第21話

「雄大朗さん」

 少しハスキーな声で名前を呼ばれた。元々はおっさんだったと言われても今は美女だ。少しでもキリッとした顔に見えるように目頭にチカラを入れた。

「な、なんでしょう?」

「遅ればせながら、当選おめでとうございます」

 そう言って深く頭を下げる。俺もそれに倣って頭を下げた。

「早速ですが、手続きを進めて参りたいと思います」

「えっと、よろしくお願いします」

 俺はまた頭を下げた。やっぱり女の人、特に美人の前だと緊張する。

 阿弥陀さんはまたバインダーをパラパラと捲っていく。大して厚くなかったと思ったが、何枚捲っても紙が尽きる様子は無い。俺は何となく目線を下に向けた。膝より短い丈のスカートから細い足が覗く。肌色のストッキングが生足よりもなんだかリアルでちょっとエロい。

「あら……」

 阿弥陀さんから深刻そうな声色の呟きが漏れる。足をガン見してたのがバレたか? 慌てて目線を顔の高さまで上げた。だが、彼女の視線はバインダーの中に注がれている。さっきまで眉一つ動かさなかったのに、今はグッと目を細めている。こう言う表情は何か問題が起きた時と相場が決まっている。

「これを見てください」

 阿弥陀さんがバインダーを五道に渡した。バインダーを一瞥した瞬間に五道の顔色がサッと変わった。そしてすかさず俺に向き直った。

「……雄大朗ちゃん、自分が死んだ時の状況って覚えてる?」

「全く。俺が最後に憶えてるのは、道に迷った車に道案内してやろうと近付いた瞬間に頭痛で気絶したって事です。だからなんか頭と言うか脳の病気で死んだとかだと思うんですけど」

 俺がそう言うと二人は顔を見合わせた。

「成程、本人の認識が違っていたからこちらにも齟齬が生じたのかな……」

 認識? 齟齬? なんの話だ?

 不穏な空気に何だか嫌な予感がする。そんな俺の目を見つめて五道が言った。

「雄大朗ちゃん、今からちょっと大事な話をするよ。俺達はね、その人が体験したけど忘れてる事は何でも教えてあげられるんだけど、知る筈無い事は言ってはいけないと言うのがルールなんだ。結構厳密なんだよ。例えば寝ている君の隣で両親がしていた会話とかも教えられない。一瞬目が覚めて聞こえた部分については別だけど」

「あの、何の話してます?」

「あ、ごめんごめん。こっから本題。さっきも言った通り知らない事は教えられない。だから、これは本当は言っちゃダメな話なんだけど、今だけ特別。だから口外は禁止。いいね? あのね、雄大朗ちゃんは病死じゃないよ。殺されたんだ」

 頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。殺されたってなんだよ。訳がわからない。

 混乱する俺を後目に五道は更に話を続ける。

「それでね、君の遺体なんだけど、生き返らせてあげれない状態なんだ」

「……それってどう言う意味ですか……」

「言葉通りの意味だよ。一目見ただけで、生き返る可能性が無いと分かる程に損壊してるんだよ。しかも君の体は家族の元に無いんだ」

 そんな。俺の体が……

 フイに視界が暗くなった。膝がくにゃりと曲がってそのまま地面に頽れる。細い腕が伸びてきて俺の肩を支えた。多分阿弥陀さんだ。一瞬意識が遠のきそうになる。それを酷い吐き気が邪魔をした。汚い音を出して四つん這いになる。でもゲロどころか涎の一滴も出なかった。その間、ずっと阿弥陀さんが背中をさすってくれていた。

 暫くして漸く吐き気が一段落した。と言うか吐くものが無くて体の方が諦めたと言うべきか。俺が力なくその場に座り込むと、五道も屈んで俺の目線に合わせて来た。

「ちょっとは落ち着いたかな?」

 そう言われて俺は頷きかけて、やはり頭を横にフルフル振った。

「確かに体は無いけど俺は雄大朗ちゃんに生き返らせるって契約したんだ。しかも保証付きでね」

 そう言ってニッと口角を上げる。ただし眉間には強く皺が寄っている。

「だからね、ちょっと時間を頂戴? その間に何とかするから」

「なんとかって、どうするんですか? 俺の体、もう使えないんだろ!?」

 今は前向きな言葉がイライラする。殆ど投げやりに言って顔を背けた。

「そうだねぇ。機密情報もあるからどうするかは教えられないんだけど、兎に角任せてよ。ね?」

「任せて、なんて言われても、どうやって信じろって言うんだ!」

 俺は思い切り腕を振り下ろして地面を殴る。硬い地面を大して鍛えてもいない拳が殴るのだ。と、と言う軽い音に乾いた土が舞う。一度始めると、もう止まらなかった。何度も何度も地面を殴る。その度に土が舞って目に入る。いや、少し違う。ワザと舞い上がらせているんだ。抑えきれなくなった涙を土埃のせいにしたいから。

 暫くそうしていた。五分かもしれないし、一時間かもしれない。どうもここにいると時間の感覚が無くなってしまう。そうやって少し冷静さを取り戻してきた。やっと状況を真正面から見据えられる。兎に角俺は殺された。殺した奴とあの車に乗ってた男と関係があるのだろうか? ただ少なくとも俺が死んだところは見た筈だ。見覚えの無い奴だった。そういえば、一瞬坊主頭が見えた気がする。だが、それくらいじゃ何も分からない。坊主の奴なんてそこら中にいるんだし。大学内にもいた気がするが、名前どころか学年すら不明だ。殺された理由についてはもっと不明だ。品行方正、なんて事はまるで無いけれど、かと言って恨みを買う覚えも無い。てことは通り魔か? それなら何となく分かる。夜の公園にたまたま居た奴なら誰でも良かったのかもしれない。だとしたら俺はとんでもなく不運だ。

 俺が死んでみんなどう思ったんだろう。家族は多分泣いてくれると思う。友達はどうだろう。高校時代のあいつらには話は届いてるんだろうか? 大学の奴らは、付き合いは浅かったけど、みんな良い奴だ。きっと悲しんでるんだろう。ワタルは……ワタルは、きっと物凄く怒ってる。俺に対して、俺を殺した奴に対して、何より自分に対して。一緒に帰らなかった事を凄く後悔してる筈だ。なんだかんだ言ってもワタルは俺の親友だ。ワタルが俺のせいで苦しむのは耐えられない。本当の意味で死んでも死にきれない。なら、少ない望みだとしても俺のやる事は一つしか無いじゃないか。

「……五道さん」

 泣いたせいか、上手く呼吸が出来ない。大きくゆっくり息をしながら俺は五道の名を呼んだ。

「俺は、どうしても生き返りたいんです。これしか道が無いんならそれに全て賭けます。五道さん、アンタに俺の運命賭けます」

「うん、百倍にして返してあげる」

 五道がニッと歯を見せて笑った。やっぱりイライラするくらいイケメンだ。五道は立ち上がると、俺に手を差し出した。俺は躊躇せずそれを掴むと勢いよく立ち上がった。

「それでね、生き返らせるのに色々してる間なんだけど、雄大朗ちゃんには、その間にいてもらう居場所が無いんだよ」

「は? 居場所が無いって、じゃあ俺はどうしたらいいんです?」

「そう、そこなんだよねぇ」

 うーんと考え込むようなポーズを取る。俺は運命を賭ける相手を間違えたかもしれない。

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