舌切り雀×すりガラス

 梅雨明けが宣言され、湿気と熱気に喜ぶハエ共が飛び回る煩わしい季節となり、我が家の生ゴミに至っては、二日もおけば即時に悪臭を放ち始めるため、頻繁なゴミ捨てが急務となり、急遽ゴミ捨て部隊が結成された。

 隊員はわたし。一人だけの部隊だ。

 文句を言える立場ではないので、黙って任務を遂行するしかない。

 そんなことから、ゴミカレンダーを睨み、万事抜かりなくゴミを捨てるために、近所のゴミ捨て場に華麗に参上した。

 そこで、主婦が数人集まって立ち話をしている現場に出会したというわけだ。

 別にその輪に加わりたかったわけではないが、そこに顔見知りの女性が混じっていて会釈されたので、会釈で返すと、たちまち取り囲まれてしまい必然的に聞く羽目になってしまった。


 このゴミ捨て場コミュニティーの中心人物は、近所に住む主婦のSさん。

 大手企業に勤める旦那と、幼稚園に通う息子の三人暮らしだ。

 Sさんは、野次馬の噂好きで、この界隈ではちょっと名の知れた情報屋と言っても過言ではないレベルにまで達したおしゃべり主婦だった。

 もちろん、自治会員として各種イベントにも積極的に参加し、ボランティアにも尽力している。

 町内では、テレビニュースと彼女の噂話は同レベルに扱われ、日々、各家庭の団欒時間を豊かにすることに貢献しているらしい。

 そんなSさんからの今朝のビッグニュースは「うちの隣に、古いアパートがあるんだけど・・」と、まるで秘密を打ち明けるかのように重々しく切り出された、彼女ん家の隣に建つアパートの窓から見える光景のことである。


「すりガラスって、知ってるでしょ? 昔からの目隠し効果があるってアレ。そうそう。まあ、目隠しどころか内側から電気つけたらモロ見えなんだけど、とにかく、お隣のアパートは、そんな古風なガラスが嵌った窓なのよ」

 その窓がある二階の、恐らく台所と思しき辺りが、Sさんの家のお風呂場の窓から見えるらしいのだ。


「もちろん中にまで入ったことなんてないから、多分、台所なんだと思うのよ。こちら側の窓に向かってシンクやコンロがあるんじゃないかしら。いっつも、こちらに体を向けて、なにか刻んでいるような動きや、炒めているような動きをしているから、料理をしているんだと思うわ」でも、いっつも遅い時間なのよねえ、とSさんは頬に手を当てて首を傾げる。


 彼女の情報によれば、そのアパートは二階建てで、部屋数は全部で四つ。そのうち二部屋は空いているのだという。

 現在、一階には、工場勤務の中年男性が一人暮らしをしており、二階の部屋には、年金暮らしの老夫婦が住んでいるらしい。


 随分お詳しいんですね、とわたしが感心してみせると、Sさんは、弟が駅前の不動産屋で働いているのよと証言の信頼性を高めてきた。

 だがしかし、それは個人情報漏洩というものではないのかと吹っかけたくなる気持ちを抑え、彼女に先を促す。


 Sさんが窓から目撃している人物は、背が低く、頭頂部に当たる部分に色がないため、恐らく白髪頭ではなかろうかと推測され、結果老人、老夫婦のいずれかであろうと思われていた。


「高齢者って、だいたい早寝早起き、でしょ。子どもより規則正しい生活をしているって思ってたから、あんな時間に料理してるなんて、正直、意外に思ってたのよね」


 Sさんが、そのアパートを風呂場から見るのは、決まって風呂掃除の時間帯。

 夕飯を済ましてまったりした旦那と息子、それに彼女がお風呂を使い終わってからなので、つまり二十三時近くということになるようだ。

 ただし、毎日見えるわけではなく、一週間に換算すると平均して二・三日くらいの割合で目撃するらしい。


「知ってると思うけど、うちって新築だったのよ。建て売りとかじゃなくて、オーダーメイドした新築ね。だから、あの家で暮らすようになった時から、多分、ずっとそうだったんじゃないかと思うのよ。でも、意識してなかったからなのか、前はどうだったのかとか、前からそうだったのかって聞かれると、思い出せないのよ。多分、とか、だった気がする、くらいにしか答えられない。あんなオンボロアパートですもの。取り立ててアンテナ張ってチェックするような価値なんてなさそうじゃない? あまりに地味でちっぽけで、注意して見ないと見つけられないようなことだったから、大して気にもしてなかったんじゃないかなーきっと」


 それなのに、Sさんは数ヶ月前から、そのアパートの窓が異様に気になり出してしまったのだという。


 そして、二日前に、決定的な事件を目撃したらしいのだ。


 二十三時過ぎ、いつものようにSさんが、窓を開け放して風呂掃除をしていた時だった。


 風呂桶の泡を流し終わった彼女がおもむろに視線を上げると、アパートの窓に人が立っていた。


 いつものことだ。

 ただ、いつもと違っていたのは、人が二人、立っていたのだという。


 どちらも白髪頭らしく、頭頂部に色がなく、向かい合って、なにかを言い争っているような感じだったらしい。


 そして、そのうちに、片方が、なにか光るものを、振りかざし・・


「窓枠の上に蛍光灯が設置されてるみたいで、その光が反射してギラギラ輝いていたから、あれは絶対に刃物だと思うわ。それを何度も何度も」

 向かい合う相手に向かって振り下ろしたのだという。


 その場にいた全員の脳裏に、殺人事件という文字が浮かんだ。ところが、中の一人が、あ、でも、と遮った。

「あそこに住んでるおじいちゃんとおばあちゃんなら、元気よ。あたし、昨日、行ったから」

 聞けば、その発言をした小太りの女性は、駅前にある訪問介護事業所のヘルパーとして週に二日、例のアパートを訪れているらしい。

「旦那さんのほうがね、もう随分前から寝たきりだから、要介護なの。もう一人じゃ座ることも、ままならないのよ。でも、昨日、あたしが清拭したけど旦那さんの体に傷は見当たらなかったし、奥さんも特に変わりなく、大きな傷らしきものはなかったわ。ホラ、今は半袖の薄着だから、刺し傷みたいな怪我があれば、否応無しに目立つと、思うのよね。だから、それで、」彼女が言葉を濁していると、嘘だって言いたいわけ? と、Sさんが食ってかかった。

 いや、そういうわけじゃないけど、とヘルパーをしている女性が弱気に首を振る。

「ただ、あそこのおじいちゃんとおばあちゃんは、利用者の中でも特に温厚な部類の人達だし、あたしは何年も通っているから、二人の人となりはよく知ってるつもりだけど、その、有り得ないっていうか」

「そんなこと、わからないでしょ!百歩譲って、それが真実だとしても、私が見たことも真実よ!」

 Sさんは心外だとばかりに顔を真っ赤にして、プイっと背を向けると去っていった。

 彼女がいなくなり、緊張感がどっと解けた一同は、一応肩を竦ませて困った顔を装いながら、お互いの様子を窺いつつ言葉を選んで会話し始めた。

 このコミュニティーではまだ新参者らしくSさんの対応に慣れてないヘルパーの女性以外は、情報通の彼女にマズい情報を触れ回られたくない一心で、反発せず彼女に取り入ろうと必死になっている主婦ばかりらしい。

「あの人、時々、あんな突飛なことを言い出すのよね」という発言に、そうそう、と周りを警戒しながら他の者が相づちを打つ。

 それを皮切りに、大体、見たって言ったって、あの人の家からアパートまで、だいぶ離れてるのに、よく刃物かどうかわかったもんね、とか、旦那が浮気でもしてんじゃないの? など誹謗中傷が次々並ぶ。

 ふと気付くと、顔見知りの女性とヘルパーの女性が消えていた。わたしも、ゴミ捨て場を後にした。


 それから、ちょうど一週間後。


 ゴミ出し部隊のわたしは、又しても生ゴミの袋を携えてゴミ捨て場に向かう。


 主婦連は既に集って喋くっていた。

 その横をすり抜けるようにしてゴミ袋を置いて、颯爽と踵を返そうとしたが、この前顔見知りになったヘルパーの女性と目が合い、会釈されてしまった。

 仕方なく輪に加わる。

 ところが、

 いつもなら会話の中心にいるはずのSさんが、いないのだ。

 この間のいざこざがまだ解決していないのかと思い、Sさんはどうしたのですか? と素朴な質問をしたところ、水を打ったように静まり返ってしまった。


「彼女は・・入院してるわ」


 そうですか、どこか具合でも悪いのでしょうかと聞くと、主婦の一人が、ここがねと言って顳顬を指した。


 聞けば、Sさんは、あの後もアパートの窓から殺人の現場を見たのだという。


 しかも、窓ガラスにまで血が飛び散るような凄惨な光景だったらしい。

 夜目にも赤いとハッキリわかるほどの大量の鮮血だったそうだ。

 そして、


 殺害後、料理をするような動きを始めたらしい。


 ・・・・なにを、料理して、いるの?


 恐怖に凍り付き、震えながらもSさんはどうしても目を離すことができず、ずっと見続けたのだそうだ。

「さっさと通報なりすればよかったのに、バカよねえ。大方、衝撃的なビッグニュースになるとでも踏んだんじゃないの? 大袈裟にするのも、大々的に触れ回るのも、大好きな性分だったから」


 Sさんは、見続けた。


 料理が始まって終わるまでの一部始終を、磨りガラス越しに、目撃し続けたそうだ。


 そして、


「笑ったんですって。Sさんに向かって」

 口裂け女みたいに、にやあーって、と言いながら主婦の一人が口を横に引き延ばしてゆっくりと開けた。その口元から、金をかけているらしい白くキレイな歯並びが覗く。


「Sさんの悲鳴を聞いて、旦那さんが駆けつけたらしいんだけど、彼女が怖がる窓にはなにも見えなくて、結局彼女は精神疾患ってことで、そのまま入院」

 まあ、誰彼構わず、あることないこと吹聴する鉄棒引きがいなくなったから、平和に暮らせるようになって、心穏やかにはなったわよねーと笑い合う主婦たち。


 一種、異様な光景だった。


 Sさんは、ショックのあまり口がきけなくなってしまったらしい。


「では、老夫婦の方たちも、変わりなく暮らしていらっしゃるんですね」と、わたしは、ヘルパーの女性に話しかけた。

 彼女は、答える代わりに、口角を垂直に上げた笑い方をした。


 音にすると、にやあーだ。

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