かちかち山×写真

 これは、わたしの妻から聞いた話である。


 社交的な性格の妻は、わたしと違って友達が多い。

「中高一貫で私立の女子校だったから、余計ね」要は、ちょっとしたお嬢様だった。

 Tさんは、そんな女子校時代からの友達なのだそうだ。


 大学卒業後、妻は某出版社に、Tさんは某有名ネット企業にそれぞれ就職が決まった。その報告がてら、どちらからともなく連絡を取り合って、久しぶりに会おうということになったらしい。

 目黒にあるイタリアンレストランで食事をしながら思い出話に次々と花を咲かせた二人は、勢いで近所に住むTさんの部屋に移動し、そこで二次会が始まったのだった。

 大学時代から住み続けているという小綺麗なアパートの部屋は、生活臭がしっかりとついており、妻に実家のような居心地のよさを感じさせたらしい。

「若いのに、ちゃんと自炊してるみたいで、鍋やフライパン、圧力鍋まで揃ってたのよ!」でき合いに頼ってた私とは大違い!と、妻は興奮した口調で説明しながら何度も一人で頷いている。妻の料理下手は、どうやらその頃に端を発しているらしいなと、わたしも内心で頷きながら聞く。

「彼女の部屋、思い出の品とか懐かしいものなんかも実家から持ってきたみたいで、ほんとに色々並んでたのよ」

 Tさんは、学生時代には、バスケットボール部に所属し、都大会に出場した輝かしい経歴を持っているらしい。彼女の部屋には、そんなバスケ部で撮った写真や、色紙、記念品などが飾られていたようだ。

「一人暮らしで寂しくなったり、仕事でしんどいことがあった時なんかに、そういうのを眺めて自分を慰めてたみたいね。すごく、気持ちわかるわ。私も一人暮らし始める時に、やっぱり心細くて、子どもの時から一緒だったぬいぐるみをいくつも持ってきたもの」確かに、現在も妻のベッドは、ぬいぐるみで埋め尽くされている。

 二人はそんな品々を眺めてお酒を飲みながら、当人達だけしか知らないようなマニアックな思い出話を、マシンガンを撃ち合うように次々と話しまくったそうだ。

「それで、せっかくだから、久しぶりに、アルバムをね、見ようってことになったわけ」

 女学校時代のアルバムは、Tさんの一番の宝物だったらしく、ベッドの枕元に鎮座していたらしい。

 その赤いベルベットの表紙を捲り、中の写真を指差しながら、更に思い出に耽る二人。

 まるで学生に還ったような気分だったそうだ。そのうっとりと楽しい気分が、数分後、打ち壊される。


 きっかけは、妻だった。


 それぞれのページに印刷された写真で笑う、或いは、はにかんでいるクラスメイト達の特徴を挙げていた妻が、ふと、顔を強張らせた。

そして、急に、ページを前に戻したり、先を覗いたりし始めたらしい。


 妻は、小さな違和感に気付いたのだという。


 そうして、何度か行ったり来たりを繰り返した妻は、覚悟を決めたように、ねぇこの人だれ? と、写真の背景を指して、Tさんを振り返ったそうだ。


 何枚かの写真に、見知らぬ人物が写り込んでいる・・


「卒業生はみんな、同じアルバムをもらっているから、私ももらった当初に見ているはずなんだけど・・覚えてないってことは、きっと、気付かなかったのね。でも、一回見つけちゃったら、いるわいるわ」


 その人物は、毎回同じ服そう、同じポーズ、同じ角度で写っていたのだそうだ。


「たぶん、男性じゃないかって。でも、細かい服のデザインだとか顔の表情までは、判別できないの。辛うじて色がわかるくらい。だって、とてもぼやけて映っていたから」


 その得体の知れない人物は、集合写真の背景で写っている木の影や、

 同級生の背後、

 部活写真での体育館の端、

 日常の授業風景のショットでは廊下にひっそりと小さく写っていたらしい。


「でも、そんなはずないのよ。だって、男子禁制の女子校なのよ。そりゃあ、時々、教育実習生として、若い男性も来てはいたけど、だいたいは男子に飢えてる女生徒にチヤホヤ取り囲まれて、一人でなんていられやしなかったわ。ましてや、こんな写真の端にひっそりと写るなんて、有り得ないわよ」と、妻は断言する。


 じゃあ、いったい誰なんだい? と、わたしが聞くと、こっちが聞きたいくらいよ、と肩を竦ませた。


 そして、更に気をつけて細かく見ていくと、どうやら、その人物は、Tさんが写っている写真にだけ、見つかるらしいのだ。

 いや、その人物を見つけると、Tさんが必ず写っていたと言ったほうがいいだろうか。


 Tさんが真剣にバスケットボールをプレイしている写真や、授業風景で手を上げている写真、全体の集合写真に、まるでパソコンで画像加工して切り抜いた画像を貼付けたかのように、まったく同じ姿で、背後霊か地縛霊かのような画像の荒さでもって写っていたのだという。


「なんだか、気持ち悪くなっちゃって、一気に酔いが冷めたわ。Tさんも真っ青な顔をして、無理矢理、話題を変えてきたの。可哀相に。でも、彼女が切り替えたその話題があまりうまくなかったのよ。入社したばかりなのに、さっそく、既婚者の上役と付き合い始めただとかって言い始めて・・彼女、昔っから、人の物を羨ましがる手癖の悪さがあって、どうやらまだ直ってなかったみたいで」

 そりゃあ、さぞかし男を取られた相手から恨まれたことだろうね、と言ったところで少し考え、もしかしたら、と切り出した。

 得体の知れない人物は、Tさんが誰かから奪った男というのは見当違いだろうか、と妻に問うた。

「Tさんに奪われた自業自得の男が、どうしてストーカーみたいになるのよ? そりゃあ、彼女は飽き症ではあったけど、そんなところも見抜けずに言いなりになるような男なんて、最初からその程度の小物ってことじゃないの。ストーカーしてしまうくらい、彼女に対して熱い思いを持っていた男がいたなんて考えにくいわ」それより、むしろ・・と、妻は言葉を切った。

「逆ね。奪われた女側には強烈に憎まれていたから、彼女。それなら、嫌がらせとしてのストーカーの一つや二つあっても不思議じゃないわ。でも、普段もなんやかんや、画鋲入れられたり、鞄を捨てられたり、お金を盗まれたりとか小さな嫌がらせをされてはいたけど、彼女、全く意に介していなかったから、無駄だと思うけどね」

「君の友達は、なんていうか生粋の我田引水、放縦な精神の元に生きているんだな」

 わたしが、半ば呆れ、半ば感心した所感を口にすると、それを受けた妻が、私達はどっちも、付和雷同型な人間が嫌いな物同士なのよ、と苦笑した。

 なるほど。そこが彼女達の共通項らしい。

「それでも、いい大人だもの。いい加減に、上手く世渡りしないといけないんだけど・・不倫なんてリスクが高いことに手を出しちゃって、しかも、マスコミだって狙いやすい有名な上々企業の上役だなんて。くれぐれも嗅ぎ付けられないように気をつけてよって忠告したんだけど・・」


 再会から一ヶ月後。


 妻の携帯にTさんから電話があったらしい。


「彼女にしては、随分取り乱しているような早口の口調だったから、どうしたの? って聞いたの。そしたら、」


 例の写真の人物が、最近撮った入社式の写真にもいたらしいのだ。


 それも、アルバムの姿そのもの、張り付け加工されたように全く変わらない様子で。


 二人は、急遽、お互いの仕事場の中間地点にある喫茶店で、落ち合うことにした。

 その際、Tさんは大量の写真を持参してきたらしい。


 入社式の写真に気付いてから、慌てて、これまでの写真をひっくり返して、あるいは呼び出して、隅々まで細かくチェックしたのだという。

 すると・・


 いるわ、いるわ。


 大学時代の山岳サークルで撮った写真、

 当時の彼氏とデートの写真、

 友達との食事風景、

 アルバイト先でのショットの、ここにもあそこにも、面白いくらいに見つかったらしいのだ。

 そして、どれもこれも、同じ姿。


 画像加工なのかもしれないと、ネガがあるものは、実家に連絡して取り寄せてみたが、ぼやけながらも、しっかり写っていたらしい。


 いったい、どこの誰なのか・・


 さすがのTさんも、気味が悪くなったそうだ。


「全部見せてもらったけど、間違いなかったわ。同じ人なの。でも、間違い探しじゃないんだけど、アルバムから現在に向かって、順番に写真を追っていくと、その人が、少しずつ、ほんの僅かずつなんだけど、彼女との距離を詰めてきているように、私には見えたの。それで、余計に、そこはかとない危機感のようなものを覚えて・・」


 だが、実害は、出ていない。


 その人物に、なにかされたというわけでは、ないのだ。


 ただ、写真に入り込んでいるだけ・・


「彼女は、大丈夫でしょって、無理に明るく振る舞っているようだった。今夜、彼氏に相談してみるからって。でも、」


 Tさんは、その夜、不倫相手と一緒にホテルから出て来た現場を、パパラッチに押さえられてしまったそうだ。


 彼女の不倫騒動は、翌日からのテレビや週刊誌の恰好の餌食となり、SNSを始めとしたソーシャルメディアで炎上。

 更に、Tさんと相手が勤めるネット企業には、ユーザーから苦情と解約の申し出が殺到したらしい。

 その隙を狙っていたかのように、DSN水責め攻撃をされ、会社のサーバーがダウン。

 利用者からの苦情と問い合わせが倍増し、企業株価は一気に下落。

 彼女の勤め先企業は、予期せぬ憂き目に合った。


 Tさんと相手の上役は、責任を取る形で退職を余儀なくされたそうだ。

 当然の結果と言うべきだろう。


「不幸を呼ぶ存在だったんじゃないかって、彼女は言うの」例の写真の人物の話だ。


「でも、私は、そう思えない。だって、あの騒動は、彼女の身から出た錆だし、大人なんだから、もっと慎重に行動すべきだったのよ。けど、ま、いくら言っても無駄でしょう。だから、身をもって思い知るしかなかったんじゃない?」と、なんだか、やけに冷たい妻。

 話の始まりとは、別人のような他人事だ。


 女の友情は、男と違って、色々と複雑な事情が絡まり合っていると聞く。

 薮蛇となるような質問はしないでおこうと、写真にうつっていた人物へと話題を変えた。

「もう写らないらしいわよ。気が済んだんじゃないかしら」

 妻の言葉に違和感を覚えたわたしが、気が済んだって、まるで知り合いみたいな言い方をするじゃないか、と茶化すと、そうよ、と意外な答えが返ってきた。


「Uさんとは幼馴染みなの。彼女、見た目が男の子みたいに痩せっぽっちだから、ずっと憧れてた男の子がいたんだけど諦めようとしてて。私がキューピッドになってあげたのよ。そうやって、やっと付き合えたのに、それをTさんに掠め取られちゃったのよ。まぁ相手も相手なんだけど。Uさんの落ち込みようが半端なくて。それから、ずっと恨んでたのね。だけど、あんな風に長期の心理戦で来るなんて思いもしなかったわ。でも、仕返しできたみたいで、よかった」そう言って、妻は安堵の溜め息をついた。


 そのUさんは、現在、ネットワークスペシャリストとして活躍しているらしい。

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