第6話 恵子 ママ

小さな店だ。駅からすぐではあるが飲食店がひしめき合うビルの4階だから、目的のある人以外来ない。そう この店にはジャズを聴きに来るお客様しか来ない。たまに検索に引っかかって来てくれる人、ほとんどは外人だが、もいるがどんなお客でも恵子の様な小さな店にとっては有難い。

二十歳の頃からだから半世紀近い。高校生の時に聴いたレコードが始まりだった。軽快なリズムにのった楽しそうな歌詞の意味はさっぱりわからなかったが、のりがよくて聴きはじめた。ずっと後でエラ フィッツジェラルドだと言う事を知った。それからジャズの虜になるのに時間はかからなかった。ある日 良く通る筋にあるお店のドアのアルバイト募集に目が止まった。時給は安かったがジャズが毎日聴けるのが魅力だった。

あの頃は、まだ学生運動とか言っていた時期でフォークソングとジャズは学生達「反体制派」のアイコンだった。特に恵子の住んでいた町の近くには大学も幾つかあったので、ジャズ喫茶はそう言う人たちの溜まり場でもあった。お店の中に入ると彼らも若いリスナーの一人に過ぎない。マスターはそんな彼らを優しく見守っていた。ある時など血まみれになった学生が飛び込んできたこともあった。マスターは黙って奥の扉を指さして、少しスピーカーのボリュームをあげた。恵子はそう言ったものには余り興味はわかなくてひたすらジャズを聴いた。マイルス、コルトレーン、エバンスも好きで自分のいる時間には良くかけた。

若かった 自分で言うのもなんだがあの頃はもてた。よく聴きに来る学生とも親しくなったことも一度や二度ではなかった。多くは地方出身の彼らとは常に出会いとそして訣れがあった。マスターも良くしてくれた。ジャズの基礎から教えてくれたし曲もスタンダードから新しいの、そして選曲の仕方まで 恵子の今があるのは全てマスターのおかげだ。

怒涛の70年代が過ぎて行き、世の中が少し静かになるとともに、ジャズも学生達も随分と変わった。音楽、とりわけジャズはそうだった。フュージョンとか言った心地よい音楽が出てきたり、ファンキーなダンスミュージックが全盛になった。ジャズ自体もエレキを使ってチックコリアとか、ハービー ハンコックとかが気を吐いてはいたが。以前のようなスイングもゴリゴリのジャズも流行らなくなって来た。そんな中で、変わらないでいるのは、恵子のいたジャズ喫茶とやはり近くにあるあるPと言う少し広めの箱だけだった。自分の店を持つ今でも気が向くと散歩がてら昼日なかPに行く事もある。変わらない。初めてPに行った時はフリージャズなど良くは分からなかったがエネルギーだけは凄いと思った。ジャズ喫茶もライブハウスも変わらなかったが、いつしかドアの外では、社会も音楽も変わった。そして 人間も あの頃若手で新進気鋭と呼ばれてた人たちが今では大御所と言われている。そして あの頃一緒に演奏していた人たちで今も活躍している人はほんの一握りに過ぎない。

恵子は と言うといろいろ 本当にいろいろあった。結婚して、子供も授かった。そして子供が希望通り 恵子の希望でもあったのだがミュージシャンとして独立した頃にとうとう自分自身の店を持った。ほんの偶然だった。マスターが突然ジャズ喫茶をたたむと言い出して、確かにいい歳ではあったが、そこにあったレコードをどうすると言う事が問題になって一番店に長くいた恵子が結局引き取る事になった。置き場に困っている時に今の雑居ビルの4階に空きが見つかりごっそり置いた。4階だとジャズ喫茶というよりバー営業にしてライブも入れた方が良いと助言されて少し大変だったが中古のアップライトピアノを入れた。いわゆる箱貸でミュージシャンから予約を入れてもらう事にしたが、有難い事にジャズ喫茶時代の人脈でライブは良いミュージシャンが出演してくれて「経営」は苦しいがなんとかなった。昔から良く知っているミュージシャンばかりではなく音大を卒業したての若い子達もどういう訳だか予定を入れてくれたので休みの日曜日を除いて毎日のようにライブが入っている。

またライブが終わってからもミュージシャン達は残って飲むし歩いて数分ほどの近くのPが終わってから流れて来るミュージシャンもいて結構遅くまで賑わう日もある。たまに、静かに昔の曲が聴きたくなって思いきって木曜日はライブを入れないでバー営業だけにして、古いレコードをかける事にした。そうジャズ喫茶の様にだ。

木曜日、天気も悪くて誰も来ない。

そんな時恵子はぼんやりとジャズ喫茶で働いていた頃を思い出しながら、その頃の曲を聴く。とびきりお気に入りなのがエバンスのUndercurrentとマイルスのWorkin だ。それをかけると自分も昔に戻る気がする。

店に水彩で3枚の絵がかけてある20年前 10年前 そして最近の自分だった。よく来る、お客様が書いてもらったものだ。長い道のりだった。昭和から平成そして令和。ジャズ喫茶のバイトからジャズバーのママ。悪くはない人生だった。と恵子は思う。

この店を出発点に今は青山のBに出ている子もいるしニューヨークで活躍している子もいる。そしてたまにだが 彼ら、彼女達がなんの前触れもなくこの店のドアを開ける事もある。恵子にとって一番幸せな時だ。「お帰りなさい時間の止まったこのお家に」

その日は誰も来なかった。恵子が手にしたのは旧いシナトラのレコードだった。

「My way」若かった頃には見向きもしなかったしジャズ喫茶では一度もかけた事はなかった。だが今は歌詞の一言一言がしみじみと理解できる。


そろそろ終わりが近づく

確かな道を歩んだ

充実した人生だった

大した事はしていないがやるべき事はやった

時に背伸びをした事もある

だがおかしいとわかればやめた

失ったものは埋め合わせた

涙も流したが人生は楽しいものだった

私の人生はなんだったのか

しっかりした自分 そうでなければ人生に意味はなかった

打ちのめされた事もある人生だった

だがこれが私の人生なのだ

(My wayより抜粋)


ここ10年一年のうち大半をこの小さな小部屋で過ごして来た。こうなったら願わくば、このライブハウスで召されたらと思う。

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