幽霊

 それを聞いた途端、胸がざわついた。身の毛もよだつってやつだったろうが、ただ、少し興奮もしていた。一瞬、風邪を引いたような心地になった。

「かっ甲斐田正秀?じゃあ、あんた死んでるってこと……?」

「そうらしいのう。別に死ぬつもりはなかったが」

 その言葉にゾクッときた。背筋に冷たいものが走ったという感じだが、笑いも込み上げてきて、要はテンションがおかしくなっていたのだ。

 いや、待て。

 現実的に考えろ。今俺の目の前にいるのは、ただ甲斐田正秀と名乗り死んでいると自称しているだけの男だ。彼が言っていることを信じられる証拠は一つもない。

 俺はいつの間にか怪訝そうな表情をしていたらしい。少年は……いや、ここは(確信はないが)甲斐田と言うべきか。甲斐田は口を尖らせた。

「お前、信じとらんな」

「確かに、にわかには信じがたい。証拠はないのかよ」

「証拠ォ?ウーン……」

 甲斐田は首を傾げる。こう言われて何も言えないとなると、何だか胡散臭く思えてきた。

 やっぱり嘘か。

 白けて踵を返しかけたたとき、

「仕方ないのう」溜息を吐いて無言で手招きした。やっぱり俺はこの子供が霊か否か気になって仕方がなかった。どことなく怪しいと思ったが自分の好奇心に抗えるほど、俺は大人ではなかった。

 空き教室に入ると、甲斐田の方もこちらに歩み寄り、目の前までやってきた。

 甲斐田は今、友達と雑談するとき程度の距離にいたものの、身体が透けて向こうの壁が見えるだとか、地面から浮いているだとか、そんな様子は見受けられない。だからまだ半信半疑だ。

「ちと手ェ触ってみぃ」

 甲斐田は右手を差し出した。俺は少し躊躇しつつ、不愉快そうに(まだ何もしていないし何も言っていないのに、だ!)じっと目を閉じる少年の顔をチラチラ覗きながらその手に触れようとした。

 触れられなかった。

 代わりに、甲斐田は「うう……」と唸り、俺の左手は空を切った。

 信じられない。嘘だ。

 俺はもう一度甲斐田の手に触れようと試みるが、何度やっても何も感じない。それを5回程度繰り返したところで、触れられぬ手の持ち主は身震いをしてそれを引っ込めた。

「もー分かったじゃろーが!」

「あーうん」

「……面白がりおって……」

 甲斐田は恨みがましく呟いて俺を一瞥した。気を悪くしたらしい。そっぽを向いてしまった。少し申し訳ない。

「いや、それはごめん。あんた、触られんのやなんだ」

「まあな」

「なんで?潔癖症なの?」

「別にそんなこたぁないが……お前、調子乗りすぎって言われるじゃろ」

「なんで知ってんだよ」

「……素直な男じゃのう」

「別に良いじゃんかよ」

 ……何か感心された。気に食わないな、さっき申し訳ないといったのは撤回しよう。

 しかし機嫌を戻したようなので安心する。奴も奴で、素直で単純だ。

「で、何でそんな触られるの嫌がるんだよ」

「ウーン、何かな、ゾワッとするんじゃよ、ゾワッと」

「ユーレイってそんなモン?」

「知らんがな。マァ、あの世のものとこの世のものが交わるってのは健全な状態じゃあないんじゃろ」

「ふうん」

 俺は生返事をし、次の質問を投げかける。

「幽霊なのは分かったけど……あんたホントに甲斐田正秀?」

「何故疑う」

「だってあれだろ、甲斐田正秀って『赤と青、どっちが好き?』って訊いて、どう答えても死ぬっていう怪談だろ」

 当然のように訊くと、甲斐田は軽く吹き出して馬鹿にするように笑った。

「んな訳なかろーもん。来る奴みんなに話しかけとるから、面白いように話に尾ビレつけてったら原型がなくなったんじゃろう」

「え、じゃあ酷い死に方をしたってのも?」

「酷い?」

 そう繰り返すと、少しの間自分の顎に手をやって考え込む姿勢を取って静止した。「あー」とばつが悪そうに話を切り出そうとするが、やっぱり駄目だというふうに頭を掻いてまた黙る。

 彼が個人的に話したくないというような態度ではない。どちらかというと、相手が良ければ話すけど、みたいな雰囲気だ。

 何度かそれを繰り返して俺も耐えかね「何だよ」とこちらから仕掛けた。俺がなにか言わないと何となく、彼が霞になって逃げてしまうような気がしたのだ。

「話したくないのか?」

「んなこたーない、まー確かに、酷いって言えば酷かったかもしれんと思っただけじゃ」

「話す気ない?」

「お前がえがったら」

「俺は良いよ」

「そんなら話すが……戦争の話じゃぞ、よくある話」

「へえ。試しに話してみろよ」

 俺が乗り気な様子を見せると、甲斐田は気不味そうに自分が死んだときのことを話し始めた。

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