第3話 圭介 テナーサックス
サックスはとにかくかっこいい 自転車と同じで音がちゃんと鳴るようになるまでに多少の努力と工夫が必要だがその後は、ひたすら練習すれば上達して行くので、地方のブラスバンド出身者がジャズプレーヤーになる事も珍しくない。圭介は高校までは軽音部でサックスばかりでなくトランペットも吹いていたが、大学、もちろん音大ではないが、に入学してジャズ研に入る時にトランペットは上手いのが他にいたのでテナーを選んだと言う消極的な理由だ。が つくづくサックス とりわけテナーを選んだ事は悪い選択ではなかった と思う。大学のジャズ研では、楽器によるヒエラルキーはそれほどでもない。客を呼ぶのは一人のスタープレーヤーではないし、ソロもほぼ同じ割合で回してくれる。ソロを取るとそれなりに拍手が湧く。特にサックスはその中でも一番だ。バンドにとってもサックスプレーヤーには重要な役割がある。ひたすらかっこよく吹く事だ。そうすると、そのバンド自体がとてもクールになるのだ。あるベテランのクラリネット奏者が、クラリネットが入ると曲ばかりでなくバンド自体古臭いイメージになるのでで最近は敬遠されるとよくぼやいてた。大学3年くらいからジャズ研以外にもセッションに参加する様になった。特に大学に程近いライブハウスのセッションは若手ジャズプレーヤーが切磋琢磨すると言うので有名でよく参加した。そのうちセッションで一緒になったプロのプレーヤーに声をかけられて彼らの演奏にも参加する様になった。大学卒業まであと一年と言う時に、このままジャズを続けたい気持ちがどうしても抑え切れなくなってアメリカで勉強したくなった。問題は両親だ。これまで、大学の政経で学び、単位を取りこぼすこともなく順調に来たのだから、普通に企業に就職出来る。このままサックスも続ければ時々アマチュアとしてバンドに加わり「良い趣味」で済むだろう。リスクを考えると割に合わないし、一蹴されるだけだなので留学するとだけ親には言って中西部にある州立大学の名前を告げて両親に了承してもらった。まさか 経済学で有名なその大学の音楽科とは思わなかったろう。こっそりと 本当にこっそりと志願書を提出して奨学金のためのオーディションも受け無事パスした。
アメリカの生活は本当に楽しかった。ガソリン代も安くて、車で好きな所へいつでも、どこへでも行けた。学費も奨学金とアルバイトでなんとかした。大学のある町は、ほとんどが大学のためにあるようなもので暮らし易かった。授業は米国の大学らしく実践的で結構なカリキュラムで音大卒でない圭介にとっては新しく学ぶ事も多く毎日は充実していた。
いよいよ日本に帰る時になった。両親にはその大学の看板の経済学ではなく音楽科だと言う事もとうにバレていたので勘当ほどではなかったが愛想は尽かされていた。圭介はだから帰国しても家から出て自分で生計を立てるしか無かった。普通の企業は日本の大学の経済を卒業したと言ってもアメリカの大学の音楽科出身の「怪しい」人間は雇ってくれないのでとりあえず中央線沿いのレコード店のバイトの口を見つけその近くのアパートに落ち着いた。昔、バンドに誘ってくれた人達もすっかり「中堅」になっていたのでまた誘ってもらって新宿近辺のライブハウスに出入りする事が出来た。日本を出る前から名前を知ってくれているリスナーもいるし、もちろんアメリカでやって来た事も役に立っている。
デビューして3年も経つとだいたい自分のポジションとそのままプロとしてやって行けるかがわかる。観客の人気とか、仲間うちだけではないバンド、その中には所謂大御所の様な人も含まれる、からお呼びがかかったりするようになり、管楽器の一角をキープ出来るかはっきりわかれる。冷酷ではあるがそれがプロなのだ。それ程技量に差がなければ、トランペット トロンボーン サックス さらにサックスでもテナー アルトこの中でどれが、誰が選ばれるかは自分がリーダーでない限りは曲のイメージとそしてプレーヤーの相性だけなのだ。
圭介は自分がその一角を占めつつある事を感じていた。忙しい毎日だ。そして何より楽しいのは、たまにであるがビッグバンドでやる時だ。箱も大きくて有名なところだとかフェスで演る事も多くてオーディエンスが普通のライブハウスより桁違いに多い。ソロを取った時の拍手は堪らない。またレジェンドと言われる人達、事実その名を聞くとジャズ以外の人でも名前くらいは知っている人達、と同じフロントラインに立てる事は誇らしくもあった。そう言った大きな舞台でバリバリ吹くのもいいが、小さめの箱で咽び泣くような音を聴かせるのはもっと好きだ。そうすると ニューヨークの街角にあるライブハウスでやっている様で中西部で過ごした日々が思い起こされるのだ。
単調な日々も悪くは無い と圭介は思った。たまには大学で習った作曲も手がけるし、いつかは自分がリーダーのアルバムも作りたい。そんなある日メールで大学時代の友達のジェフからニューオーリンズジャズフェスに出るチャンスがあるので、来ないかとの誘いがあった。ジェフはピアノとキーボードをやる。曲も殆どオリジナルだ。圭介の曲も持って来ていいとの事だった。圭介は取り敢えず喜んで行くとの返事を打った。東京でのライブのスケジュールをやりくりしたりして、いよいよ出発することになった。7年振り か圭介は感慨深く呟いた。卒業してからは毎日生きる事に精一杯でアメリカでの生活を振り返る暇もなかった。
行きはDTW経由にしてデトロイトで一泊した。大学時代の友達は全米に散らばっているが、何人かは近郊に住んでいるので集まってくれた。皆のその後だとか 今回圭介がニューオーリンズで演る事など話は尽きなかった。
ニューオーリンズ 圭介はこの南部の風景が好きだ。留学中も単調な道をミシガンから運転して南部には時々行っていた。ミシガンも悪くないが冬はひたすら寒いし飯もフライものばかりだ。。ここでは少しフランスっぽい街並みの残る市街地でクレオール料理もうまい。ジャズフェスは少し外れにある大きな競馬場でやる。今はジャズフェスではなくて「ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル」と呼ばれジャズばかりかロック、ゴスペル 民族音楽など多彩だ。いやむしろジャズもやっていると言った感じだ。圭介はジェフとの挨拶もそこそこに明日やる予定の会場、と言ってもテントだがを確認して楽譜をもらって小一時間打ち合わせた。夕方食事の約束をして別れた。それまで少し時間があったので川辺で明日のために一人練習した。圭介とジェフのバンドが出るのはジャズプログラムをやっている中くらいのテントだ。満席で凄い人数だ。この舞台 ブルーノートでもないが圭介はとても満足だった。精一杯頑張った。決まった時間制なのでアンコールはないものの客のリアクション、拍手で自分達のバンドがまずまずの評価だった事はわかる。そして 何より会場で配られているパンフレットにすごく小さな文字だが自分の名前を見つけた時はとても嬉しかった。Keyskyになっていたのは御愛嬌だが 日が落ちて郊外の小さなライブハウスで打ち上げをした時にジェフに名前を入れてくれてたことに感謝した。ジェフは「No wonder」と言って笑っていた。
翌日の、帰りのフライトから水平線に沈む夕焼けを見ながら圭介は思っていた。いつか、いつになるかはわからないが、チャンスがあればまた来よう。
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