プロローグ
窓から降り注ぐ日の光が疲労感の残る目に眩しい。もう産まれたのだろうか。煌びやかな廊下に置かれた椅子に座り、王はじっとその時を待っていた。
隣には王妃の忠実な世話役であるマキャベリ・シーカーが美しい銀髪を撫でながら立っている。長きに渡り王妃に付き添った身として、彼女は昨夜からずっとこの場所に立っていた。
「怖いか?娘」
「……はい。赤子の世話など初めてですので」
二十も年の離れた侍女の答えに王は舌打ちする。
永く国の頂点に君臨し続けた代償として、とうに信頼という感情を失っていた。
この女も、他の侍女達と同じく、妃への忠誠心など微塵も在りはしないのだと、理解していた。加え、横に立つこの女は妃の懐胎より何度も夜の相手として王と体を重ねてきたのだが、ただの一度もその心が彼に寄ることはなかった。
「ほぅ……」
故に平素よりその鋼の心を陥れる策を講じていた彼だが、好機である。不敬であると、後ろ指を差せる。
と、勢いよく開いた扉の音が王の開きかけた口を塞いだ。
「王、ご息女様が生まれました!ですが、妃様が……」
中から現れた男の白衣は所々血で汚れている。顔面蒼白の男を押しのけて、王は部屋の中に飛び込んだ。
部屋の中心に置かれた純白のベッドの上で、彼女は眠るように死んでいた。お世辞にも彼女は容姿端麗とは言えなかったが、王にとっては最愛の人に違いなかった。
王は彼女の肩を掴み、何度も、何度も名を呼ぶ。応答は、ない。悲痛な声が響く。
「出産の負担に王妃様は耐えられなかった。誰のせいでもないわ」
ベッドの傍らに腰掛けていた白衣の女は静かに言った。
王は憤慨より先に彼女の腕の中にある赤子を見つけ、安堵する。白く長いまつ毛が開かぬよう用心しながら、王は愛娘を一瞥した。母に似た面影、健康的な手足は次代を担う者として相応しい容貌である。
しかし、次の瞬間にも王の目は細い首に釘付けになる。
「おい、なんだこれは。誰がこんなもの……」
首輪、手枷……まるで囚人のように彼女を捕らえたそれは生き物のように鼓動していた。
「呪いでございます。姫様は妃様の身体の中に居た時から何者かの呪いを受けてしまっていたようです」
いつの間にか部屋の中に入ってきていたマキャベリが静かに告げる。王は彼女の胸倉を掴んだ。左右で色の違う瞳に蔑まれて尚、王は厳しい剣幕で叫んだ。
「貴様、知っていたな!?」
「ええ、ですが……混乱の元に成りかねないと判断し、この身の内に仕舞っておりました」
舌打ちを一つ。王はマキャベリから手を離すと、彼女の胸元に指を突き立てた。
「残念だが、儂にこの子を育てる力はない。だから、お前が育てろ。娘を死なせれば殺す。逃げ出しても必ず捕まえて殺す。生きたいなら娘を成年まで育てろ」
自分でも道理の通らない話であることは分かっていた。だが、王には娘を育てる暇も乳母を雇う予算もなかった。崩れかけた国を再建するためには莫大な資金が必要となる。己の代でかつての栄光を取り戻すと決めていた。
マキャベリは……微笑んだ。
「承知致しました。あまり無理をなさらぬよう。貴方様の病は完治したわけではないのですから」
マキャベリは胸を押さえてぜぇぜぇと息を吐く王の横を通り抜け、白衣の女から赤子を受け取る。
今にも目を覚ましてしまいそうな幼子を見て彼女は柔らかに微笑んだ。
「お二方、良ければ私の部屋まで付いて来てはいただけないでしょうか。逃げ出すと、いけませんので」
「そうね。それじゃ、行きましょうハイド。一人の時間も必要だわ」
部屋を出て行くマキャベリに続いて、白衣の女も軽快な足取りで部屋を出て行った。取り残された王に白衣の男は頭を下げる。
「ジキル……いえ、姉が迷惑をお掛けしました。妃様の死に心を痛めていらっしゃるというのに……」
「もうよい。下がれ。儂はもう疲れた」
そそくさとハイドは部屋を出て行った。パタンと扉が閉じる音を聞き、王は肩を落とす。妻を失い、娘に呪いを掛けられ、彼は首に輪を掛けられた気分だった。
「疲れたんだ……抱き締めてくれないか?そうか、嫌か……」
冷たくなった王妃の亡骸に寄り添った王は彼女に優しく布を掛けると、自分もベッドの上に横たわる。
今だけは、静かに眠りたかった。
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