第11話 突然の訪問者

 クリスがカインを連れて来てから、彼は言葉通り毎日ヴィエルジュ家を通った。

 王太子の彼は暇ではないというのに、毎日毎日ディアの好きそうな茶葉を持ってヴィエルジュ家にやってくるその姿は健気という他ない。


 それほどリオンの事が好きなのだろうとディアは勝手に解釈していた。


 ──故に、ディアとクリスの会話には度々すれ違いが起こっている。


「ディア、今日も魔花法で修行しているのかい? よかったら僕も、」

「あっ! クリス様! お兄様なら自室にいらっしゃいますわ! 私の事は放っておいてくださいまし! ちゃんと分かってますから! ささっ、どうぞ!」

「……えっ、あ……」


 クリスはディアの言葉の真意を尋ねようとしたが、やけにキラキラと目を輝かせているディアに逆らうこともできず、そのままリオンの部屋に向かってしまう。ディアはその後ろ姿を満足気に見守った。


 その後にクリスとリオンが部屋で何を話しているのかと妄想を膨らますのがディアの日課だった。

 そんなディアを見て、侍女のリンが背後でクリスを憐れんでいるとも知らずに……。


 ──しかし、今日は様子が違った。


 今日はリオンが屋敷にいないというのにクリスが訪ねてきた。

 ディアは首をひねる。どうしてリオンという目的がないのに、訪問してきたのだろうと。

 キョトンとしているディアにクリスは顔を真っ赤にして、目を泳がせる。


「ディア。今日こそは君が僕に庭を案内してくれないかな」

「で、ですが……お庭については私よりもお兄様の方が詳しいので、」

「ぼ、僕は!! その、君に、案内してほしいんだ……!」


 予想外のクリスの言葉にディアは「はぁ……」と困惑する。

 ここでリンが一つ助け船を出した。


「ディア様。一応貴女はクリス殿下の婚約者なのです。たまには二人きりでいませんと、逆に周囲に怪しまれてしまわれます」

「あぁ、なるほど。世間体もありますものね……。うっかりしていたわ! 申し訳ございません、クリス殿下!」


 若干理解している意味が違う気がする。クリスはそれを感じ取っていたが、とりあえずディアが庭を案内してくれるなら、と口を噤んだ。

 

 ヴィエルジュ家の庭は広い。大陸各地の美しい植物が生き生きと咲き誇っている。

 その中で、隣にはどの花より美しい“推しの顔”がそこにはある。これほど幸せなことがあるだろうか。

 まるで自分が乙女ゲームの主人公になった気分で、ディアは乙女として──否、純粋に彼のファンとして浮かれていた。


(嗚呼、推しの顔がこんなに近くに……! 秒ごとでお金を支払わないといけないレベルの美しさだわ! 身分上問題がなければ、その腰や胸元に札束をねじ込みたいぐらい……!)


「ディア。この花はなんというんだい? 綺麗な青色だね」

「あぁ、これは──この辺り一帯のお花は全て私が咲かせた魔花ですわ」


 ディアがそう言うと、クリスは目を丸くする。


「こ、これ全部君が咲かせたのかい?」

「はい。カインさんが魔法の特訓につきあってくださるので、ここ最近は特に増えました」

「そうなんだ。やっぱりカインを君に紹介してよかったよ! ところで気になったんだけど、魔花は青いものが特に多いね」

「ああ、それは……私が魔法を使う時は常にクリス様のことを考えているので……。それで、殿下の瞳の色になったんだってカインさんが言っていました」


 (まぁ、クリス様のために魔法を学んでいるようなものだし)とディアは何気なく言っただけなのだが──クリスがその言葉をどう受け取ったかは言うまでもない。

 ただでさえピンク色の頬がさらに赤みを増し、クリスは思わずディアに顔を見られないように彼女に背を向ける。


「……僕は君を誤解していたようだ」

「え?」

「僕は正直、少し前までの君を傲慢で我儘な女性だと思っていた」


(いや、本当にその通り! ゲームのディアは幼い頃ドレスの色が気に入らないとパーティで泣きわめいたり、他の令嬢のドレスを欲しがって、他人のドレスを破ったりしたって語られていたし……。そういう印象を持つのは当たり前ですわよ、クリス様!)


 ディアはうんうんと頷く。

 そんなディアを背に、クリスは真っ赤な顔で言葉を続けた。


「でも、今の君は違う。カインとの対決の時のように……僕のことをあんなに想ってくれる君を、い、今は……その、い、と思っているんだ」


 ディアは思わずフリーズしてしまう。クリスが恐る恐る振り返り、ディアを真っ直ぐ見つめてくる。その熱っぽい瞳にディアも思わず顔が熱くなった。

 憧れの推しにド直球な口説き文句を吐かれてしまえば、誰でもそうなってしまうだろう。


 ……しかしディアにとってクリスは神のような存在、自分とは次元の違う存在なのだ。

 彼の事を愛している言えど、自分と彼のロマンスを想像することができなかったのが本音。


(いや、いやいやいやいやいやいやっ!! そもそもクリス様が私なんかに惚れるわけがないわよ、それは解釈違い! きっと、クリス様は何か勘違いをなさってるんだわ!!)


 一瞬でも真に受けてときめいてしまった自分に傲慢もほどほどにしなさいとツッコミをいれつつ、ディアは冷静を装った。


「く、クリス様には私なんかよりももっともっと素敵な(殿)方がおられます……!」

「えっ。それってどういう──」


 ──その時、だった。




「──みーつけた」




 背後から、クスクスと女の笑い声。

 ディアは声の方に振り返り、時が止まったかのように絶句してしまった。


(どうして、ここにいるの?)


 突然現れた女を警戒し、クリスがディアを守るように立ち塞がる。


「誰だ、君は? 見かけない顔だね。ディア、知り合いかい?」

「い、いえ……初対面ですわ!!」


(そうよ! 初対面のはずよ! そもそもは戴聖式で現れなかったんじゃなかったの?)


 ディアは顔を真っ青にして、動揺する。

 現れた女とディアは初対面ではある。

 だが、目の前の女の名前をディアは知っていた。


 だが、ありえない。何故なら、ディアの目の前にいるのは──!!


「──?」


 それは「黎明のリュミエール」の主人公の名前だった。

 しかし半信半疑だ。原作の彼女は明るい茶髪の天然パーマが特徴だったが、それは真っ黒に染まっていた。

 まるでのように。

 それに彼女はあんなに意地の悪い笑みなんか絶対に浮かべない。画面越しの私ですら癒されるような天使な笑みが彼女のチャームポイントだったからだ。


 彼女はディアの言葉にピクリと反応して、ふぅんと口角をあげた。


「へぇ、そうだったんだ。やっぱり、アンタも私とおんなじなんだ」

「っ! 貴女は……本当にニコルなの!?」

「私はニコルだけど、。そう言えば分かるわよね? 見たところアンタはクリス推しなのかしら?」


 ディアの頭が追い付かないうちに、ニコルの身体から闇が溢れる。


「それじゃあ悪いけど──アンタの推し、


 ディアはさらに混乱した。ニコルが使うことのできる魔法は治癒魔法のはずだ。どうして彼女は闇を身に纏っているのだろう。

 闇魔法は攻略対象キャラの一人──魔王ジンだけのものだったはずだ。


「ニコル、貴女! どうして闇魔法を!」

「あら? 主人公が闇魔法なんて、変? でも今の私の魂はニコルじゃないんだから、治癒魔法じゃなくたって不思議じゃないと思わない?」


(……やっぱり! この人も私と同じ、転生者!)


 ニコルの敵意を感じ取り、ディアは咄嗟に守護魔法を発動させる。

 白い盾に闇が覆いかぶさってきた。カインの盾よりも強い圧を感じる。


(嘘! あっという間に盾にヒビが!)


 このままじゃいけない。慌てて追加詠唱をしようとした時、クリスの声が響く。


「──輝けエストレージャ!」


 クリスの呪文と同時にディアの盾を覆っていた闇がクリスの光に一時的に払われたが──また倍以上の闇が二人に襲い掛かる。さすがのクリスでも濁流のような闇には敵わない様だった。

 闇はディアとクリスを監獄のように閉じ込める。


「滑稽ね。原作のクリスは頼りになる存在だったけれど、こうしてみると強敵でもなんでもなかったわ。色々備えてきて損しちゃった!」


 ニコルが嘲笑した。

 それを睨みながら、クリスがディアの腰に手を回し、耳打ちをする。


「ディア。なにもかもがわからない状況だけど──どうやら彼女の狙いは僕のようだ。僕が闇に道を作る。だから、君だけでも屋敷に逃げるんだ!」

「えぇ!? 嫌です! そんなの、絶対に嫌です! 私はクリス様を、絶対に見捨てませんっ!! むしろ私が彼女を食い止めます。クリス様だけでも逃げてくださいませ!」

「そんなこと、できるわけないだろう!」

「私もできません!!」


 お互いに譲れず、沈黙が佇む。その間にもニコルの闇は二人に迫ってきていた。

 クリスが焦って、声を荒げる。


「ディア!! どうして君はそこまで意地になって僕を守ろうとするんだ!!」

「それは──クリス様が私の恩人で、最推しだからですっ!!」


 クリスのサファイアの瞳が、ディアを真っ直ぐにとらえる。

 ディアは絶対に離さないと言わんばかりにクリスの腕を強く掴み、そのサファイアを見つめ返した。


 二人の視線がぶつかり合い、互いの身体に熱を生む。


「クリス様の瞳が好きです。クリス様の声が好きです。クリス様の言葉が好きです。クリス様の髪も、唇も、眉も、好きです! クリス様の仕草一つ一つ、言動も、全部が好きなんですっ! 私の生きる希望なんです!」


 絶対に逃げたくない。それを分かってほしくて、ディアの感情が爆発した。


「クリス様は知らないかもしれませんが、私が死にたいと絶望していた時、クリス様の存在が私を生かしてくれたんです! ……だから、私だけ逃げろなんて言わないでください!! クリス様のいない世界で、私は幸せになれません!」

「ディア、」

「それに!! 最推しを見捨てるくらいなら、私も一緒に死んでやるぅぅうううーっっ!!」


 ディアはやけくそ気味にそう叫ぶと、クリスを守るように、ニコルに立ち塞がる。

 一方のニコルは何故か楽しそうであった。


「ふふっ! 同志として、気持ちは痛いくらい分かるわ。私達、きっと別の出会い方をしたら素敵な友達になれたと思う。安心して、同志のよしみで痛みはないようにするから。じゃあね、クリス。じゃあね、ディアであってディアじゃない誰か。さようなら!」


 ニコルの闇がさらに勢いをまして二人に襲い掛かる。

 ディアは盾魔法を詠唱。声がひっくりかえったが、気にしない。

 どんなに格好がつかなくても、関係ない。なんとしても最推しは守らなければと身体中が使命に燃えていた。必死だった。


 「無駄な抵抗はやめなさい」とニコルの声がするが、やめてやらない。意地でも彼女の思うようになってやるもんか。

 そんなディアの思考が伝わったのか、ニコルは楽しげな微笑みを一変、悪魔のように眉を吊り上げ、舌打ちをする。


「ああもう! 無駄だって言ってんのよ! クリスは殺す! あんたも殺す! 私の、を守るために──!!」

「!」


 ニコルの闇と、ディアの盾がぶつかる。

 火花が散り、周囲の空気がピリピリ揺れた。近くに咲いていた植物達が二つの魔法の衝撃波で無惨に散っていく。


 やがて、ニコルの漆黒の闇がディアの白い盾をじわじわと浸食してくる。ディアは身体の内側から毒に侵されていくような感覚に陥った。


(苦しい! 頭が痛い! 息もしづらいし、吐き気も! このままじゃ──死、)


 次第に闇の力に押され、後ずさるディア。

 目の前で轟轟と渦巻く闇がもしクリスや自分を飲み込んだら──今以上の苦痛が二人を襲うのだろう。

 「全身の細胞の一つ一つが生きることを諦め、走馬灯を見る暇も与えられずに、死に至る」。

 ゲーム本編ではそんな闇魔法の描写がされていたが、いざ自分にそれが降りかかると思うと恐ろしいにもほどがある!


(悔しい! クリス様はここで殺されるようなお方じゃないのに! 私がハッピーエンドに導かないといけないのに!)


 ここで盾を侵食してきた闇魔法がついにディアの指に触れる。途端に指先の感覚がなくなっていく。

 先程ニコルは「痛みなく殺してあげる」と言っていたが……むしろ痛覚がなくなってしまう方が身体にどれだけの負担をかけているのか未知数で不気味である。


(怖い、怖いよ……逃げたい……! 死にたくない……!)


 それでも。

 震える手で、ディアは盾を顕現し続けた。この盾を失ってしまったら、自分が死ぬよりも怖いことになることを知っているからだ。


 ──そこで。震える彼女の小さな背中を、支える手があった。


「ディア! 踏ん張って! 僕が支えるから!」


 気づけば、呼吸を感じるほどの距離にクリスの顔。二人の身体は密着している。

 ディアはこんな状況だというのに鼻息が荒くなる。


「く、くくくクリス様!? か、かか、顔が、身体が、近──」

「大丈夫。怯えないで。先日、リオン殿とディアの魔法が溶け合って高度な魔法を発現できたんだってね。それを今度は僕と一緒に発動させてみよう」

「え、えぇ……!?」

「大丈夫。僕と君ならできるよ。そんな気がするんだ。僕を信じて──!」


 クリスはそう言うと、ディアに優しく微笑んだ。きっとこれがゲームだったなら、確実にスチル回収シーンだっただろう。

 目の前には未知の敵、魔法。でも背後には一緒に戦うと言ってくれる最推し。


 いつの間にか、ディアの身体の震えは止まっていた。


「わ、分かりました! クリス様、いきますわ! そして一緒に屋敷へ帰りましょう! ──護れアミュナァ!」

「──輝けエストレージャ! そして、切り裂け!カザック


 光の盾と、闇。今、二つの魔法が激しく衝突する──!

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