第6話「氷が解ける時」

「ま、待って、氷坂さん……!」

「まだ何かあるの?」


 姫花が呼び止めると、吹雪は氷のような目で姫花を見据える。

 背筋が凍るような、とても冷たい目だ。

 そんな目に対して姫花は泣きそうになりながらも、なんとか言葉を絞り出す。


「私が無理矢理、二人を連れてきちゃっただけだから……! 先生たちに言うなら、私だけにして! お願い……!」


 姫花はガバッと頭を下げる。

 悪いことをしたのは自分で、吹雪の怒りはもうおさまらない。


 だから、友人たちだけでも見逃してもらいたかった。

 二人が付いてきたのも、自分を心配してなのだから。


「…………」


 吹雪はチラッと、莉音の顔を見る。

 莉音の視線は自分になど向いておらず、姫花に向いていた。


 その次に、今度は美玖に視線を向けてみる。

 すると、美玖も姫花に視線を向けていた。


 二人は、心配そうに姫花を見つめている。


「友情ってやつ? 私、そういうのが一番嫌いなのよね」


 いっそ不機嫌になった吹雪は、射貫くように強い目で姫花を見つめる。


 しかし――ふと、目の端に気になるものが映った。

 吹雪は思わず、そちらに視線を向けてしまう。


「氷坂さん……?」


 彼女が何かを凝視していることに気が付いた姫花は、視線を追ってみる。

 するとそこには、猫のゲームキャラのキーホルダーが鞄についていた。


 姫花がよくやっている、『大乱闘スマッシュメンバーズ』のオリジナルキャラだ。

 そして、抽選で千名にしか当たらなかった、限定品でもある。


「この猫ちゃん、好きなの?」

「――っ! べ、別に、そういうわけじゃないから……!」


 姫花が鞄から外してキーホルダーを見せると、吹雪は興味がなさそうに顔をそむけた。

 しかし、その頬は若干赤くなっており、チラチラと姫花の手元を盗み見ている。


(もしかして、氷坂さん……)


「これ、あげるよ?」

「――っ!? い、いいの!? あっ――!」


 やはり欲しかったのだろう。

 一瞬とはいえ、吹雪は目の色を変えて、聞き返してきた。

 咄嗟に誤魔化したけれど、さすがにそれを見逃すほど姫花も鈍感じゃない。


「いいよいいよ、あげる! 私、『スマメン』よくやるんだけど、氷坂さんもやってるの!?」

「や、やってない、そんなゲーム知らない……。格闘ゲームなんて好きじゃない……」


「あっれぇ? 私、スマメンが格闘ゲームだなんて一言も言ってないよ? それに、スマメンって略称だけど、氷坂さんわかるんだね?」

「あっ――!」


 吹雪がまるで幼子のように誤魔化したので、つい姫花はいつもの調子でいじってしまう。

 それにより、吹雪の顔はカァーッと赤くなった。


「――おい、どういうことだよ……?」

「どうやら、一緒のゲームをやってるっぽい……? とりあえず、怒りは収まったように見えるけど……」

「姫花、調子に乗ってるよな……? 大丈夫か……? 相手は、あの氷坂なんだぞ……?」


 ニコニコ笑顔で吹雪に絡む姫花を前にして、莉音と美玖は胃が痛くなってくる。

 しかし、吹雪の怒りが一時的とはいえ引いているので、止めるのが正解かどうかもわからなかった。


「ねぇねぇ、スマメン今度一緒にやろうよ……!」

「やらない……! そんなゲーム知らないってば……!」


「ふ~ん、じゃあこの子あげないよ?」

「あっ……」


 姫花が猫のキーホルダーを隠すと、吹雪はシュンッとしてしまった。


(ど、どうしよう……! 氷坂さん、かわいすぎるんだけど……!?)


 普段とのギャップに、姫花は胸が高鳴る。

 だけど、悲しませたいわけではないので、吹雪の手に猫のキーホルダーを握らせた。


「冗談だよ、これはもう氷坂さんにあげるから」

「ほ、本当にいいの……? だってこれ、抽選でしか当たらなかった限定品……」

「いいのいいの、当たったからつけてただけで、こだわりがあるわけじゃないし」


 本当は、姫花も気に入っていたキーホルダーだったけれど、吹雪に喜んでもらえるならあげたいと思った。

 だから、こうして渡しているのだ。


「ありがとう……」


 猫のキーホルダーをもらった吹雪は、大切そうに手で包む。

 ゲームを知らないふりをしていたことや、姫花たちに怒っていたことはもう忘れているようだ。


 だけど、姫花は――。


「それで、その……その代わりって言ったらなんだけど、私たちのこと許してくれると嬉しいなぁって……」


 許しを請いてしまった。


「おい、馬鹿……! わざわざ自分から掘り返すなよ!」

「そうだよ、せっかくご機嫌になってたのに!」


 自分から地雷を踏みに行った姫花に対し、莉音と美玖が怒る。

 そんな二人に対し、姫花は仕方なさそうに笑みを向けた。


「だって、この場は問題なかったとしても、今度顔合わせた時に思い出されて怒られるのって嫌じゃん。私は、氷坂さんと友達になりたいんだし」

「…………」


 姫花の言葉を聞いて、吹雪は意外そうに目を見開く。

 こんな馬鹿まじめな人間、見たことがないと思った。


「だからってお前なぁ……プレゼントくらいで許しちゃくれねぇだろ……」


 いくらご機嫌とはいえ、吹雪はとても冷たいことで有名だ。

 一度怒らせた以上、気が済むまでとことんやられる気しかしなかった。

 しかし、吹雪は――。


「まぁ、キーホルダーもらうんだし……一度くらいは、見逃してあげる……」


 意外にも、姫花たちを許してくれた。


「いいの!?」

「一度だけだから! 二度目は許さない!」


 嬉しそうに食い気味で来た姫花に対し、吹雪は若干顔を赤くしながら強調する。

 だけど、姫花は嬉しそうに頷きながら、スマホを取り出した。


「ついでに、連絡先の交換なんて――」

「するわけないでしょ……!」

「ですよね~」


 ワンチャンいけるかなっと思った姫花だったが、吹雪にはねのけられてしまった。

 さすがに、そこまで都合よくいかないようだ。


「まぁでも、許してもらえてよかったよ。私、本当に氷坂さんとお友達になりたいからさ」

「――っ。よ、よく、そんな恥ずかしいセリフを言えるわね……」


「恥ずかしい? 全然そんなことないよ。だって、お友達になるのはいいことでしょ?」

(まぁ、ゆくゆくは恋人になってもらうけどね?)


 そんな思惑を抱きながら、姫花は吹雪に笑顔を向ける。

 その笑顔は吹雪にはまぶしく見え――思わず、顔を逸らしてしまった。


「も、もう怒ってないから、早くどっか行って……! まだ私の前から消えないなら、今度こそ先生たちに突き出す……!」

「わわっ!? そ、それだけは勘弁してよ……! 今日のところは帰るからさ……!」

「次もついてこないで……!」

「わかったって……! それじゃあ、また学校でね! ばいばい、氷坂さん……!」


 これ以上はまずいと思った姫花は、笑顔で吹雪に手を振る。

 そして、莉音と美玖を連れて、すぐさま帰っていった。

 そんな三人の背中を見つめながら――。


「お友達、か……」


 吹雪は、ギュッと猫のキーホルダーを握るのだった。

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