第3話 胡麻団子と串団子

 六月十二日 午前零時四十三分


 飯倉が出先から戻って来た。

 事務所のドアを開けた飯倉は玲緒奈さんの姿を認めると一瞬驚いたが、すぐに笑顔を作り玲緒奈さんに歩み寄った。


 自分の左脇に来た飯倉を見上げる玲緒奈さんは優しく微笑んで「久しぶりね」と飯倉に言うが、飯倉は玲緒奈さんの背中に視線を動かした。


「玲緒奈さん、今夜はいつも以上に美しいね。でも今夜はどうしたんだい? 羽根は忘れたの? だってキミは天使だろう? 俺の、ね」


 ――胡散臭えな。


 玲緒奈さんも須藤さんも、中山も俺も吹き出した。

 ホストとしてある店に潜入し、一年ほど別の捜査員とペアで仕事をしていた。

 須藤さんとは月に一度だけ接触していたが、飯倉はある時こう言ったという。


『ホストクラブを規制すれば警察業務の二割は無くなります。潰しましょう』


 須藤さんは、「お前の任務はそれじゃない」と一蹴したそうだが、キャバクラとは違い、女が身を持ち崩して落ちるところまで落ちるホストクラブは規制した方が俺も良いと思っている。


 飯倉はホストクラブ勤務で良心の呵責に苛まれていた。飯倉はホストの自分に入れ込んだ客を恋人にして、いわゆる『本カノ』に仕立て上げ、貢がせ、風俗に沈め、結果女は自殺未遂を引き起こした。

 二度目の自殺未遂の際、制服の警察官に囲まれる女を説得して勤務先の風俗店に女を送り届けた飯倉を須藤さんは褒めたが、飯倉はこれ以上は無理だと判断して飯倉を任務から外した。今はもう一人の捜査員のみで動いている。


 女性の人生を合法的に潰した飯倉は、元々は『優しいおまわりさん』だった。飯倉は他県の駐在さんの息子だ。山間部育ちで、テレビドラマで都会の警察官を見て憧れて警視庁に採用されたが、現実を知り愕然としながらも、『地域住民に優しいおまわりさん』である事にこだわった。


 須藤さんは飯倉の人格と能力を認めてこちらに引き込んだが、ホストクラブはマズかったと言っていた。

 そこを乗り越えてこその捜査員だとは思うが、須藤さんが無理だと判断したのなら、俺がとやかく言う事ではない。


「偏見だけどイタリア人っぽい!」

「ふふっ、でしょ?」


 飯倉がホストクラブ勤務で得たものは女の扱いだ。飯倉はイケメンの部類に入るし背も一メートル八十二センチだ。女慣れした飯倉は今後、プライベートの女絡みでトラブルも経験するだろう。


 ――素人童貞だけど。


 飯倉が素人童貞だと須藤さんが知ったのは、ホストクラブに潜入させた翌月の初回の接触の時だった。

 ちょうど俺が熱中症でぶっ倒れて入院し、その他にも何かあったようで須藤さんはヨレヨレになっていた時期に飯倉の素人童貞を知ったから、須藤さんも適当に理由を作って入院すれば良いのにと思った。


「胡麻団子あるよ」

「うわ、嬉しい! ありがとうございます!」


 玲緒奈さんは飯倉が好きな胡麻団子を準備していた。俺たちが食おうとしたら蹴りを入れられて、「飯倉が食べた後にして」と言っていた。


 美味しそうに胡麻団子を食べる飯倉を俺たちは眺めている。適材適所――。

 女を食い物にする事を厭わない警察官などいくらでもいる。俺だってそうだ。仕事ならいくらでもやる。良心も正義感も、警察学校のゴミ箱に捨てて来た。


 でも飯倉はそうではない。

 組織としては与えられた仕事をやり遂げなかった飯倉の評価は下がる。だが、組織には『優しいおまわりさん』も必要だ。

 だから飯倉はこのままで、良い。


 ◇


 午前二時五分


 事務所を一人で出て大通りの信号待ちをしていると中山が近寄ってきた。

 信号を渡り真っ直ぐ行って左に曲がると右手に捜査員用のマンションがある。


「メシ、どうする? 腹は減ってる?」


 俺たちは七時頃に夕飯は取ったが、胡麻団子を食べたせいかお腹がすいてしまった。


「モッチーの店って近くだよね?」

「ああ、そうだよ。行く?」

「うん、行きたい」


 中山と一緒に行くのは三年ぶりだろうか。

 俺もこのところ行けずじまいだ。久しぶりに望月の顔を見たい。


「そういやさ、飯倉は優衣香をジムで引っ掛けたんでしょ? 優衣香はどんな顔してた?」


 優衣香に中山との経緯を聞いた時、優衣香はその時の事を思い出したのか、眉間にシワを寄せて怖い顔をしてこう言っていた。


『敬ちゃんさ、私をいくつだと思ってるの? 若いイケメンが私に声をかけると思う? 詐欺以外に何があるの? あのね、色恋営業とかさ、私がそんなのに引っ掛かると思われた事が本気でムカついたんだよね』


 自分で言うのも何だが、俺は世間一般ではイケメンの部類に入る。高身長で体脂肪率は二十パーセントを切っている。髪型は理志がお洒落にしてくれている。胡散臭いサラリーマン風のスーツ姿はかなりイケてると思っている。


 そんなイケメンが目の前にいるのに、優衣香の事が大好きなのに、どうして優衣香はそんな言い方をするのかと何とも言えない気持ちになったが、今年三十八歳になる優衣香はいろいろと、何かあるんだな、女の人って大変なんだなと思った。


「うーん、最初はね、笑顔であしらってたよ。でも飯倉が一歩踏み込んだ瞬間に笑顔が消えて、間合いを取って左に構えたんだよね。それで飯倉は怯んで、計画より早かったけど俺が介入した」

「…………」

「笹倉さんって武道の心得があるの?」


 ――優衣ちゃん、もしかして格闘技を習い始めたのかな。


「いや、無いよ。中学の時に柔道部に入ろうとして親に全力で止められてたけど」

「んふっ、ぽいね、ぽい。笹倉さんっぽい」


 街路灯に照らされた中山は笑っている。

 優衣香は中山の事を、俺にも「腕が串団子」と言って笑っていた。みたらし団子だ、と。

 優衣香の好みは中山みたいな猿タイプだが、中山は優衣香に手を出す事は無いのはわかっている。長い付き合いの女もいる。だが不安だ。だって中山は――。


「りっくんはさ、彼女いるのに合コン行くよね? 食い散らかしてるよね? ダメでしょ?」

「えー、良いじゃん。彼女が海外に行ってる時だけだし」

「バレた事はないの?」

「バレると言うか、知ってる」

「えー」


 恋人は二十二歳の時に合コンで知り合った同い年の女性だという。大学卒業後は外資系企業に勤め、二十八歳までは日本で勤務していたが、それ以降は海外駐在か国内勤務で海外出張を繰り返している。


「所属は何て言ってんの?」

「ピーポくんの中の人」

「中に人などいない」

「うん」


 中山は二十代の頃に結婚話を何度か彼女にしたが、応じる事は無かったという。彼女の海外勤務と中山の仕事の都合で結婚話は無くなったが、交際は続いている。


「彼女ね、自分は結婚に向かないって言ってる」

「あー、なるほど」

「十五年の付き合いだからお互いに空気だよ。いて当たり前の生活」

「ふふっ、いいね」

「うん」


 中山は眠りが浅い。

 熟睡出来るのは、俺、玲緒奈さん、須藤さん、加藤が隣にいる時だけだ。

 子供の頃から夢見が悪いらしい。悪夢から目覚めた時の絶望感が凄まじく、眠れなくなると言っていた。


「彼女の隣なら寝れるの?」

「うん。彼女がずっと日本にいてくれれば良いんだけどね」


 中山が加藤のマンションに侵入するのは寝る為だと聞いた。彼女が海外にいて、睡眠を取りたい場合は須藤さん、俺、加藤の順に回る。


「もう加藤のマンションには行けないし」

「そうだね」

「たっくんだって笹倉さんの部屋に行っちゃうし」

「ふふっ。彼女はいつ帰って来るの?」

「来週」

「そっか」


 ◇


 望月のバーに行く為に俺たちは右に曲がった。

 バーまであと二百メートルだ。


 店の手前にある交差点についた時、中山が鼻を鳴らした。何かと思い中山を見ると、俺を見上げてこう言った。


「たっくんさ、ここで笹倉さんを抱きしめてイチャイチャしてたの、俺見てたよ」


 ――あの日か。誰もいなかったはずなのに。


「笹倉さんと手を繋いでさ、たっくんが幸せそうな顔をしてるのを俺初めて見てさ、ムカついて頭を引っ叩いてやろうかと思った」

「ああん!?」

「んふふっ」


 須藤さんにも叱責されたが、俺は優衣香の事になると冷静さを欠く。中山の存在に気づかなかったのは中山の能力が優れているからだが、本当に気をつけようと思った。

 だが、中山は俺が優衣香の車でマンションに帰った時に対象者が俺の女だと知ったはずだ。


「あれ? その頃りっくんは優衣香が俺の女だって知らなかったんじゃなかったの?」

「最初から知ってたよ」

「んんっ!?」

「そんなの須藤さんの嘘に決まってんだろ」


 ――あのチンパンジーめ。


「本当にさ、しっかりしろよ」

「もう!」


 若干プリプリしながら、俺はバーのドアを開けた。

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