第19話
世の中には『怖いもの見たさ』という言葉がある。人は好奇心には勝てない。
「無様なとこ見られちまったな……」
俺は恥ずかしさを誤魔化す様に頭を掻き外方(そっぽ)を向くと──
「桐生さん相手じゃ仕方ないよ」
温かみの籠もった声が返って来た。
俺は驚きの余り咄嗟に白鳥に顔を戻す。
「……慰めてくれているのか?」
「いや、お世辞じゃなくて本心だよ。桐生さん相手じゃ誰だってああなるよ」
「そう──かもな」
桐生の姿を見てそう答えた。
桐生が誰かと楽しそうに喋っている光景が想像出来なかったからだ。
今だって不機嫌そうな面をして取り巻きと喋っている。
女王は孤独か。あいつはあいつで苦労してるんだな……
「──ねえ、八重島くん」
俺の肩がツンツンと叩かれる。
「あひゃっ!」
不意を突かれた為に声が漏れてしまった。
ナチュラルにボディータッチしてくんな! 意識が桐生に逸れてる状況でそれは反則だろ! ボクサーだって不意打ちなら素人の一撃貰うんだぞ。まあ『身構えていたから』と言って『あひゃっ!』を回避出来たとは限らねえけど。
「──あひゃっ?」
復唱せんでええわ。ここテストに出ねえから。
「……どうしたんだ白鳥?」
俺はまるで何事も無かった様に振る舞う。
何事も無かった様に振る舞えば相手も『聞き間違い』だと思い込む。少なくとも追求はしづらい。そう言う心理をついた作戦だ。
「耳貸してくれるかな?」
作戦は功を成したが、驚き返答が返って来て目を丸くする。流石にその返答は予想だにしなかった。
「……耳? どうしてだ?」
「ちょっとみんなの前では聞き辛くて……」
まあ『耳を貸せ』とはそう言う事だろうな。でも俺に何を聞きたいんだ? あって間もない俺に?
俺はしがない高校生だ。情報屋では無い。白鳥の望む情報を提示出来る、とは到底思えない。
──どうする? 断るか?
人によっては『たかが耳打ち一つで何神経質になってんだ?』と思うかも知れないが、事はそう単純な話ではない。
物事には表と裏がある様に、このクラスにも表と裏がある。表が白鳥で裏が桐生だ。つまりクラスの視線は桐生と白鳥に集まっている。
チラチラとこちらの様子を伺う者。寝たフリをしてこちらに聞き耳を立てている者。その数は計り知れない。陰キャは視線に誰よりも敏感なのだ。陰キャは陽キャ様の邪魔をしない様、日々慎ましく生きているのだから。幾ら無関心を装おうが長年陰キャを務めて来た俺の目を掻い潜る事など出来ない。今白鳥に耳打ちされようものなら、男達の剥き出しの殺意に晒される事になる。出来ればそれは避けたい。だが白鳥の言葉を拒絶するのは心が痛む。罪悪感が湧く。それに白鳥とはお隣さん同士だ。気まずくなっても離れる事は出来ない。少なくとも毎日顔は合わせる。気まずかろうが席替えが行われるまでずっとこのままだ。なら今後の関係に響く様な発言は慎むべし。白鳥に耳打ちされるのは致し方無い事である。決して『白鳥に嫌われたくない』とかそんな男心が働いた訳ではない。断じて違う。俺はそう自分で言い聞かせて口を開く。
「ああ、構わないぞ?」
すると白鳥はグッと俺に身を寄せて来る。
どんだけ距離詰めてんだよ。そこ間合いだろ。戦国時代だったら確実に斬り伏せられてんぞ。
だが密度が狭まった事で必然的に甘い匂いが増し、そんな幼稚な思考など吹っ飛ぶ。
甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐり、理性を刺激し、頭がクラクラする。
そして男子の夢と希望の詰まった大きな塊が制服越しに肘に押し付けられた事で、ドクンッと心臓が大きく高鳴った。それを歯切りに今まで正常な時を刻んでいた鼓動の針が狂い出す。波打つ鼓動が早まる。体は『ポカポカ』と暖かい。制服越しに伝わってくる白鳥の体温。視線が白鳥の大きな胸に惹きつけられるのは男の性だ。白鳥の形の良い大きな胸は俺の肘に押し潰され、原型を留めていなかった。見た目以上に弾力があり、『肘を押し返そう』と懸命に足掻いてくる。これが俗に言う『当ててんのよ状態か?』と思い顔を上げてみるが、白鳥に気付いた様子はない。俺は肘で天使のオッパイを堪能して事なきを得る、と言う快挙を成し遂げてしまった。これ以上ない役得だ。
ヤバイよ、ヤバイよ。
口調が某リアクション芸人になってしまう程、俺は混乱していた。いや、例え修行僧だろうと白鳥のオッパイの前では屈してしまう。破壊僧に成り下がってしまう。例え素数を数えたところで煩悩を振り払う事など不可能だ。天使のオッパイの前ではどんな戦術も意味を成さない。
「……あれ? 何か硬い物が当たった様な……」
おい、やめろ。
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