第56話
観覧車の場所まで辿り着き、最後尾に並ぶ。
観覧車と言うだけあってカップルしか並んでいない。
「いよいよだな」
「ええ……」
「大丈夫か? 辞めるか?」
「ここまできて辞める訳ないでしょ!」
「そうか」
そっからは沈黙だ。
桐生は顔を伏せて何も喋らない。
そしてそうこうしているうちに俺達の番が回って来た。
「二名様で宜しいでしょうか?」
「はい」
「ではこちらの中にお進み下さい」
俺達は従業員の案内に従って中に入った。
「最初は揺れるのでご注意下さい」
従業員はそう注意喚起をして扉を閉めて鍵をかける。
その瞬間、雑音が消える。二人だけの空間と化す。
静かだ。お互いの息遣いだけが聞こえる。
桐生は入ってからもずっと俯いたままだ。
そこでガタンッと室内が大きく振れる。
「──え?」
桐生が前方にバランスを崩した。
俺は咄嗟に桐生の肩を支える。
「最初は振れるって従業員が説明しただろ」
「そ、そうだったわね、忘れてたわ」
桐生は一向にこちらを見ようともしない。
室内には沈黙が立ち込め、観覧車がゆっくりゆっくりと上がっていく。
俺はその間、景色を楽しんでいた。
「そろそろ一番上だな」
頂上付近に差し掛かったところで声を掛ける。
「そうね……」
返ってくるのは消え入りそうなぐらい小さい声。
「なあ、桐生……」
俺は腰を上げ、桐生に顔を近づける。
恋愛の教科書には『観覧車の頂上付近でキスをしろ』と書かれていた。
だから俺は今それを実行しようとしている。
「ちょ、ちょっと! 八重島!」
桐生は顔を真っ赤にして慌てふためく。
反応は悪くない。
俺は構わず顔を近づけていく。
すると桐生はやがて覚悟を決めた様に瞼を閉じた。
イケる、このまま押し切れる。
だが距離が近づいた事で気づく。
桐生の体が小刻みに震えている事に。
その震えは紛れもない恐怖を表していた。
それを見てようやく我に返る。寸前で踏み止まる。
一体何をやってるんだ俺は……
計画の為とはいえ、乙女の純情を弄ぶなど。
俺はあと少しで取り返しのつかない事をしてしまうところだった。
「頭にゴミついてるぞ──ってアレ何もないな? すまん見間違えた様だ」
軌道修正する。自分でも驚くぐらい臨機応変な対応が出来た。
「ゴミ? あたしはてっきり……」
「てっきりなんだ?」
「なんでもないわ……」
外方を向く桐生の頬は僅かに赤みを帯びていた。
心臓が大きく高鳴る。
もう気付かないフリをするのはやめよう。 俺は桐生を一人の異性として見ている。だがすまないな桐生……
俺は心の中で桐生に謝る。
これから先、もっと酷い仕打ちをする羽目になる。もう引き返せない。
これは俺が始めた物語だ。
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