第33話

『いや、よく恥ずかしげもなく猫被れるなと思ってな』

 

 白鳥のスマホが震える。

 白鳥は一瞬下を向くと文字盤を親指で叩いた。


『うるせー殺すぞ』


 瞬間記憶能力持ちかよ。天才かよ。


『もしバラしたらテメェの裸の写真ネットにバラまくからな』


 ヤクザかよ。いや、ヤクザの娘だったよ。てか、これ警察に提出したら脅迫罪になるんではなかろうか? いや、ダメだ。勘付かれたが最後、俺の裸はネットの海に流される。それだけは勘弁。


『分かったよ』

『分かれば良いよ』


 急に優しくなんな。情緒不安定かよ。DV夫かよ。


『ギャップ萌えでときめいた?』

『ときめく訳ねえだろ! お前の思考会話どうなってんだ!』

『普段の時と全然違うね……』


 文字越しでも引いているのが分かる。


『オタクは現実ではミジンコだけどネットでは粋がるもんなんだよ!』

『可哀想な人達なんだね……』

『大きなお世話だわ!』


 そこで授業開始を告げるチャイムが鳴った。


 え、もう終わり?


 体感にして数分だ。時間の流れを早く感じる。

 まるで萌えアニメを鑑賞している時のように。


 いや、そんな事はない! 俺が白鳥との時間を楽しんでる筈がない!


 俺は誰に言われるまでもなく、そう必死に言い訳した。


 授業中。

 黒板に書かれた文字をノートに写していると、不意に横腹に痛みが走った。


「痛っ!」


 不意打ちを食らった為に声を出して立ち上がってしまう。

 その瞬間教室が静まり返り、教室内全ての視線が俺に集まる。俺は一躍時の人だ。


「……どうしたんですか? 八重島くん」

「いえ、何でもありません……」

「そうですか……」


 教師は怪訝そうな顔をしながらも追求はしてこなかった。

 空気の読める教師で助かった。これが国語の池谷だったら探偵の如く俺を追求していたことだろう。

 

 何であいつ国語の教師なのに登場人物の気持ち分かんねえんだよ。サイコパスかよ。


「すいません」


 俺は申し訳無さそうな顔で謝って腰を下ろす。

 内心穏やかでは無い。


 な、何なんだよおおおおおおおおお!


 これも全て白鳥のせいだ。

 恨みのこもった瞳で隣を見ると、白鳥は何食わぬ顔でコンパスを握っていた。

 当然今は数学の時間では無い。英語の授業だ。


 何してんだこいつ。俺を消しゴムだと思ってんのか? 人間相手に小学生みたいな遊びしやがって。


 体は大人のくせに思考回路は限りなく幼稚だ。


 こいつ脳に行く分の栄養全て胸に行ってるんじゃねえだろうな。いや、あり得るわ。


 白鳥の胸を見てそう思った。


 さて、どうするか。


 このまま放置すればまた同じ轍を踏むかも知れない。

 だが授業中に話しかけることも出来ない。

 

 どうすればって──あれがあったな。


 俺は白鳥の知恵を借りる事にした。


『あの、痛いんだけど?』


 俺は机の中でスマホを操作してラインを飛ばす。

 今は授業中とは言え、緊急を要する。多少の事は大目に見て欲しい。


『あれ? オタクってツンデレって好きじゃなかった?』

『デレの要素どこだよ。ツンの要素しかねえじゃねえか。あれで好きになってたらストックホルム症候群の第一症状出てるだろ』

『じゃあ裏を返せばツンの要素は満たしてたってこと?』

『まあ一昔前のラノベぐらい過激だけど合ってるんじゃないか?』


 俺は脳裏に某暴力系ヒロインを思い浮かべる。


『ラノベ? の部分はよく分からないけど、合ってたなら良かった──コンパスで刺すのは正解だったんだね』

『いや、ツン(物理)じゃねえよ! 物理的にツンツンしてどうすんだよ! 言動がツンケンしてるって意味だよ!』

『……これが俗に言うツンデレって奴?』


 何で俺ドMだと思われてんだよ。性癖開示した記憶ねえぞ。


『確かにそう言う性癖の人もいるかも知れないけど、俺はノーマルだからな』

『そうだったんだね。てっきり男は全員そう言うもんかと』

『お前は男を何だと思ってるんだ。今すぐ全国の男に謝れ』

『ごめんね』


 ──ブスリ。


 着信の直後に追撃が来た。


「いて!」


 俺は再び声を上げて立ち上がる。

 二度来るとは予想出来なかった。


 孔明の罠かよ。


「……八重島くん、授業を妨害するなら出て行って貰いますよ?」

 

 一度ならず二度目だ。流石に温厚で有名な高橋先生も堪忍袋の尾が切れたらしい。


「す──」

「先生! 授業を妨害しているのは八重島くんだけじゃ無いと思います!」


 そう身を乗り出す様に立ち上がる白鳥。


 ──窮地に追い込んだのお前なんだが?


「……白鳥さん、どういう事ですか?」

「アレをみてください!」


 そう言って指を指す白鳥。

 指の方向を目で追って見ると、桐生が机に顔を伏せて堂々と眠っていた。

 流石ライオン、外敵に襲われる事を想定していない。

 教師の表情が曇る。


「……何が言いたいんですか白鳥さん?」

「先生は先ほど八重島くんに授業を妨害するなら出て行ってくれ、と仰いました。その考えに基づくなら桐生さんも出て行くべきでは?」


 論理的に説明する白鳥。


「寝ているだけなら迷惑は掛けていません……」


 教師は苦し紛れの抵抗を見せる。


「なら今後の先生の方針は生徒が授業中寝ていても構わない、と言う事ですよね? それともまさか教師ともあろう者がただの一介の生徒を特別扱いすると?」

「そ、それは……」

「私も先生の立場は分かっています。酷なことは言いません。ただ私は八重島くんだけが不当な扱いを受けるのが許せないのです」


 お前どの口が言ってんだ。


 しかし何も知らぬ生徒は教師とヤクザに立ち向かう白鳥を羨望の眼差しで見ていた。


 ──マッチポンプやめてくれる?


 白鳥は堂々とした足取りで桐生の机に向かう。


「起きて桐生さん。今はお昼寝の時間じゃないよ」


 強引に肩を揺らす。

 ライオンの眠りを妨げるなど自殺行為だ。室内に緊張感が走る。


「何すんのよ……」


 眉間にシワが寄っている。寝起きのため機嫌が悪そうだ。


「何って、今は授業中だよ桐生さん」「知ってるわよ。だから寝てんじゃない」


 説明になってねえよ。


「桐生さん授業中に寝てたらみんなの迷惑になるよ?」

「ヤクザはみんなに迷惑をかけるもんでしょ?」


 上手いこと言ったつもりか。


「ここではただの一介の生徒だよね」

「そ、それは……」


 お決まりのセリフで桐生を黙らせた。


「それにちゃんと勉強はしておいたほうが良いと思うよ? 将来の為になるし?」


「そんなの必要ないわよ。私ヤクザの娘だし」


 じゃあなんで学校通ってんだよ。


「本当にそうかな?」

「……どういう意味?」

「ヤクザの道に進ませたいだけなら、学歴なんて必要ないと思うけど? 恐らく桐生さんのお父さんは桐生さんにヤクザ以外の道を進める選択肢を残してくれているんだ、と思うな」

「ヤクザ以外の道……」


 それは盲点だった、と言わんばかりの表情だ。

 ヤクザの家に生まれたからには一生死ぬまでヤクザだと無意識に思っていたのか。

 まあ桐生の境遇を考えれば分からなくもないが。


「お父さんの想いに応える為にも、授業は真面目に受けた方がいいんじゃないかな?」

「……分かったわよ。真面目に受ければ良いんでしょ?」


 白鳥はその答えを聞くと満足そうに自分の席に戻って行く。

 俺は珍しく白鳥に感心していた。

 白鳥にもこんな優しい一面があったとは。

 堕天した白鳥にも僅かに天使の頃の残滓が残っていたらしい。

 何だが不意に四葉のクローバーを見つけた時の様な温かい気持ちになる。


『お前、桐生の事をちゃんと考えてたんだな……』


 授業中と分かりつつも、逸る気持ちを抑え切れずラインでそう伝えた。


『え? 桐生をダシに使って私の好感度を上げようと思っただけだけど?』


 やり方が陰湿すぎる。一瞬でも白鳥を信じた俺が馬鹿だった。

 

 現実は非情だな……


 俺は改めて実感する。

 この世に天使はいない、と。

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