愛がなくっちゃね


「よーし、今日は思いやりドッジボールだぁ!」


「わああああああ!」


 晴れ渡った夏色が眩しい青空の下、体育の時間に僕がそう叫ぶと、子供達の嬉しそうな声がグラウンドに響いた。


 思いやりドッジボールは僕の考案したゲーム。通常のドッジボールと違って、ボールを持った子は敵チームの1人を指名し、ボールを思いっきり高くフライで投げる。


 指名された子がキャッチ出来たらセーブ。ドッジボールと違うのは、落としたら投げた子がアウト。男の子はノーバンじゃないといけないけど、女の子はワンバンまでOK。ちゃん取ったら攻守交代。わざと落としたりはなし、審判は僕、たまに参加。


 子供達にはどうしても体力差があるから、キャッチボールの要素を取り入れてみた。それでもボールを上げる高さは違うから仕方ないけど、まぁ楽しんでと言う感じ。


 それと全員が敵チームで常に違う子を指定して投げる。仲の良い子以外でもみんなで遊んで欲しいから。


 更に僕が「アタック!」と言うと、ルールは通常のドッジボールに戻るけど、コート内の人間は攻撃なし。枠の外にいるアウトの子にパスを回し、その子達が攻撃して成功したら復活してもらう。参加が増えないと面白くないから。


 まぁ、ざっくりこういう終わりが中々ないルール。


「じゃあ、冬花!」


 さて、もつ鍋が冬花を指定して、周りの子供達から軽い冷やかしと、歓声が上がる。


「う、うん!」


 冬花は緊張しつつ、口をキュッと結んで真剣に構える。


 もつ鍋が腰を落として、ボールを股の間に持って行って、伸び上がる様に両手を大きく振り上げ、「この間は宿題手伝ってくれてありがとう!」と叫んで投げた。


 この思いやりドッジボールは、投げる瞬間なんでもいいから相手に感謝の言葉を添えないといけないルール。


 大きく投げたボールは綺麗な放物線を描いて空に昇って落ちて来る。少しくらい落下点が枠から外れてもOKだけど、これは綺麗に敵陣に落ちてゆく。


 ボーン!


 ボールはワンバンしてもまだ高く跳ねて、冬花はあわあわと追いかけ、抱き着く様にしてキャッチした瞬間、「また、いつでも見てあげる!」と叫んだ。


 思いやりドッジボールは、キャッチする側もちゃんと返事をするのがルール。このやり取りで笑いを狙う子達もいて盛り上がる。「この間はくさいおならで起こしてくれてありがとう!」、「次はうんこするね」とかいう感じ。勿論、悪口なんか言ったら正座だ。誰も言わないけど。


 冬花がキャッチしたボールを抱きしめていると、同じチームの仲間が肩をボンと叩いて、「ナイス!」と声をかけ「えへへ」と笑った。


 冬花はちょっと照れながら、それからみんなとハイタッチをしていた。






 あれから2ヶ月。


 もうすぐ皆んな大好き夏休みだ。


 僕はずっと冬花に愛情を注ぎ続けた。もちろんそれは今も変わらない。彼女の笑顔が無理をして頑張っているのか、心からのものなのか、それは僕が決める事ではない。


 強張っていたその心が少しだけ緩んで、絶望や不安が僅かでもしぼんでくれていたらいい。僕は結果を性急に求めているわけではなくて、ただ寄り添っていくだけだ。


 僕が最初にした事。


 それは買い食いやよりみち。クレープを買って、パンケーキも食べて、ショッピングセンターを散歩して、もつ鍋やフェアリーと共に一緒に遊んだ。


 冬花はとてもぎこちなかったけど、それでも何かを覚悟する様に楽しもうとしてくれた。僕は冬花には内緒で彼女のお母さんにも全てを話し、これから帰りが遅くなる事、そして僕が行う事を説明し了解も取っている。


 さらに僕は事前にもつ鍋とフェアリーにも、事情を正直に話して相談した。


 丸々太った竹田くんこと「もつ鍋」はとても男気のある子で、「先生、僕も協力する」と力強く言ってくれた。目力の強い鈴木さんこと「フェアリー」は女子の中でも姉御肌、「許せない」と怒りを露わにやっぱり協力してくれた。


 二人は人気のある子達で、うちのクラスを越えて学年で人望がある。


 僕達3人が考えた事。まず休憩時間は二人が出来る限り冬花を仲間に入れてガードする。さらに、僕はお昼休憩は必ず冬花を含むみんなと食事をして、職員室に帰らず教室で必要な作業をした。


 放課後も僕は冬花と一緒に帰る。絶対にいじめる子達を近づけない。彼女を送った後に学校に戻り仕事をした。職員会議も平気でさぼっちゃう。とても怒られるし、言い訳も大変だ。でも構わない。さらにクラスの別の子達を一緒に誘って、いつも一人でいた冬花にどんどん紹介してゆく。


 さらにもつ鍋とフェアリーが影で動いてくれて、冬花をいじめていた子達を絶対に近づけない様にそれぞれの友達に働きかけてくれた。


 とても早い段階でその動きは功を奏し、人気者の二人に加え僕のクラスの子達の持つ「子供口コミネットワーク」は瞬く間に広がり、陰湿ないじめを行なっていた子供達は、学年内ではぶられてゆく。


 僕は教育者として、いじめていた彼女達を救い導くなんて事はしない。最低限の見守りだけは行うけど、嫌われ、孤独に陥る事を知るべきだろう。それでもふてぶてしく自己肯定をしている風ではある。この手の子供達は、大人が考えるより遥かに悪質でしぶとい。僕は変化が生まれるかどうかだけを観察するだけ。


 現在の教育システムでは、彼女達に制裁や罰を与えるのはとても難しい。


 大人の判断は、いじめ加害者にとても甘い仕組みだからだ。


 僕はそのジャッジを子供達に託す方法を取った。子供達の世界には子供達の善意や悪意が渦巻いていて、そこにはヒエラルキーが存在する。平等なんて上辺だけ。特に義務教育は地区でごっちゃまぜな子供達が集まる凶悪な仕組みだ。


 大人で考えてみるといい。その地区でしか会社を作れず、就職も一緒だとするとどうなるか。反社や詐欺師と同僚になって、毎日机を並べて仕事をしなければいけない。そんな事、誰も耐えられないだろう。でも子供達はそれを毎日強要されている。子供だからと甘く見てはいけない。彼らは彼らでキチンと人格があり、悪意や善意を持ち、大切な成長期の中、精一杯な状況を強いられているのだ。


 その上で社会的な法が通じにくい隠蔽体質で密室なのが学校だ。


 でも、悪い事ばかりじゃない。


 もつ鍋やフェアリーみたいに、無垢で純粋に善意を発揮する子供達が大勢いる。子供達は生活の為に稼がねば生きていけないという点において、大人達とは違う。そこに人間関係の打算や妥協を含まない、そんな心を基準とした行動原則が存在する。誰かの為に素直に動ける心がある。


 僕は僕と言う大人が「冬花を守る」という姿勢を子供達に見せた。


 そこに賛同してくれた善意ある子供達が、僕の意志を汲んでくれたのだと思っている。





「ふぇっぐ、うえっぐ、先生……」


 最初の頃、他の子供達と別れ僕と冬花が二人きりで帰る時、彼女はよく泣いた。


 ぽつぽつと思わず苦しみを語る小さな女の子は、とても儚くて頼りない。僕の行った急激な変化に戸惑うばかりだ。それを消化しきれないまま、無理をさせてしまっているけど、思いやりのある彼女はその気持ちをちゃんと受け取ってくれている。


 だから、僕は公園のベンチに座って彼女を何度も、何度も、何度も、慰めた。


「……、先生、怖い、復讐される、怖い、もっと酷くなる」


 恐怖に囚われ、様々な感情が彼女を悩ます。


 数年間も続いた地獄、その傷はそう簡単に消えるものではない。


「冬花、もう見なくていい、僕が側にいるから」


 僕はそう言って泣きじゃくる彼女をギュっと抱きしめる。


 先生と生徒、大人と子供、モラルから考えればやってはいけない事だけど、崖から落ちてゆく人間に手を差し伸べられない馬鹿はいない。


「……、先生、うわぁぁああああんん」


 心が張り裂ける悲痛な涙が、僕の胸一杯に落ちて来る。


 だから、僕は彼女の壊れてしまった心の隙間に愛を注ぐしか出来ない。


「僕は冬花を守る。これは絶対の約束」


「ううっ、でも怖い、怖いよぉ、先生、私は何もしてないのに、ふぇっぐ」


「僕は冬花の手を離さない、暗いトンネルを歩くなら一緒に歩く。一緒に手をつないで、僕が懐中電灯を持って前を歩く。深い海に落ちてゆくのなら、僕が手を握って溺れない様に泳いであげる。辛くて泣きたい時は、僕が側にいる。だから一人で泣かないで。一人で見つめないで」


「……うううっ、でも、絶対にあの子達がやって来る……」


「いいや、絶対に来させない、そんな事は許さない。僕が冬花の側にいる」


「ふっえぐ、でも、先生のお仕事が出来なくなる……」


「そんなの大丈夫、先生はいつも教頭先生に怒られるから、いまさら何も問題ない」


「……、ううっ、ひぐっ、先生、それでいいのかな、先生……」


「冬花、僕は僕の持てる限りの愛を全部冬花にあげる。僕は僕の生み出せる愛も全部冬花にあげる、僕は冬花が泣くのならハンカチになってあげるし、冬花が辛いと思うならクッションになってあげるし、冬花が絶望するなら全力でレスキュー隊員になる。だから、孤独を探さないで、一人ぼっちにならないで。僕は胸いっぱいの愛を抱えて、いつでも冬花の側にいるからね」


 僕はそう言って、彼女の頭を優しく、何度も、何度も撫でてあげた。


 僕はこの2か月、ずっと冬花の側にいた。










 夏の日差しは眩しいけど心地よい。思いやりドッジボールで冬花は手にしたボールを僕に向けた。


「先生!」


 どうやら受け手は僕が指名されたみたいだ、ルール上これもあり。


 僕は相手のコートに入って「よし、来い」と構える。


 冬花は股の間にボールを持って行き、伸びあがるように勢いをつけ、大きく腕を振り上げ、空に向かってほおり投げながら叫んだ。


「先生、いつもたくさん励ましてくれてありがとう!」


 初夏の澄み切った青空に吸い込まれる様に、ボールは気持ち良さそうに高く高く昇っていった。




                             おわり

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