第8話 監視

 六月八日 午後十一時五十八分


 俺は今、この状況の打開策を脳内会議している。


 十二時になったら昼休憩を取る優衣香の為に焼きそばを作っていて、焼きそばの袋に書いてある作り方通りに野菜を炒めている。

 火が通ったら麺を入れる。入れたい。

 だが二十四センチの深型フライパンにこんもりと盛られたキャベツに火が通らない。麺を入れられない。どうしよう。


 キャベツ半玉を使って良いと優衣香が言ったから俺は適当に切って、モヤシと人参、ピーマンも切って炒め始めた。だがキャベツの硬い所が、絶対に柔らかくならないという強い意志を持って俺に抵抗している。


 ――みんなこれ、どうしてるんだろう。


「わー、美味しそうな匂いがする」


 玄関の向かいの部屋で仕事をしていた優衣香がリビングに入って来たが、俺を見てからフライパンに目線を動かして、笑った。


 キッチンに入った優衣香は笑いながら俺の背を叩き、「お疲れさま」と言った。


「優衣ちゃんこれ、どうすればいい?」

「あきらめないで!」

「ええっ!?」

「んふふ……キャベツとモヤシをレンチン」

「ん!? 電子レンジ?」

「うん。三分くらい」


 俺は優衣香の説明を聞いて納得した。

 要は、試合前に敵を潰しておけ、という事だった。さすが武闘派の優衣ちゃんだなと思った。


 ◇


 優衣香にちくわもあるから入れてと言われ、俺は野菜と一緒に炒めたが、ふと気づいた。

 家で食べる焼きそばはちくわが入っているが、屋台やコンビニの焼きそばにはちくわは入っていないな、と。


「優衣ちゃんの家も焼きそばにちくわは入ってた?」

「うん。かまぼこも。適当に冷蔵庫の残り物を入れてたよ」


 ――どこの家庭も一緒なんだな。


 優衣香の家では、焼きそばはおじさんが作っていたという。野菜と麺三玉を菜箸で炒めるのは力がいるからおじさんが日曜日の昼に作っていたと話してくれた。

 俺が作った焼きそばを嬉しそうに食べる優衣香は昔を思い出しているのだろうか。

 焼きそばくらいなら俺だって作れる。

 これからは来る度に作ってあげたいと思った。


「ああ、そうだ。敬ちゃん、午後は出掛ける事になったんだけど、敬ちゃんはどうする? お昼寝してる?」

「えっ……どこに行くの?」

「東京地検」

「本庁?」

「ううん、区検。西部の」


 優衣香は車で行くから一緒でも良いと言う。俺はその区検に行った事があるが、誰かいた時に面倒だからどうしようかと悩んだ。


 ――でも、離れたくない。


 俺は一緒に行くと優衣香に伝えた。

 優衣香は嬉しそうに笑い、一時半に出ると言った。


 ◇


 都西部のその区検の隣には大型の家具店がある。

 優衣香が区検で用事を済ませる間、優衣香はその家具店でホットドッグを食べていれば良いと言っていた。

 俺は家具店でホットドッグが食べられるとは知らずワクワクしながら家具店に入ったが、ホットドッグは無かった。無い代わりに何かオシャレなレストランみたいなのならあった。


 ――多分、優衣ちゃんはコストコと間違えてる。


 外国資本の大型店舗という括りなら合ってるから、俺はオシャレなレストランでサンドイッチみたいな巻いてあるものを食べる事にした。


 ◇


 食べ終わり、席を立とうとした時に俺の背面に座った男がいた。


 その男の存在には入店時から気づいていたが、俺は無視した。何もサインを送らないその男とは今は違う仕事をしているから、無視しなければならない。だが今、彼は俺の背面にいる。


 ――なんだろうか。


 そう思っていると、独特な発声法で俺にだけ聞こえる声が耳に流れ込んだ。


「二時。女。見覚えあるだろ?」

「ああ」


 俺から見て二時方向の奥の席に、見覚えのある女がいた。その女は正面に座る女と話している。


「もう一人の女、背を向けてる女だけど、分かる?」

「……もしかして」

「そう、山野やまの花緒里かおり


 その男、中山陸は、「そのうちお前と仕事するだろうな」と言って立ち去った。


 ◇


 用事を済ませた優衣香は店舗入口で俺を探していた。声を掛けて駐車場行き、俺は助手席の後ろに乗り込んだ。


「優衣ちゃんごめんね。後ろが、良いんだ」


 優衣香は理由を聞く事なく車を発進させた。

 家具店の駐車場を出て家路につく。優衣香は真っ直ぐ前を向いて運転をしている。


 俺はずっと無言だった。

 優衣香もそんな俺に気づいていたが、敢えて何も聞かなかった。俺は窓の外を見つめていた。


 優衣香のマンションに着いても俺は喋らなかった。

 俺の事を心配そうな顔で見る優衣香は俺が眠いのだと思ったようで、横になるようにと言った。俺は優衣香の言葉に甘えて、寝室に入りベッドの上に横になった。


 だが俺は目を瞑ったが眠れるわけもなく、起き上がってスマートフォンを手に取って着信履歴にある須藤さんをタップした。


「もしもし、敬志です」

「おう、中山の件か?」

「はい」

「デート中、嫌なの見ちゃったな」


――中山は優衣香も見てたのか。


吉崎よしざきさんは知ってるんですか?」

「ああ、情報は吉崎さんからだった」


 山野花緒里は依願退職という形を取った。

 のカネに手を付けたが、山野の親が返したから依願退職させた。


 山野はホストに入れ上げ、最初のうちは自分の預金を取り崩して貢いでいたが、そのうち親に金を借り、消費者金融に手を出し、同僚へ金を借り出した。

 その後、公休日に無店舗型風俗店で働くようになり、会社はそれを把握して処分を検討し始めたとほぼ同時に山野は会社の金に手を付けた。


 消費者金融や同僚への借金返済は退職金でほぼ消え、山野にはホストクラブの売掛金が残った。

 その金については、俺の指導員であり、兄と須藤さんのお世話になった先輩の吉崎さんが店と話をつけた。

 吉崎さんは五年前に警察を辞めて、手広く事業を行っている。警備会社、レストラン経営、キャバクラなどだ。


 今、その吉崎さんが山野の面倒を見ている。

 警備会社の正社員として働かせ、副業としてレストランでも働き、山野はホストクラブへ返済をしている。借金の返済をしているとは言え、自分の生活には困らない程度の稼ぎはあると吉崎さんは言っていた。

 だが、野川里奈が誘拐された件は山野が情報を売った事が原因だと確定した四月、吉崎さんから山野を風俗に沈めると連絡があった。

 吉崎さんが話をつける前の元々のホストクラブの売掛金を全額返済させるまで沈めておく、と。


 元同業として吉崎さんは山野に目を掛けた。俺たちは山野に監視が必要だから吉崎さんに任せた。

 だが情報を売ったとなれば守ってやる理由も無い。


 そして、その山野は今日、須藤さんの昔の女と会っていた。



 ❏❏❏❏❏


 あとがき


 須藤すどう諒輔りょうすけ吉原よしわら絵里えりのエピソードは、ファーレンハイト/番外編の『第1話 いつか出逢った君へ』にあります。


 よかったらご覧ください


 URL

 https://kakuyomu.jp/works/16817330656364566814/episodes/16817330656365092240



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