

「ふふっ、ハンバーガー二つで」

「かしこまりました」


 望月は微笑みながらロングアイランドアイスティーを作り始めた。


 ――やっぱりこの店は落ち着く。


 カウンター席から店内を見渡すと、ジュークボックスが目に入った。


「モッチー、あのジュークボックスはどうしたの?」

「ああ、先月ね、向かいのバーが閉店して、頂いたんだよ」

「ちゃんと動く?」

「もちろん」


 ――何かかけようかな。


 ジュークボックスは木製でノートのようになっている曲名と歌手名が書かれたカードがパタパタと音を立てて回転する仕組みだ。


 ――何にしようかな。


 ジュークボックスを前にして、カードを何回か捲ると知っている曲名があった。


 Unchained Melody / The Righteous Brothers


 百円玉を入れるとレコードが背面から取り出されて曲が流れる。

 席に戻ると、中山も望月も口元に笑みを浮かべたが、ロングアイランドアイスティーをステアしてカウンターに置いた望月はこう言った。


「珠玉のラブソングを、野郎三人で聴くのも良いね」


 そう言って望月は笑いながらキッチンへ行った。


「乾杯」

「うん、乾杯」


 グラスを合わせてひと口飲む。

 ノンアルコールのロングアイランドアイスティーは濃い目の紅茶と炭酸水を混ぜたもの。それだけだが、俺にとってはいつもの味で美味しい。


「たっくん最低」

「何!? いきなり!? 何!?」


 中山は彼女と長く会えていないのに、よりによってこの曲はないだろうと言う。


「これってどんな曲なの?」

「お前知らねえのかよ」

「うん」


 映画の主題歌だとは知ってるし動画サイトで聴いたこともある。だが歌詞の内容は知らない。だって英語だし。


「英検三級ナメんなよ?」

「バカなの?」

「うん」

「ゆっくりした曲だから聞き取れるだろ?」

「単語はわかっても繋がるとわかんないよ?」

「バカなの?」

「うん」


 二人とも黙り、曲に耳をすました。

 単語はわかる。けどやっぱり……わかんない。

 首を傾げた俺に溜め息を吐いた中山は教えてくれた。


「会いたくても会いに行けない男が、家で待ってる女を想う曲。でも、時は過ぎる。女がまだ自分のものなのか、不安。そんな曲」

「もー! そんな曲かけないでよ!」

「お前がかけたんだろうが。カネ払って」


 拗ねる中山に俺は謝った。

 それから二人は曲を聴き続けた。


 ◇


「お待たせしました」


 望月は手に持っていたベーコンレタスバーガーを俺たちの前に置いた。付け合わせにポテトとピクルスがある。

 食欲を刺激する香りが立ち込める中、俺たちは食べ始めた。


「見た目は良いけど、食べ辛いよね」

「んふふ……そうだね。でも食べ方に個性が出て、見てて面白いよ」


 そう言った望月は中山を見た。

 中山はナイフとフォークでハンバーガーを真ん中から切っていた。

 俺は持ち上げて食べ易そうな部分を探している。


「ふふっ、本当だ」


 俺もハンバーガーを切る事にした。

 ナイフを入れるとハンバーグから肉汁が滴る。それを見た俺は思い出した。加藤――。


 数年前、捜査員用のマンションで俺が買ってきたテリヤキバーガーを加藤が食べていたが、加藤は顔にテリヤキソースがつくのもお構いなしにガツガツ食っていた。

 俺がそれを指摘すると、「人前ではやりませんから」と言った。俺は人扱いされていないのかと思ったが、加藤が「後で顔を洗えば良いんです」と言い、女らしさ皆無の合理的な女だなと改めて思い知らされた。


「んふっ……」

「なんだよ、思い出し笑い」

「ふっ……加藤がさ、ハンバーガーまるごと食って、顔にソースつくのをお構いなしだったんだよ」

「ええっ、奈緒さんって上品に食べそうな気がするのに!」

「人前ではね、人前ではそうするよ」


 加藤は療養中だが少しは良くなっただろうか。

 今は葉梨が付いている。恋する奈緒ちゃんは葉梨がそばにいれば幸せだろう。


「あ、モッチーさ、今ね、加藤が風邪ひいて寝込んでるんだけど、加藤でも食えるようなもの、何か作れる?」

「えっ風邪? 消化の良いものが良いね」

「うん。出来る?」

「大丈夫! 任せて!」


 キッチンへ向かう望月の後ろ姿を見ていると、中山が口を開いた。


「たっくん優しいね」

「りっくんだってアイス買いに行ったんでしょ?」

「うん」

「なら同じでしょ?」


 中山の顔を見ると、ハンバーガーを頬張りながら笑っていた。


 ◇


 ハンバーガーを食べながら、中山はちらりとキッチンを見た。

 その視線を俺に向けて、おもむろに口を開いた中山は、真面目な顔をして言った。


「ミニスカポリスの玲緒奈さんさ、パンツ履いてなかったのかな?」


 中山もそう思ってたのか。

 履いてないわけがないが、俺に跨って七時方向から撮ったあのアングルでは、確かにパンツが見えるはずなのにパンツは見えなかった。


「ノーパンのミニスカポリスは兄ちゃんの前でしかしないと思う」

「だよね」


 以前、ベロンベロンに酔っ払った兄が、玲緒奈さんのミニスカポリスを大絶賛していた。

 俺はおっぱいが大好きだが、兄はどちらかと言うとおっぱいより脚とケツが好きみたいで、高校時代から仲の良い須藤さんとは好みも同じなんだなと思った。


「多分ね、玲緒奈さんはソングを履いてたんだと思うよ」

「ソングって?」

「え、お前知らねえの?」


 英検三級の俺でも、ソングとは何かを知っている。曲ではない。舌の先を上の前歯に当てる感じで発音するソングだ。

 この前、優衣香が教えてくれた。


「Tバックだよ」

「……Tバック、か」


 中山は何かを考えている。

 玲緒奈さんがTバックを履いている事についてだろうか。


 あの日、俺は須藤さんとの電話を切った後、優衣香はまだ仕事をしていたから洗濯物を畳んでいた。

 和室で正座して畳んでいたのだが、ハンカチみたいなものかと思って手に取って広げたらTバックだった。


 俺は、なんとなく優衣香はTバックを履かないタイプだと思っていて、妄想カタログでもあまりページ数は多くなかった。だが優衣香がTバックを履くと知り、ページ数を増やした。

 履いている優衣ちゃんをいつか見たいなと思っていると、優衣香が和室に来てゲラゲラ笑い始めた。


 優衣香は、「女物のパンツを真剣に眺めてる姿って、イケメンだと絵になるね」と言った。

 多分、褒められたんだなと思いながら、いつTバックを履いたのか訊ねると前の日だと言った。

 あの緑のワンピースの下はTバックだったのかと俺は後悔したが、優衣香はもっと後悔させるような事を言った。


『ワンピースの裾から手を入れればすぐに胸だったのに、敬ちゃんはずっとワンピースの上から触ってたよね』


 パットを入れるタイプのタンクトップを着ていた優衣香は、裾から手を入れれば生パイだったのだ。考えればすぐにわかるのに、俺は一生懸命、ワンピースの上でおっぱいを全て覆うパットと戦っていた。

 しかも下はTバックだった。優衣ちゃんのワンピースの下はパラダイスだった。なのに俺は――。


 優衣香の事になると本気でバカになるのは自覚はある。あるが、冷静さを欠いて目の前のパラダイスを逃してしまい、俺はしょんぼりしてしまった。

 優衣香はそんな俺の隣に来て、Tバックは和製英語で本当はソングだと教えてくれた。


「彼女さ、T……ソングしか履かない」

「そうなんだ」

「海外で買って来て、俺に見せて感想を言えっていつも言うけど、俺いつも困ってる」

「んふふっ、なんでよ?」

「だってさ、綺麗、可愛い、エロい、それ以外に何て言う?」


 確かにそうだ。

 俺が優衣香のTバックを見た時、『紫のTバックでエロい』としか思わなかった。感想を言うとしたら中山の言う通り、綺麗、可愛い、エロいしか無い。


「そういうのさ、飯倉に聞いてみたら良いんじゃない? なんか適当に言いそうだろ、今のアイツ」

「んふふ、そうだね」


 ◇


 バーを出た俺たちは、捜査員用のマンションに向かっていた。

 望月からは鍋ごとチキンスープを渡されて、俺は両手鍋を持ちながら歩いている。


「たっくんさ、マンション近辺の状況ってまだ確認してないんだよ。だから今、夜の分を見てくる」

「んふふ……彼女に連絡するんだろ?」

「ふふふ……バレた?」

「行っておいで。電話の時は公用車が良いよ」

「うん、わかった」


 中山は笑顔のまま、脇道に入った。

 俺はそのままマンションまで歩いているが、中山が俺を見ている気配がする。


 ――気にしなくても良いのに。


 俺が無知なせいで、中山に寂しい思いをさせてしまったのだろうなと思うと、申し訳無い気持ちになった。


 ◇◇◇


 松永敬志の後ろ姿を笑顔で見つめている中山陸は、松永が約百メートル先の交差点を超えた時、スマートフォンを取り出した。


 松永を視界に入れながら、ショートメッセージを読んでいる。

 既に笑顔の消えた中山は眉根を寄せて、電話をかけた。

 松永はマンションに向かう角を曲がり、姿は見えなくなっている。


「もしもし、中山です」


「ああ、良いんですよ。で、ご用件は?」


「……そうですか」


「そうですね」


 電話相手と言葉を交わす度に、中山の顔は険しくなっていく。


「明日……というか今日ですが、お会い出来ますか?」


「はい。ではご自宅に伺います。時間はまた改めてご連絡します」


 中山はそう言って空を見上げた。

 唇を噛んで目を瞑り、相手が言い終わるのを待って、言った。


「笹倉さん、俺に連絡してくれてありがとうございました」


 電話を切った中山は、大きな溜め息をついた。




 ― 第3章・了 ―




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