第15話 冒険の始まり




(………枇杷の舟笛に拒絶されておる)


 陵牙ときみどりを連れてこの場に戻って来た五月のりゅうは、ごくごく短い時間ではあったものの品のある音色を奏でてはこの身を響かせられたので、褒めてやろうと思っていたが、凛太郎が持つ枇杷の舟笛を見て止めようと判断した。


(吹く際の一呼吸、一呼吸の熱量が強大で枇杷の舟笛の方が音を上げるとは)


 五月のりゅうは乃蒼を見た。

 ぺしぺしと凛太郎の頬を叩いていた乃蒼もまた、しっぽを雲の上に下ろして五月のりゅうを見た。


(好きではないが嫌いでもなく。無関心でもない、か)


 三つ目の猫は幻の十二月の動物たちとは違うが、見つめ合えば大体何が言いたいのかはわかる五月のりゅうは、未だにふがふごと大きな音を出しながら枇杷の舟笛を吹き続ける凛太郎の肩に五本の指の内、爪を当てないように一本の指を乗せてこの時間の特訓は終了だと言った。

 凛太郎は素直に枇杷の舟笛を口から離して、ポケットに入っていたハンカチで涙を拭った。


 気づいていないだろうな。五月のりゅうは思った。

 恐らく、凛太郎は枇杷の舟笛を吹かせられたことに気づいていない。

 気づいていたなら、もっと飛び跳ねて喜んでいるはずだ。

 しかし、一切そのような動きがない。

 つまり、気づいていないのだ。


(枇杷の舟笛を自由自在に吹けるまではこの雲の上にいてもらっていたが)


 今までは大抵。

 けれど。


「凛太郎」

「はい」

「わしの名前は爛夛らんただ」

「はい。あ。俺の名前は米田凛太郎と言います」

「知っている」

「はい」

「おまえたちの旅に同行する」

「え?」


 凛太郎の爛々と輝いた目はしかし、戸惑いの色に染まった。


「あ、でも俺、枇杷の舟笛をまだ吹けていないので、ここから離れられません」


 凛太郎はここに連れて来られる時に、爛夛に言われていたのだ。

 枇杷の舟笛が自由自在に吹けるようになるまでこの場所から離れられないと。

 まだ吹けていはいないのだ。

 離れられない。


 凛太郎は爛夛の傍にいた陵牙と陵牙の肩に乗る初めて見た黄緑の烏に、待っていてくださいと頭を下げた。

 時間制限があるのだ。

 早く吹けるようにしなければならない。

 自分だけの問題ではないのだから。


(鈴月様は王になりたいんだから)


「乃蒼?」


 凛太郎が顔を引き締めた途端、乃蒼がまた頬をぺしぺしとしっぽで叩き始めた。


「乃蒼。俺、今泣いてないよ」


 本当に一滴すら出ていないのに、乃蒼は頬をしっぽで叩き続けている。

 強くはない。けれど弱くもない。


「乃蒼。俺、吹けるようになるから」

「凛太郎。夕飯にしましょうか?ここはずっと明るいようですが、もうその時刻ですから」

「え?あ。そうなんですか?ああ。そう言えば。お腹が空きました。あ!手伝います!」

「そうですか。では、爛夛様。ここで人間が食べられるものはありますか?」

「ああ。この先に湖がある。その中に泳いでいる雲魚は人間でも食べられる。ただすばしっこいやつだから、捕まえるのには苦労するぞ。あとその湖の水は飲める」

「ありがとうございます。凛太郎。行きましょうか?」

「はい!」


 行ってきます。

 その場に残った乃蒼と爛夛に大きく手を振って、陵牙ときみどりと共に向かった凛太郎の背中を見ていた爛夛は、乃蒼の頭にそっと手の甲を乗せては、少しだけ撫でて手を退かせた。


「真面目な顔は似合わないなど言ってくれるな」

「なぁあ」

「ふっ。まあ。短くも長い旅になりそうだな」

「なぁあご」











(2023.5.5)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る