BAD COMMUNICATION

 貧困街を抜け、青年は人気のない商店街の路地裏に逃げ込んだ。ゴミ箱の上に腰を下ろし、大きく息を吐く。


「疲れたぁ……やっぱり、ああいう人と話すのは疲れるなぁ」


 がっくりと肩を落とした青年はフードを脱ぐ。その下から現れたのは金髪蒼眼、絶世の美青年だった。彼は目の前に立つ少女の手を取る。


「君を助け出せて良かった。……久しぶり、ステラ」

「……誰?」


 首を傾げたままの少女、ステラに青年は一瞬狼狽えたが、すぐにその意味を解した。彼の後ろ向きな思考はこの種の場合においてよく役に立った。


「覚えてないかもしれないけど、ほら、あの時、森で迷子になったところを助けてもらった……」


 しどろもどろになってしまい、頬を赤らめる青年にステラはかつて自分が窮地を救った少年の面影を見出した。


「メビウス……?」


 青年は子供のように目を輝かせて強く頷いた。


「そう、メビウス!……良かった、思い出してくれて。この街から抜けよう。まずはその服を……」

「そこにある」


 安堵の胸をなでおろすメビウス。そして彼の座っていたゴミ箱の陰からステラは薄汚れた布の袋を引っ張り出した。


「持ってて、着替えるから」

「着替えるって、ここで……!?」


 袋の中から使い込まれた旅装束を取り出すとメビウスに差し出した。動揺しつつも服を受け取ったメビウスの前で、目を背ける暇も与えずステラは自分が身に纏っていた簡素な布を乱雑に剝ぎ取った。


「……ふぅ」


 まるで蛹から羽化した蝶のような、軽やかな彼女の息を吐く動作は妖精を思わせた。触れたら壊れてしまいそうな細い裸体は彫刻を想起させる。


 メビウスは息を飲んだ。


 腰ほどにもある白銀の髪を揺らしながら、囚われの妖精は一糸纏わぬ姿でメビウスに歩み寄ってくる。


「着替え、渡して」

「あ……」


 幻想を見ていたような気分のメビウスはステラの声で現実に引き戻された。ステラの言葉を聞いていなかった彼は彼女の着替えを抱えたまま凍ってしまう。


 その様子をどう受け止めたのか、ステラは振り向いて両手を広げた。


「じゃあ、メビウスが着せて」

「え……あ、うん。分かった」


 恐る恐るメビウスは旅装束を広げ、ステラの背後に立つ。


 旅装束はステラの特徴に合わせ、様々な加工が施されていた。彼女のことをよく理解していなければ、この服を作ることは出来ないだろう。早まる鼓動、メビウスはそっとステラに旅装束を被せた。


「ありがとう」


 ステラはもぞもぞと旅装束から頭を出し、脇の下と袖に付けられたボタンを留めた。そうしてステラは、街を行き交う人々と遜色ない恰好になった。が、メビウスの鼓動は止まない。


「す、少し休憩させてもらってもいいかな?近くに知り合いが経営している店があるんだ」


 頷いたステラと共に、メビウスは煉瓦造りの喫茶店へと駆け込む。


 青い顔をして入って来た彼に顎髭を蓄えたマスターは駆け寄ってくる。久闊を叙する場合では無いことは一目瞭然だった。


「おいおい、大丈夫かメビィ。また柄にもないことしたんじゃなかろうな」

「うん、随分と無理をしたとは思う。いつもの場所、借りるよ。客人が居るんだ」


 マスターの視線の先でステラが扉を開けて入って来た。殺伐とした店内の空気に飲まれることなくメビウスとマスターに近付いて来た彼女を見て、マスターは理解する。


「メビィ……お前も成長したなぁ……!」

「えっ?い、いや僕らはそういう関係じゃなくて……ああもう、ステラ、付いて来て!」


 泣き出すマスターに嫌気が差したメビウスはステラの手を掴んで店の奥へと引っ張って行く。


 恥じらいが姿を現したのは壁で仕切られたテーブルに座ってからだった。


「ごめん、引っ張ったりして……」

「気にしてないよ」

「そっか……」


 上手く会話が続かない。


 ステラとの再会を喜びたいメビウスではあったが、彼女があの貧困街に居たことを考えれば真っ当な道筋を辿ることが出来たとは考えられない。


 とりとめのない話をしようかとも考えたが、生憎彼には場を温めるような話のタネの持ち合わせはなかった。


「お二人さん、飲み物はいかがかな?」


 幸い、気を利かせたマスターがビールを運んできてくれた。だが、ステラは目の前に置かれたカップの中の飲み物を見て顔をしかめた。


「おや、ビールは苦手だったかな?それは失敬、下手に気取らず清め水にでもしておこうか」

「あ、じゃあ僕も水で」

「おいおい、可愛い子の前で気取ってんのか〜?」


 茶化すように笑ったマスターは再びカウンターへと戻っていった。メビウスは幼馴染みの配慮に心中で謝辞を述べつつ、口を開く。


「やっぱり、まだ人口のものには慣れてないんだ」


 ステラは小さく頷いた。マスターが新たに持ってきた水のグラスを受け取ると、細い舌を出してチロチロと舐めていた。


「あの時君と一緒に暮らしていた狼達……セネカは元気?」


 彼の記憶には人語を話す狼の群れと暮らしている彼女の姿がある。せめて温かい記憶である森を呼び覚ませるように彼なりに思索した結果だった。


 ……誤算があるとすれば、彼女の下には幸福な結末など訪れないという皮肉な運命だけだ。ステラはゴトリとグラスを置く。


「……死んだよ、みんな」


 メビウスは絶句する。残された彼女の孤独を思えば自分が抱えてきた重責など取るに足らない。ステラは失言を悔やむメビウスへと問い掛ける。



。知ってる?」



 その男の名を聞いたメビウスはピタリと動きを止めた。彼の脳内で再び善悪の光が回り始める。一つは彼女に助力する道、もう一つは……。


「うん、知っている。……その、もし、ステラさえ良ければさ、その人のところまで案内させてもらえないかな?」


 その考えが思考に到達する前に彼は仄暗い光を握りつぶした。命を救われた恩を仇で返すことなど、青年には到底出来そうになかった。


「お願い。教えて、欲しい」


 メビウスの提案にステラは迷うそぶりも見せず頷く。


 頼りの無いステラにとってメビウスの助けは大きい。だが、彼女にはそれより先に為すべきことがある。投げ掛けられた視線を受け取ったメビウスは日の沈みつつある窓の外へと目を走らせた。


「そうだね、まずはあの子達を助けに行こう」


 立ち上がろうとしたステラの手を咄嗟にメビウスが掴む。彼女はまだ、彼のことを仲間として見ていない。だから、何としてでも繋ぎ止めておきたかった。そうでないと、きっと彼女は独りで傷付いてしまう。


「これからよろしく」

「……うん、よろしく」


 手を取り合う二人の様子をカウンターから腕を組んで眺めていたマスターの肩を行列の先頭に居た客が突いた。


「……ちょっと」

「あ、すみませんお客様!お待たせいたしました」


 大慌てでマスターはカウンターの前に出来た行列を捌き始めた。

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