ぶんぶく茶釜×缶詰
わたしは、缶詰が、苦手である。
特に、トマト缶は、見るのも嫌だ。
全ての物事やトラウマに理由があるように、もちろん、わたしの缶詰嫌いにも、歴とした原因がある。
遡ること数十年前、わたしが、大学生だった頃。
田舎育ちのわたしは、東京に対して、とても強い憧れを抱いていた。
当時、わたしにとって東京というところは、日本の中心であり、政治、ニュース、文化、ファッションなどあらゆるものが集結した近未来のような存在だった。
新宿・渋谷・原宿にはタワーマンションに暮らす芸能人や有名人達が跋扈し、青山・白金・世田谷などという超一流のブルジョワ達が住まう地区が点在する。ベンツやBMWが行き交い、最新の衣類や物、呪文のような名前の飲み物、見た事もないカラフルな食べ物などが、目玉が飛び出るくらいの値段で売られている。
そこでは、誰もが無限の可能性を試せ、高賃金の面白い仕事が至る所に転がっており、楽しく充実したおしゃれな暮らしができるのだと、真剣に信じていた若かりし日の、無邪気なわたし。
いつか、絶対に、東京に出て一旗上げるのだと、決意を胸に、地味な努力を積み重ね、とうとう念願だった東京の某大学に合格するに至った。
そして、有頂天になりながら上京したわたしは、小さなアパートを借りると、期待に胸を弾ませながら一人暮らしを始めたのである。
更に幸先よく、新宿にある高級なイタリアンレストランでのアルバイトの口を得たわたしは、念願だった夢の東京暮らしをスタートさせたのだった。
当初のわたしは、まるで世界を手に入れたかのような、幸せな気分を毎日味わっていた。
テレビや雑誌でしか見たことがない東京の街やスポットを歩いていること。噂に聞く朝の満員電車に詰め込まれること。空がスモークがかった薄い色をしていることや、その空の下では、どこに行っても人が溢れて活気があること。雨が降ると、コンクリートや排気ガスが混ざった都会の臭いがすること。あまりおいしくない水道水に至るまで、全てが東京らしく、そこで暮らしている自分を誇らしく感じさえしたのである。
しかし、都会暮らしも一年が過ぎると、新鮮さは失せ、初々しい歓喜は、倦怠感を孕んだ無気力に取って代わった。
あんなに憧れていた東京の街は見飽きたものになり、満員電車はストレスが溜まるものに変わった。
スモークがかった薄い色の都会の空を見上げることは滅多になくなり、人集りを避けて行動するようになり、雨が降れば憂鬱になる。
大学とアルバイトで多忙な日々を送っていたため、常に疲労感が付き纏って怠く、気を抜くとすぐに眠ってしまう。
親の反対を押し切って無理に上京したわたしは、仕送りなどという言葉とは無縁だったため、生活費だけは自分で稼がねばならなかった。
そして、東京の物価は高いのだ。
その当時住んでいた木造アパートは、築年数五十年以上の代物で、狭い四畳のワンルームだったにも関わらず、家賃は月八万もした。
ビルに挟まれていたため日当りは抜群に悪く、年中カビ臭かった。
東京に暮らすということは、そういうものかと諦めていたが、大学で知り合った友人から、二十三区を外せば、今の家賃の半額以下で、もっと新しくて広い物件がたくさんあるのだという事実を聞かされ唖然とした。
しかし、そんなことが知れたところで、お年玉や小遣いを必死に溜めた全財産は、上京して部屋を借りた時点でとっくに尽きている。
再び引っ越す金など、なかったのである。
なので、当時のわたしは、大学に行っている時間以外は、夜遅くまでバイトに明け暮れていた。
ヘトヘトになって帰宅する夜中、アパートの階段を登り切った踊り場からは、夕焼け色に反射するスファレナイトを全身に纏ったような東京タワーが暗鬱な漆黒色の夜空に聳り立つのが見えた。
家賃八万の価値が凝縮されたその美しい景色を見ているだけで、なんとなく明日も生きていこうという気になれたものだ。
そんなわたしが、Tさんを知ったのは、アルバイト先のイタリアンレストランでだった。
歳の頃、六十過ぎくらいだろうか。
Tさんは、薄くなった髪の毛をオールバックに固め、良質な脂肪を摂取し続けなければ作れないようなぷっくりと艶のある頬が上がった大黒様のような顔で、アルマーニのスーツを粋に着こなしていた。
三週間に一度、或は一ヶ月に一度ほどの割合で、Tさんは来店する。
いつも、忙しいディナータイムに現れていたので、従業員と絡むところを見たことはないが、毎回トマトパスタを頼む常連として認知されていた。
店の看板商品でもあるトマトパスタは、Tさんのように、それだけを食べにくる常連がつきやすい一皿だった。
キッチンスタッフ曰く、カットした生トマトとトマト缶をブレンドして何時間も煮詰めた特製トマトソースが人気の秘訣なのだそうだ。
そんなある日、発注の手違いから、トマトソースで使うトマト缶が切れたことがあった。
仕方なしに、キッチンスタッフが近くの輸入食品屋で代わりのトマト缶を購入して代用したらしのだ。
でき上がったトマトソースを味見させてもらったが、いつものトマトソースと大差ないどころか、フレッシュで品のいい香りまで添付されている。むしろ、こっちの方がいいのでは? との指摘が味見した従業員の間からチラホラ出た。
だが、長年の付き合いがある取引先なので、急には切り替えられないとして、とりあえずいつものトマト缶が来るまでの間に合わせとして、試験的に提供することになった。
従来のトマトパスタフリークの客に受け入れてもらえるかどうかが、まず第一の問題だったからだ。
タイミングよく、Tさんが来店した。
ホール係のわたしは、いつものように、注文されたトマトパスタをTさんの元に運んだ。
「なんだ、これは」
一口食べたTさんが、ぐにゃっと顔をしかめてフォークを置いたのが離れたところからでも確認できた。
口に合わなかったんだなと思っていると、手を上げて呼ばれた。
「これは、なんだ。いつものトマトソースじゃない。マズい。さっさと作り直せ」
初めて話したTさんが、随分と横柄な物言いをすることにまず驚いた。
若かりし日のわたしは、その高圧的な言葉に、カチンと来てしまい、思わず言い返してしまった。
「お口に合わなかったようで、大変申し訳ございませんでした。こちらは試作的にお出ししている品です。従来のものより、品質のいいトマト缶を使用しておりますので、味としては格段によくなっているはずなのですが・・」
「それは、今までのトマト缶が、質が悪いと言うことか? それとも、おれの味覚が不全だと言いたいのか?」
赤みが増してくる下膨れの顔を眺めながら、よせばいいのにわたしは、さようでございますね、と余計な言葉を放った。
「バイトの分際で、なんなんだオマエは!なんだその態度は!思い知らせてくれるぞ!」
Tさんは、そう叫んで荒々しく店を出て行った。
その後ろ姿に向かって、二度と来んなと舌を出していると、背後に近付いた先輩にぽかりとやられた。
先輩によると、実はTさんは、店で使用しているトマトを始めとした缶詰の仕入れ先の社長だったらしい。
彼のオーダーがいつも決まってトマトパスタだった理由がわかったが、時既に遅し。
くれぐれも気をつけろよ、と先輩や上司に忠告されたが、それよりなにより解雇されるかもしれない危険性に今更ながら気付いたわたしは、そっちのほうが心配だった。
その晩。
帰宅すると、アパートの階段の前に、サバの味噌煮缶が、ぽつんと置かれていた。
誰かの落とし物か、ゴミにでも出し忘れたのかと思ったわたしは、サバ缶を跨いで階段を登り、東京タワーを少し眺めてから部屋に入った。
ところが、次の晩。
またしても、缶詰が置かれていた。
今回は、シーチキン。
しかも、今しがた誰かが、フタを開けようとしたかのようにタブが起こされている。
シーチキン缶は、一段目の階段に置かれていたが、野良猫のエサかと思ったわたしは、それを跨いで登った。
例の事件の後、バイト先の上司から厳重注意は受けたが、特に解雇される気配もなく、ルーティンな日々が再開された。わたしは、今まで通り、大学に行って授業を受け、終わるとバイトをして、夜遅くに帰ってくる。
帰ってくると階段で缶詰が待ち受けるようになったのだけが、唯一の変化だった。
翌晩も、その翌晩も、缶詰は置かれ続けた。
内容は様々だったが、わかるのは、階段を登ってきているということと、フタが、徐々に開いていくこと。
アパートの階段は全部で十四段あるが、一段飛ばしで置いてある。
最初は、気にも止めなかったわたしは、さすがに気味が悪くなってきた。
いったい、誰が置いているんだ?
こんなことをして、どうするつもりなんだ?
それに、この缶詰は、どこに向かっているんだ?
二階には、わたしの部屋を含めて三部屋ある。
そのうち、ひと部屋は空き部屋で、もうひと部屋は、わたしより遅く帰ってくるサラリーマンが住んでいた。
一階の住人はわからない。
わたしは、一階に住む見ず知らずの誰かの、いたずらだろうと思うことにした。
缶詰が置かれ始めて、七日目の夜。
十二段目に、置かれてあったのはササミ缶だ。
鳥のササミを、湯がいて細く裂いたアレである。
わたしは、見ない振りをして通り過ぎようとしたが、視界の隅に違和感があり、思わず足を止めてしまった。
缶詰のフタが、開いていた。
だが、なんの変哲もないササミが、詰まっている。
ササミの色が、ローストビーフのように薄赤く見える以外は・・
しかし、わたしは、色は階段を照らす蛍光灯のせいだと思い、疑問を、野良猫がやっとエサにありつけるなと間抜けな考えとすり替えて紛らわせた。
そして、八日目の夜。
十四段目には、フタのない焼き鳥の缶詰が置かれていた。
砂肝だろうか、やけに丸いビー玉のように形が揃った照りのついた具が、お行儀よく丸い缶の中に並んで蛍光灯を受けてテラテラと光っていた。
在り来りの焼き鳥だったが、なにか異様なメッセージを発しているように感じたわたしは、逃げるように部屋に駆け込んだ。
Tさんは、あれ以来、姿を見せることはなかった。
わたしは、Tさんが缶詰工場の社長なのだと思い出し、一連の奇妙な缶詰の階段登りはTさんの仕業ではなかろうかと疑っていた。
だが、誰かに相談したところで、自業自得だろうと笑い飛ばされるだろうし、なにより、ただ缶詰が置かれているだけなのだ。
なにかされるわけでもなし。
努めて気にしないようにした。
缶詰が置かれ始めて、九日目の夜。
ポストに溢れたチラシを手に帰宅したわたしの部屋の扉前に、トマト缶が置かれていた。
一目見て、やはり犯人は、Tさんだと確信した。
それにしても、随分と意味のわからない、まどろこしいことをするものだと、辟易し、トマト缶をどかさないことには扉を開けられず、部屋に入れない苛立たしさを覚えた。
どうしようかと、苛々と考えながら、睨みつけるようにトマト缶に目をやる。
もちろんフタはないので、立っていても、細長い缶の中身がよく見えた。
赤いトマト液に塗れた缶の内部には、曲線が連なったような塊が、見え隠れして沈んでいる。
また、古い缶詰で、発酵でもしてしまったものか、トマト液が、時々、ぷくぷくと泡立っていた。
更に、先程から、生臭いような異様な臭気が鼻を突く。
どうやって捨てたもんかと、途方に暮れながら、トマトの絵が描かれた缶の表面に、なんとはなしに視線を滑らせた。
瑞々しいトマトの絵の上には、ローマ字が並んでいる。
てっきり『TOMATO』かと思っていたわたしの目が拾った文字は、
『INTESTINES』
わたしは、その缶にチラシを丸めて突っ込むと、東京タワーに向かって有りっ丈の力で蹴り飛ばした。
高校生まではサッカー部に所属し、数々の試合で得点を稼いだキック力には自信がある。
缶は、闇の中を回りながら、東京タワー目掛けて飛んでいったようだ。
その途中で、中身が飛び出して、建物や地面に当たった不気味な音が、静寂を伝って聞こえたような、気がした。
翌日。
バイト先は、大騒ぎになっていた。
テレビがない上に、時事に疎かったわたしは、そこで初めてTさんが逮捕された事実を知った。
Tさんは、人身売買ならぬ人肉売買の闇業者だったそうだ。
行方不明になった人間や裏社会で秘密裏に抹殺された人間の肉を買い取り、缶詰にしては中国を始めとした外国に輸出していたらしい。
彼の会社の缶詰を長年使っていたバイト先では、店で人肉が混ざった料理を出していた可能性があると、大問題になっているのだそうだ。
「まぁ、でも、うちで使っていたなんて情報が明るみに出たわけじゃなし。警察でも、そこまでは追及しないだろうから、鉗口令が敷かれて、そんな事実は、なかったことになるだろうけどな」そう言って笑う先輩を横目に、わたしは退職を決意したのだった。
今でも、トマト缶を見ると、あの夜の光景が浮かんでくる。
思い出したくもない記憶の一つだ。
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