日本昔話×現代サイコホラー

御伽話ぬゑ

雪女×リノベーション

 高校の同窓会があった。


 その席で、再会した友人と連絡を取り合うようになり、誘い合って何度か飲みに出かけた。

 大手の不動産会社に勤務していた友人は、営業マンとして多忙な日々を送っている。


 年下の奥さんとの間には幼い娘が二人。自慢じゃないがなと鼻の下を伸ばしながら、娘達の写真を見せてきた。

 順風満帆じゃないかと茶々を入れると、普通だよ普通!と照れ笑いを隠し切れない友人は、ジョッキを呷る。

 学生時代には心霊研究部を作ろうと部員を募っていた心霊現象オタクだった友人。

 不動産屋ともなれば、さぞかし奇怪な物件などに出くわす機会もあろうかと水を向けてみたが、意外にも彼は首を横に振る。

「残念なことに、オレはその手の案件とは縁がないみたいなんだよ」うちの会社の物件がってわけじゃなさそうだし、うちでも引くヤツは頻繁に引くらしいんだけどさ、とつまらなさそうに肩を竦める友人の横にお代わりのジョッキが置かれた。彼は、それを口元に運びながら、最近の情勢や不動産界隈の話題などを話し始める。

「最近は、もっぱら空き家相談が多いかなあ」


 全国を通して年々増加していく『空き家』。

 所有者不明の物件も少なくないようで、各自治体も対処に踏み切れず困っているのだとか。

 中でも社長クラスのハイレベルな金持ちが暮らす都内屈指の高級住宅街があることでも知られる世田谷区は、『空き家』件数においても他の追従を許さず、全国トップであるらしい。

 意外な事実である。

「結局さ、死んだ親やじいちゃんばあちゃんが暮らしていた家だったりするわけよ。そこそこの古民家ってやつ。うちの会社でも、持ち主と交渉して、シェアハウスに改築したり、リノベーションして賃貸物件として貸したりはしてるんだけど。なにしろ、手間がかかる。まあ、取り壊すことを考えたら、そのほうが利益はあるからさ」まだマシなんだよと、友人は唐揚げの皿を引き寄せると、レモンを絞って齧り付く。

 カリカリッと香ばしいニンニクの風味が香り立つ。秘伝のタレに漬け込んでいるこの唐揚げは、この居酒屋の名物だ。

 んまい!と続けざまに何個か平らげ、機嫌良くジョッキを持ち上げた友人が、そういえばと真顔になった。

「あの借家も、世田谷だったな」


 友人の口に登ったあの借家というのは、元は老人が一人暮らしをしていた家だったらしい。


 家主の老人が他界してしまったため、老人の息子が処分に困り、相談してきたのが始まりだった。


 手放したかったが取り壊すとなると費用がかかる上に、背の高い住宅に挟まれている立地だったので、日当りが悪く更地にしたところで、固定資産税が余計にかかる前に果たしてスムーズに売れてくれるかどうか。

 散々検討を重ねた結果、使いにくい3DKの元の間取りを広い2Kにリノベーションして賃貸物件にするということで決定した。

 それが、二年前の年の瀬だったそうだ。


 その男性が来店したのは、翌年、桜が咲き始めた時期だったらしい。


 会社に出勤しやすい世田谷で賃貸物件を探しているという二十代、単身者のYさん。


 折しも例の借家のリノベーションが完成した直後だった。そのことをYさんに話すと、ぜひ内見したいとなり、トントン拍子で契約となったようだ。

 これで、いつ彼女ができても安心して部屋に呼べますと、Yさんは喜び勇んで新生活を始めたらしい。


 それから数ヶ月後。


 油蝉の声が目立つようになってきたある日、Yさんから連絡が入った。


 自分が住んでいる家のこれまでの歴史を知りたい、可能であれば家の持ち主にも会いたいと言う。


『この家に、なにがあったのかを知りたいんです』どうしても!と、Yさんは、金切り声で早口に捲し立てた。


 この手の対応には慣れている担当者は、手元のパソコンで素早く物件情報を照会した。

『そちらの物件は、持ち主様のお父様が建てられ、長年ご一家で暮らされていた、ごく普通のお宅です』

『では、どなたかがここで亡くなられたということは?』

『そういった事実はございません。そちらの家の所有者様とその血縁にあたる方々はご健在で、ご両親は、どちらも病院や施設で亡くなられております。また、こちらの土地自体は、元は畑として利用されていたようです』

『では、その持ち主の一家が住んでいた時に、なにか変なことが起きていたとか聞いてませんか?』

『特に聞いておりませんが・・』と応対すれば、では持ち主に会わせてくれまいかと、諦めずに食い下がる。

『持ち主様は、現在、海外で暮らされておりますので、問い合わせをすることはできますが、直接会うとなると、彼方様の都合もございますので・・』と答えを濁すと、では、問い合わせをしてくださいと返ってきた。

『どんな理由で、どういったことをお知りになりたいのですか?』

『実は・・』


 Yさんは最近、誰かの気配と視線を感じてしょうがないのだという。


 もちろん、最初は気のせいだと思っていた。

 量販店の社員という職業柄、帰りが遅い時間になることも多く、疲れ果てて帰宅と同時にベッドに倒れ込んで爆睡してしまう毎日。更に、上司の付き合いや接待などの飲み会が定期的にあり、Yさんはその都度、泥酔して帰宅し、トイレや玄関で朝を迎えることもあった。そんな限界ギリギリの生活なので、ちょっとくらいの幻聴や幻覚があってもおかしくはないし、別に気にもならなかったらしい。


『精神がメルトダウンしちゃってる人なんて、いくらでもいますよ。鬱病とか精神疾患で辞めていく人間なんて珍しくない業界なんです。独り言が大きい上司とか、バックヤードで壁殴ってる先輩なんてざらです。だから、妙なことがあっても、自分もとうとう仲間入りしちゃったかぁって、そっちでガックリしてたんです』


 ひたひたと歩いているような音がした気がしたり、気分が悪い自分の顔にひんやりした息をふっと吹きかけられたような感じがしたりと、彼が酔いつぶれていた時に限定だったこともあって、きっと夢でも見たのだろうと特に気にもしなかったという。


『悪酔いしたことがある人なら、誰でも似たような経験はあるんじゃないかなぁ。アルコールが回っちゃって、五官どころか脳みそも麻痺状態なんだから。夢と現実の境目が曖昧になっちゃっても仕方ないと思いますよ』


 そんなYさんが、ある朝、シャワーを浴びに風呂場に行くと、鏡の前に、長い髪の毛が、一本、落ちていた、という。


 その髪の毛は、腰に届こうかというほどの長さで、社内規定に沿った短髪且つ刈り上げのYさんのものとは到底言えなかった。

 けれど、自分の家族にも、ここまで髪を伸ばしている者はいない。

 では、髪の長い女性客を接客した時にでも、制服にくっ付いてしまい、そのまま持って帰ってきてしまったのだろう。そう結論づけることにした。

 なんせ、Yさんが起床してから出勤までの朝のスケジュールは、短い時間に無駄なくタイトに組まれていたのだ。余計なことを考えている時間はない。


 Yさんは髪の毛をゴミ箱にポイッと捨てると、出勤準備に取りかかり、そのまま忘れた。


 ところが、


 深夜に帰宅したYさんがベッドに倒れ込み、疲れ果ててそのまま眠ろうとしたところ、顔に蜘蛛の糸のような不快さを感じたのだ。


 無造作に顔を払うと、手に、細い糸が、絡み付いてきた。


 一体なんだとこじ開けた目に、己の手に、絡み付いた、黒い髪の毛、が映る。


 眠気が吹っ飛んだYさんは、奇声を上げて起き上がると、手を激しく振って髪の毛を床に落とした。それから、素早く左右上下を見回す。

 けれど、部屋にも窓にも誰の姿も確認できず、変わったところはなさそうだった。

 一体どこから落ちてきたんだ。床に伸びている髪の毛は、今朝見つけたものと同じ長さに見えた。


『なんだか、気味が、悪くて・・結局、その夜は電気をつけっ放しにして、一睡もできませんでした』


 急に神経が過敏になったYさんは、それ以来、出勤前帰宅後の部屋の変化やゴミや汚れ、積もっている埃に至るまで点検するようになったらしい。


 例の髪の毛が落ちていることはなかった。


 その代わり、今度は凍てつくような視線を感じるようになったそうだ。


 それは主に、夜、Yさんが就寝している時に感じるのだという。


 例の髪の毛事件以来、完全に真っ暗にするのが怖くなったYさんは、枕元のスタンドライトや豆電球などをつけっ放しで眠るようにしていた。そうすると、異常を瞬時に確認できるのでいくらか安心して眠れるのだ。

 ところが、


 その冷ややかな視線は、彼が完全に寝入った時を見計らって突き刺さってくるそうだ。


 あまりに冷たく殺気を孕んだ気配を放っている視線は、ある晩は部屋の隅から、ある晩は天井から、またある晩は、Yさんの顔の真上から悪夢のように刺さってくるらしい。


 視線に気付いてYさんが、ガタガタ震えながら目を開けても、そこには、誰も、いない。


 そんなことが毎晩のように繰り返された。


 睡眠不足が続き、Yさんの精神は、ザクザク削られていった。


 真夏だというのに、暖房を入れたいくらいのゾワゾワとした寒気に、毎晩、襲われていた。


 もう、限界だ。


 この家には・・なにか、いる。


 Yさんの事情を聞いた担当者は、取り急ぎ、持ち主に連絡を取ったらしい。

 けれど、持ち主からの返答は、否。

 過去におかしいことがあった経験はなく、家自体に問題はないとのことだった。

 そのことを、担当者が連絡しようとした矢先、錯乱状態のYさんから電話がかかってきたらしい。


 今すぐに、来て欲しい、とのことだった。


 Yさんは、度重なる夜の恐怖から極度の神経衰弱に陥っておりそれが原因で体調を崩し、仕事を休んでいた。


 その夜は、朝シャワー派の彼が珍しく風呂に湯を張って、ゆったりと入浴していたのだという。


 体を温めれば、少しは神経の緊張が解れるかと思ったんですと、のちに彼は言っていたらしい。


 Yさんは、湯船に体を沈め、よく温まってから、上がって洗髪をし始めたそうだ。


 シャンプーの泡を流すために、湯船のお湯を洗面器ですくって頭にかける。

 それを、何度か繰り返してから、顔を擦って正面にある鏡に向き合った。

 すると、


 鏡に映る自分の肩や腕に、細い線が、垂れているのに、気付いた、そうだ。


 目を見開いた彼は、震える手で、その線に触れた。


 Yさんの指に摘まれた黒い線が、長く、細い尾を、引きながら、引き剥がされていく。


 それは、いつかの髪の毛と、同じものだった。


 エサをねだる鯉のように、パクパクと口を開閉するYさんの目に次に映ったものは、鏡の中、彼の、背後。


 彼の背後、上方に、黒い毛の、塊が、垂れ下がっている・・


 それを認めた彼は、叫び声を上げながら一目散に風呂場から逃げ出した。


「髪を振り乱した女がさ、にやあーって笑って、風呂の天井から覗いていたらしい」

 こうやって、と友人は、両手を幽霊のうらめしや〜の形にして顎の下でポーズをとった。

 その片方の手を肩に持っていくとコキコキ首を動かしながら、リノベーションした時にさ、と続ける。風呂場だけはボロ過ぎてユニットバスにしたから、天井の点検口開けて入り込んだんだろうなと付け加えた。

 ってことは、生身の女だったってことなのかと聞くと、らしいぞと友人はジョッキを傾けた。

「同じ職場だったんだと。その男になにか秘密を暴露されたことがあって、恨んでいたらしいぞ。で、なんとかやり返したくて、泥酔状態の男の懐から鍵を盗んで、スペアキーを作って夜な夜な入り込んでいたそうだ。こわいこわい」

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