第4話 冴 ピアニスト 

子供の頃からピアノばかりだった。

幼稚園に上がる前から習い始めて小学校、中学校もピアノばかりの生活。でも ちっとも嫌じゃなかった。一人また一人と「お友達」がピアノのレッスンを辞めて行く中で冴は、いつも、最後に演奏して来た。地方では、天才とも言われて来たし中学の頃からは全国レベルのコンクールにも時々出た。ただ、その頃にはこれまでとは違い自分くらいのレベルはいくらでもいることに気付いていた。特に東京近辺の子達は、師事している先生も日本でも良く名前が知られている。入賞者の発表には先生の名前も載るのだ。それでも冴はそこそこの成績を残していた。地方からの挑戦者としては充分過ぎるくらいで先生はもっと上も狙えるといつも励ましてくれた。ある日、歴史も長く有名なコンクールに出た時だった。普通は自分の番になるまでにはほとんど他人の演奏を聴く事はないが、その日はたまたま少し間もあったので客席に入ってみた。ステージの小柄な少女が演奏に衝撃が走った。ラフマニノフだったが静かな客席を彼女は完全に支配していた。技巧で負けてはいないが、魂が揺り動かされると言うのはこう言う事だと思った。正確な旋律とタッチは当たり前だがメッセージが伝わって来る。これまでも他人の演奏を素晴らしいと思った事は幾度もあったし海外の高名なピア二ストの演奏も聴いて感動もした。経験を積めば私だっていつかきっとそようなステージに立てると思っていた。だが、自分とほとんど同じ年齢の彼女の弾く旋律に思わず涙してしまった。感動と悔しさが入り混じった不思議な気持ちだった。その日、冴はいつも通りの演奏でいつものような順位で奨励賞と言うのをもらった。彼女はと言うと 予想通り最優秀賞だった。多分二位以下には大きく差をつけて。その日 冴は先生に挨拶もせず足早に会場を後にした。その日以来、冴は自分の出番の前に何とも言いようのない緊張感を感じる様になっていた。演奏中ミスをする様な事もなかったしプレッシャーもあるわけでもなかったが、弾きながら、彼女のことがどうしても思い浮かぶ。彼女だったらどう表現するのだろう。それからの冴は少しピアノから距離を置くようになった。卒業してから普通高校に進学する事にした。親からは ピアノをまた始めるよう幾度も薦められた。両親も冴が突然ピアノから離れた時は訳が分からなかった。冴も両親に自分の気持ちをうまく言い表わす事が出来なかった。上には上がいるのは当たり前だし別に彼女の実力が落ちた訳でもない。地方ではまだ十分トップクラスなのだから。そんなある日、先生が福岡のジャズのライブハウスに誘ってくれた。先生と会うのも一年ぶりになる。

「たまにはこう言うのを聴くのも良いものよ」

そこは、ずっとクラシックをやって来た冴にとって驚くほど小さく、室内楽ほどもなかった。客に女性は先生と冴の二人だけだったのもクラシックとは違う。ステージはピアノとベース ドラムのトリオだった。東京から来たと言うそのピアニストが演奏しだした。クラシックの様な変な緊張感もなく。ドラムがリズムを刻み、ベースもそれに合わせる。

あれなんの曲かな冴が思ったが聴いたような旋律が流れてきてやっと「星に願いを」を演奏していると気付いた。がそれも次の小節で次はまた違うメロディになった。この人達はいったい何を演っているのだろう。そこからピアノはリズムだけ。今度はさらに、ピアノが演奏を止めベースがソロでメロディを弾いている。次にドラムのソロが始まりそれから、ピアノとドラムで掛け合いが始まった。冴はピアニストのミスタッチに幾度か気付いたがそれが気にならないばかりか、ベースと合さって和音が不思議と心地よい。そっかベースが和音のルートを弾いているんだ。クラシックのピアノソロとは全く違う、仲間とある時は協力しある時は対抗してやるんだ。

客はリズムを取りながら、聴いている。ソロが終わるとプレーヤーに対して拍手が鳴る。熱のこもった演奏の時は一際拍手が大きく、静かなバラードでは聴き入っている。分かり易い。クラシックのようにいつも観客から一音一音を静かにそして厳しく評価されてまるでいつもコンクールに出ているような緊張感はなくてむしろ客と演奏者が一体になってその曲を演っている。

冴は再び鍵盤を前にした。

親は ほんとうはクラシックをやって欲しかったのだろうが ジャンルが違ってもピアノを続けてくれたのに安堵しているみたいだ

大学から東京の音大にジャズピアノ科と言うのがあってそこを選んだ。クラッシックではなかった。

自由 冴には 何のプレッシャーも無い今、自由な演奏、自由な作曲、もちろん一定の規則はあるにはあるが、を心底楽しんでいる。卒業して、職業として「ライブ」を選んだ。トリオ、デュオ、カルテットさらにはビッグバンドまで何でもこなした。ただ、ソロだけは断った。

馴染みのライブハウスのマスターがある時「冴ちゃん ソロやらない? どうしてもやって欲しいと言うお客様がいっぱいいて断れないんだ。俺の顔を立てるためでいいから」

馴染みの店だし聴いてくれる殆どは冴のファンだ。オリジナルも少し溜まって来たのでソロでやりたい曲も沢山ある。当日は少しばかり緊張したが最後までやり切った。大きな拍手だ。暖かい、心の底からのアンコールだと思った。

冴は、年に数回は地方にツアーに行く事もある。自分の育った街にもたまに行く。そこは大きめの市民ホールだ。顔が みんなの顔が見える。子供の頃から一緒だった友達、近所の人、先生と両親 冴は今とても幸せだ。そして いつも一曲だけ、クラシックの小曲を弾くことにしている。


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