第12話 僕の恩人①(クリス視点)

 僕は周囲の人間が怖かった。


 幼い頃、僕は父上と母上の背中しか見たことがないような気がする。二人は僕よりもずっと優秀な兄に夢中だったからだ。

 両親だけではなく、周囲の従者も、教師も、国民も、皆が兄上を「この国の太陽」だとか「この国の宝」だと褒めたたえ、愛していた。


 授業中、何度専属の教師にため息を吐かれたことだろう。彼の口癖は「貴方のお兄様はこんな問題、簡単に解けていましたよ」だった。


 兄の方が賢い。兄の方が強い。兄の方が逞しい。全て、僕よりも兄の方が秀でている。

 そう周囲に言われ続け、育てられてきた。そんな環境で幼いながら僕は思う。僕はどうして存在しているのだろう。僕はどうして、国のためにと勉学に励み、体術の修行を積んでいるのだろうか、と。兄がいるのならば、僕は存在しなくても皆が困らないのではないか、と。

 自分で自分の存在意義が分からなかった。


 だけれど、兄との関係が険悪だったわけではなかった。むしろ逆。兄はこんな僕にも優しくしてくれた。

 皆が背を向けている中、兄だけは真っ直ぐに僕を見て、僕を可愛がってくれた。だから、僕も兄を心から慕っていた。

 ……兄さんと遊んでいる間だけは、心の底から僕は笑うことができたんだ。


 だけど、兄の戴聖式で状況は一変した。


 戴聖式直前になると、皆が口々にこう噂していた。兄が授かるのは選ばれし者にしか与えられない「光魔法」に違いない、と。

 光魔法というものは魔族や魔物を浄化する神聖な魔法のことで、とても希少でもはや伝説のようなものだった。

 そんな光魔法を授かってもおかしくはない。むしろ授からないとおかしい。その時の兄は皆にそう思われるほど期待されていたのだ。


 ……結果、兄は光魔法を授からなかった。

 それどころか、悪魔や魔族の象徴である黒の炎──黒炎魔法を授かった。


 戴聖式は勿論阿鼻叫喚だ。

 兄はその魔法を授かった途端、僕とお揃いの茶髪が真っ黒に染まり、黒炎が暴走して兄の身体を覆った。


 皆が逃げ惑う中、僕はそんな兄へ駆け寄ろうとした。しかし父上が僕を抱えて、教会を後にした。

 父の肩越しにこちらを見る兄の泣きそうな顔は今でもはっきり覚えている。


 僕はただそんな兄に手を伸ばすだけで、何もできなかった……。


 その後、兄は城内の隅にある屋敷に隔離された。

 戴聖式での兄の黒炎の噂は国中に広まり、兄は「エーデルシュタインの太陽」から「呪われた王子」として周囲に避けられるようになってしまった。


 その代わりに周囲は今度は僕を「この国の太陽」だと褒めたたえるようになった。今まで僕に背を向けていた周囲が今度は僕に媚を売るようになったのだ。

 その手のひら返しが僕はたまらなく恐ろしかった。


 父も母も僕に優しく笑いかけてくれるようになった。そして僕の欲しいものはなんでも与えると言ってくれた。

 従者達も僕に快く尽くしてくれるようになった。教師も僕に嫌味を言うどころか、僕へのお世辞で授業にならないほどだった。

 そんな周囲が仮面を被った偽りの姿にしか見えなくなってしまったのは当然のことだろうと思う。


 もう誰も信頼しない。僕は幼いながらも、そう決意したのだ……。


 そんな中、兄だけはあんな事があったのにも関わらず僕に変わらず優しくしてくれた。周囲の目を盗んで兄の屋敷で本を読んだり、勉強を教えてもらったり……。

 もう僕の心の拠り所は兄しかなかった。


 それなのに。


 ──『クリス。もう、俺を二度と“兄さん”と呼ぶな』


 で、僕は兄にそう言われてしまった。そして兄はそれ以降僕を避けるようになったのだ。


 僕は唯一信頼していた兄を失い、表面では平静を装っていたが、塞ぎこむようになってしまった。


 ……そんな時だ。ディアに出会ったのは。


 父上から数人の婚約者候補の写真を見せてもらった。その中にディアの写真があったのだ。

 彼女は以前パーティで他のご令嬢のドレスの方が可愛いからと泣きわめいていた印象が強かった。

 「傲慢我儘令嬢」という酷い通称通りの女性だと思ったが……僕にとってはそれが逆にいいと思った。

 自分の感情をストレートに表現する分かりやすい彼女の方が、仮面を被った女性よりも一緒にいて楽だろうと思ったのだ。


 僕は彼女を婚約者として選んだ。

 まさか僕がディアを選ぶとは思っていなかった父上はとても間抜け面をしていたけれど。


 ただの間抜けなご令嬢。分かりやすくて扱いやすい人。僕の中で彼女はそんな立ち位置だった。


 だけど──


『むしろこんなに素敵な魔法はないと思っているほどです。大切な人の盾となって、守る事ができるなんて!』


 ディアのこの台詞には耳を疑った。


 彼女が戴聖式にて守護魔法を授かり、ショックで気を失ったと聞いて、慌てて慰めにいった時のことだ。

 そこで彼女は別人のような可愛らしい笑顔で、そう僕に言った。

 傲慢我儘令嬢の彼女が「他人を守る」魔法を授かって喜ぶはずがない。そう思っていたのに……。


 僕はその時、彼女が恐くなった。彼女が僕に対して仮面を被ることを覚えたのではないだろうと疑ったからだ。

 もしそうならば、僕は彼女との婚約破棄も視野に入れよう。そう思い、僕は彼女を観察することにしたのだが……そんな僕の警戒を余所に彼女はどんどん様々な表情を見せてくれた。


 リオン殿の稽古で一生懸命走る彼女のどこに嘘があるのだろうか。以前の言葉通り、彼女は「誰かを守る」ためにあんなに必死に鍛錬を積んでいるのだろうか。

 もしそうだとしたら……なんて健気な人なんだと思う。これも演技だとしたら彼女は相当の策士だろう。

 現に僕は正直、汗を掻いて真っ青な顔で走る彼女の姿に惹かれてしまっているのは否めないからだ。


 リオン殿やヴァイオレット家の従者達に話をきいても、皆が「ディアは変わった」と笑顔で同じことを口にする。あの冷徹なリオン殿すらも今のディアに心を開いたようだった。


 ……つまりは、そういうことなんだろう。


 今の彼女は、表情をコロコロ変えて、素直に自分を表現する。仮面なんて被らない。自分の感情をストレートに伝えてくれるところは以前と変わらないのだけれど、周囲に悪意を表すことは一切ない。


 そんな彼女の傍がいつしか居心地がいいと思うようになった。魔法の鍛錬で躊躇なく泥だらけになったりするお転婆な彼女は見ていて飽きないし、つい笑顔になってしまう。

 

 いつしか彼女は偽りだらけの僕の世界の、唯一の真実の光になりつつあったのだ。

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