壱ノ話
奴隷姫、解放の刻
青年は周囲の喧騒に嫌悪感を覚えていた。厚い外套を纏い、深くフードを被っていても尚、ヒトをヒトとも思わないニンゲン達の声は鼓膜から彼の中に入り込んでくる。
貧困街の視察などという無意味な目的のために数か月も時間を費やしたことを今さらながら後悔していた。
貧困層に取り残された人々。その多くは今、青年の歩くこの道で腐りかけた何のものか分からない肉や野菜を黄ばんだ布の上に広げ、道行く人々に金銭を乞うていた。
漂う悪臭から少しでも逃れようと、青年は息を止める。
「ちょいとそこの兄さん。幸の薄そうな顔をしているね」
路地の入口で不意にローブの袖を掴まれ、青年は足を止めた。ぎょっとして顔を向ければ、異様に鼻の高い商人がそこに立っていた。
青年よりも一回り小さい彼を振り払うことは容易かったが、何か、この男を放っておくわけにはいかないという思いに駆られ、ローブを掴む腕を握る。
「そう怒りなさんな。旅には……道連れが付き物だろう?いい
ローブから手を離した商人の背を追い、路地に入り込んだ青年を巨大なテントが待ち受けていた。戻るなら今しかない。だが、意を決した青年は蜘蛛の巣のように路地の壁に固定された入口を潜る。
青年は生まれてこの方
暗がりに目を慣らし、青年は徐々に妖艶な装飾の施された室内を知ることとなる。胸が躍る……か否かは個人によって異なるだろう。
そして青年は……フードの下で強い後悔に苛まれていた。
「ようこそ、俺の店へ」
テントの中央に置かれた安楽椅子に商人は腰掛ける。壁際には奴隷として捕らえられた少女達が物憂げな表情で並んでいた。この場に居ながら、彼女らを助けられない不甲斐なさに青年は目を伏せる。
「そう緊張するなよ。リューゼン、客人に水を」
「はぁ~い」
気怠げな声を連れてやってきたのは他の少女達より煌びやかな召使い用の服を着たツインテールの少女。手に持った盆には水の入った小さな器が乗っている。
少女は青年に器を手渡すと、フードの下を覗き込んで歓声をあげる。
「あれ?お兄さん結構イケてる人?私を買っていかない?」
「おいリューゼン、言葉には気を付けろよ?」
ふん、と商人とは反対に顔を向けたリューゼンは不機嫌な様子のまま立ち去っていった。
「話を戻すぜ。オススメは右端のパテルだ。少々小柄だが、育てりゃ悪くねぇ。兄さんみたいな将来性のある人にしか渡せねぇさ」
商人の男は特徴的な鼻をクイ、と上に上げる。無造作に伸ばされたセミロングの髪を持った少女、パテルは青年が歩み寄ると、怯えた様子でぬいぐるみを抱えて後退りした。
「おい、お客様だぞ」
商人が声を荒らげるとパテルはビクッと肩を震わせ、青年に歩み寄った。指導の通りなのか、彼女は潤んだ瞳で彼を見上げる。
「……!」
青年は息を飲む。この年の少女が他者にここまで恐怖を覚える、異常な世界であることを青年は痛感した。商人は動揺する青年をどう勘違いしたのか、あくどい笑みを浮かべながら彼に向けて指を振った。
「もし迷っているなら、一晩だけ貸すことも出来る。お試しってやつだ。言っちゃなんだが、その子も何回か借りられてるんだぜ?」
「……何回も」
薄い布の服から覗く傷の痕を見て合点がいく。
青年が今まで直視して来なかった、奴隷という人々の扱いはあまりにも乱雑で、まるで玩具のようだった。彼女らはその体を都合よく扱われ、都合よく捨てられる。
今すぐにでも彼女達を解放したい衝動に駆られた青年だが、彼がここで騒ぎ立てたところで何の解決にもならない。
商人は壁際に戻ろうとするパテルの腕を掴むと、青年の下へと引っ張って行く。どうやら、一息と買わせようとしているようだ。男も男で買い手が付かず焦っているのだろう。
「どうです、兄さん。なんなら今ここで脱がせてみせようか」
悪辣な笑みを見せた男はパテルの服を乱雑に掴む。だが、そのしわだらけの右手を枷の付いた細い手が弾いた。
「……やめろ。パテル、嫌がってる」
妖精のような銀髪の少女だった。
憐情を誘う雪のような白に青年の目は自然と奪われる。両腕と首にそれぞれ填められた不格好な鉄の枷も、彼女の儚さを強調していた。
「てめぇ……ぶっ殺されてぇのか!いつもひらひら躱しやがって……おい、お前ら、そいつ押さえとけ!」
商人が素早く腰に提げた鞭を引き抜いた。他の奴隷少女たちがあたふたと少女の身体を掴む。しかし、その掴み方では鞭は彼女らにも罰を与えるだろう。商人は構わず鞭を振り上げる。
だが、その鞭が振り下ろされるより先に青年が商人と少女の間に割って入った。
「買った。彼女はもう貴方の所有物じゃない」
青年は商人の前で数枚の金貨を広げて見せた。
舌打ちをした商人は値段の数倍もの金貨を奪い取るように受け取ると、少女を押し飛ばすように青年へと差し出した。青年は少女の身体を受け止める。
「ひゅー!カッコいー!」
傍から見ていたリューゼンが囃し立てた。
「あんた、絶対後悔するぜ。そいつは狂犬だ。あんたの言う事なんて聞きやしない」
「構いません。さぁ、彼女の枷を外してください」
青年は腕の中の少女を見る。殺気を放っていた少女は彼の腕に包まれて落ち着いていた。商人はすっぽりと収まっている少女に目を丸くする。
「……驚いたな。随分とお似合いらしい。……悪いが、俺にそれは外せない。俺が買った時からついてたんだ。オマケみたいなものだと思ってくれよ」
青年は険しい表情のまま、腰に差す剣の塚を掴んだ。商人は目の色を変える。
「待てって、別にふざけてる訳じゃねぇ。本当に外れないんだ。俺の推測だが、そいつは物理的な枷じゃない。呪いだよ。解くには術者を殺すしかねぇ。あんた、奴隷にそこまでしてやるか?」
「……」
態度をコロコロと変える商人を見限った青年は少女を連れてテントを出る。テントを出る際、少女が他の奴隷たちを一瞥したことを青年は見逃さなかった。
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