第二十九話 その時、何があった。
「……?」
警戒は解かない。耳を澄ませる。肌で感じる空気に違和感はないか。油断をさそっているのか。≪模倣犯≫の知る限り、小細工をするタイプではない。だからといって、絶対しないわけではない。模倣が≪撲殺≫を知ったこの数日で、ただあまりやらなかっただけかもしれないのだから。
猪突猛進なタイプかと思いきや、テクニカルな一面もあるとすれば。それは警戒の幅が広がり、面倒であることこの上ない。下手に動かず、視覚からの情報に頼り過ぎず、死角への警戒も怠らない。だが、一向に動く気配はない。
―― ≪撲殺≫死亡ーーー!!!! ≪撲殺≫!! 突然倒れたと思いきや、チョーカーから生体反応が消滅しました!! 有力候補の≪撲殺≫、死亡です!!!! ――
アナウンスが響く。屋上の入り口の上にあるメガホンのような形から、参加者とは真逆のテンションが現状を告げる。≪模倣犯≫はそれを見て、≪撲殺≫を見た。
ぶ厚い胸板は動いていない。地面に落ちた顔は青白い。口の端から垂れる涎。開かれたままの目はあらぬ方向を向いている。身体はまだ温かい。
「……君がやったのかい?」
その問いかけに対し、業は小さく頷いた。
―― なお、死因は『毒殺』です! プレイヤー≪毒殺≫はすでに死亡し、仕掛けたプレイヤーの履修殺害方法ではないため、ポイントは消滅します!! 生き残っている皆さん、がんばってください!! ――
棒立ちの二人は体を向かい合わせにする。片や最高得点保持者。片や未だ無得点者。このゲームを終わらせる条件は、≪模倣犯≫が業を殺すか、業が囚人を一人殺してポイントを獲得するか。業がポイントを獲得する場合、それは、≪模倣犯≫である必要はない。
「少し納得いかないなぁ。君はほとんど何もやっていないね?」
「毒を撒いた」
「まあ、そうだけどね、効果が出るまで僕に相手をさせるつもりだったのかい?」
「自分が勝ち残るのが目的だからな」
「でも、そうやって他人になんでもさせていると、自分は得点なしのままだよ? 現に今もアナウンスは流れなかったしぃ」
「俺は勝ち残る。そのために必要ならばちゃんと殺す。だが、自分が手を下さなくてもいいのなら、任せる」
「ふふっ、ずるい。ずるいなぁ。どこかの誰かにリスクを負わせて自分は安全圏なんて……」
友達と談笑しているかのように、≪模倣犯≫は笑う。
業の後ろの入り口から、シュナがおずおずと入ってきた。奇しくも。生き残った三人。このうちの最低一人は死ぬ。ゲームが終わるには、誰かが殺して、死ぬしかない。
「ちょっと予定とは違うけど、約束通り話をしようか」
≪模倣犯≫は手をひらひらさせる。業に向けられたそれではない。業の横を通る、シュナに向けられたものだ。
屋上に風が吹く。いつの間にかうすら明るく、日が顔を出しそうだ。≪模倣犯≫、そしてシュナの背後から明るくなる。後光は二人を照らし、業は崇める対象を見つめているような立ち位置をしている。
かつて、業は『神の代行者』となるべく教育を受けた。あれをやれ、これをやれ。それはよくない、どれがよい。母親は自分ではなく自分の達成したものを見て機嫌を変える。父親との接触は制限された。妹はいないものとされた。孤立。孤独。母親がいてもいないも同じ。業は、自分のなにを求められていたのか。業自身でないのは明らかだった。業は、自分は何をしたらいいのか、何がしたいのか、わからなかった。
業の両親が離婚してからも、業は自分がわからないかった。何をしても虚無感が襲う。自分を見てくれていない、寂しさが心を埋めた。毎日の習い事が突然なくなっても、それは変わらなかった。面会でたまに会う父も、どこか不気味なものを見るようになっていった。業は他人の目に敏感だった。自分ではない何かを見ている目を、気味悪がった。他人と接することを避けた。
だが、空木は業自身を見ていた。だから、業はここに来たのだ。『自分』を見てくれる相手が貴重だったから。大事だったから。
だから、大事なものを奪った相手が。空木を殺した相手が、憎い。
シュナが≪模倣犯≫の正面まで歩いたところで、業に向き直る。その顔はどこか気まずそうで、業を直視していない。シュナの肩に手を置いた≪模倣犯≫とは対照的。シュナの顔を覗いた≪模倣犯≫は、「やれやれ」と言った。
「シュナが言わないなら僕が言うよ?」
「……うん」
「わかったよ」
頭をポンポンと。恋人か。兄妹か。中の良さそうな光景に、業の心は何も感じ得ないように表情を崩さない。日の光がシュナを照らす。風が吹いて、短い髪が揺れる。顔周りの髪が払われる。
「僕、君の妹は、シュナだと思うんだよねぇ」
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