第36話

「痛い目見たくなかったらとっとと失せな」

「残念だがそれはやめておいた方がいい」

「怖気付いたか?」

「いや、お前らの身を案じているんだ」

「──は? どう言う──」

「ここは人目のつく場所だ。もし君達が暴力を振るえば誰かが警察に追放する。仮に誰も通報せずとも随所に防犯カメラが設置されているから言い逃れは不可能だ。たかだがナンパ如きで捕まりたくは無いだろ?」


 普段冴えない八重島が今は頼もしく見える。


「行こうぜ兄貴」


 そこで今まで黙って様子を伺っていた金髪が口を開いた。


「うるせえ!」

「冷静になれ兄貴。ここで暴れたらもうナンパもできなくなるんだぜ。兄貴はそれでいいのか?」

「いや、それは……」

「ならここは引くべきだ。今後のためにもさ」

「確かにそうだな……お前のお陰で頭が冷えた……命拾いしたな」


 そう言って男は去って行く。

 ホッと一安心。男の姿が完全に見えなくなったところであたしは口を開く。


「礼を言うわ」


 労いの言葉をかけた。


「お前は馬鹿か」


 ──は?


 あたしは自分の耳を疑った。

 あたしは生まれてこのかた、バカなど言われた事は一度も無い。

 きっと聞き間違いだろう。あたしは疲れているんだ。


「……聞き間違いだと思うけど、今あたしの事をバカって言わなかった?」


 念の為確認しておく。聞き間違いだと思うが、念には念を入れて。


「ああ、言ったぞ」

 

 まさかの聞き間違いじゃなかった。


 はわわわわわ……


 怒りで顔が真っ赤に染まっていく。


「あ、あたしがバカってどう言う事よ!」


 あたしは人目も憚らず叫んだ。

 バカと言われる事はあたしにとってそれ程までに屈辱的な事だった。


「どう見てもバカだろ?」


 態度を改めないどころか先程よりも更に酷くあたしを見下してくる始末。


「バカじゃないわよ! 訂正して!」


 周りの視線などどうでも良い。それよりも今は八重島に訂正させる方が重要だ。あたしの名誉にかけても訂正させなければならならない。


「そうだなバカじゃ無いな、大バカだ」


 謝るどころか、煽る。


 こ、こいつ……


 屈辱で顔が真っ赤に染まる。


「バカバカ言うなし!」

「いや、だって事実だろ?」

「バカって言った方がバカなのよ! バーカ! バーカ!」

 

 すると八重島はこめかみに手を当て呆れた様に溜息を吐く。


「……なんでお前はもっと愛想良く出来ないんだ?」

「……何? あたしが悪いって言うの?」

「そうだ。その気取った態度が男達のプライドを逆撫でしたんだ。自覚無いのか?」

「で、でもあいつらが……!」

「でも、じゃない。現に俺が居なかったらお前はどうするつもりだったんだ?」

「そ、それは……!」


 言い返せなかった。八重島の言ってる事は的を得ている。実際八重島が居なかったらあたしはどうなっていたか分からない。体格で劣るあたしではどう足掻いても体格の勝る男に勝つ事は出来ないのだから。ヤクザの娘と言ってもあたしは一人では何も出来ない。今のあたしはただの一介の高校生だ。


「その感じだとお前自身もよく分かっているようだな」


 内面を見透かされていた。こんな屈辱を味わったのは生まれて初めてだ。


「う、うるさいわね!」


 あたしはその強がるのが精一杯であった。

『弱い犬ほど良く吠える』とは正にこの事だろう。


「今度からは愛想良くするんだぞ」

「わ、分かったわよ!」


 あたしはそう言って顔を伏せる。

 ムカつく。ムカつく。ムカつく──でも不思議と悪い気はしない。

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