第3話
ブブブッ、ブブブッ、と同じ調子でテーブルが小刻みに震えた。震源はコウキのスマホだ。ディスプレイが眩しい程光っている。コウキは一瞬スマホに目を向けると、奪い取るようしてそそくさと玄関の自動ドアから外に出て行った。いきなりの静けさが訪れ、なんだか少し淋しい気がする。ワタルを見ると、さっきコウキが言いかけた宗教学の教科書を広げている。ワタルの事だから事前に質問の答えを準備しているんだろう。真面目か! と心の中で突っ込んで、そう言えばドが付くくらいに真面目だったわと思い直し、カフェテリアのメニュー黒板の方向に視線を移した。とはいえ、黒板なんて少しも見ずに、さっきの事を思い出していた。あっという間にコウキが持って行ってしまったけど、スマホの表示はバッチリ確認した。着信を告げる電話のマークとその下の『リノちゃん』と言う文字だ。リノちゃん、まず間違いなく女だろう。あの慌てようはもしや彼女か? 彼女はいないって言っていたのに裏切り者め。
「悪い悪い、話しの途中だったよな」
いつの間に戻ってきたのか、ガタガタと椅子を鳴らしてコウキが座る。
「そうそう、ここなんだけどさ」
なんて言いながらワタルの教科書を指差し、鞄からノートを出してテーブルに広げた。俺はそれにワザと被るように頭を突き出した。何事も無かったように流そうったってそうはいかないからな。
「なぁ、さっきの電話誰だよ」
「バイト仲間」
「ほぉほぉ、そんでどんな子なんだよ『リノちゃん』って」
「おまっ、なんで知ってんだよ!」
『リノちゃん』の名前を聞いた途端にコウキの耳が真っ赤に染まった。驚く程の分かりやすさだ。
「知られたくないならスマホを表に向けとかない事だな」
「くそっ、そう言う事か。この……ホラ、何て言うんだっけ? 地獄耳の目バージョン。地獄目?」
「そんな言葉ねぇよ。普通に目敏いとかで良いだろ」
「目敏い? 何それ知らないんだけど」
「知らないのかよ。もういいから早く『リノちゃん』の話してくれよ」
「俺も聞きたい」
ワタルも体をテーブルに乗り上げるようにして顔を寄せる。コイツは結構恋バナ好きだ。そうと知ると、途端にノリ気になる。
「……言っておくけど、本当にまだ彼女じゃないからな」
二人にせがまれて腹を決めたのか、コウキは大きく息を吐いた。
「最近バイト先に入った子。同い年だから俺が面倒見てんの。つっても物覚えいいし明るくてハキハキした子だから、すぐに教える事なくなっちゃったけど」
「それでコウキが好きになったと?」
「まぁ……そんなとこ」
そう言って目線を逸らす。コウキは見た目が派手だが、交友関係は見た目以上に派手だ。大学に入ってからのまだ短い付き合いだけど、校内を一緒に歩いているだけで頻繁に声を掛けられる。明らかに先輩だと思われる厳つい男や女の子の集団、どっかの学部の教授らしき爺さんまで寄ってくる。そんな奴が好きな女の子の事になるとこんなにもしどろもどろになる。そう言う所に俺は好感を持ってたりする。
「コウキはもう告ったの?」
「いやいやいや、まだダメだって。向こうがどう思ってるか分かんないし」
「そんな悠長な事言ってると誰かに取られちゃうよ?」
「それは一応心配してないんだよ」
「なんで?」
「その子さ、帝女なんだよ」
コウキの言葉に俺とワタルは顔を見合わせた。
帝女、正式名称は私立帝愛女学院と言う女子短期大学だ。創立は大正時代で華族や士族、成金商人の娘達が通っていたという、早い話がお嬢様学校だ。
「ん? なんで帝女だと心配ないんだよ?」
「なんだユータ知らないのかよ。帝女の先輩から後輩に代々伝わってる『淑女の掟』ってのがあんのよ」
「シュクジョノオキテぇ? なんじゃそりゃ。恋愛禁止とか言い出すのかよ」
「ちょっと違う。正確には『将来を誓い合った相手以外との交際禁止』な」
「はぁ? つまりは結婚前提じゃ無いとダメって事か?」
「そうそう、そう言う事よ」
時代錯誤もいいとこだ。今時大学生でそこまで重い恋愛してる奴なんていないだろ。
「帝女の子ってお嬢様じゃない? わざわざバイトなんてするの?」
「分かってないなぁ。女の子だぞ? ケーキ屋さんになりたいとかお花屋さんになりたいとか一度は思うんだよ。これはそんな幼い憧れを叶えたいと言う彼女の夢な訳よ」
「うー……ん、確かにそんな感じかも、女の子って」
分かったと言いながら、ワタルは明らかに分かってない時のように首を捻る。
「そう言えば妹もパン屋さんになりたいとか言っていたのを思い出したわ」
「あぁ、そうだね。ヒトちゃんが言ってたの、俺も覚えてるよ」
ワタルが手を打って言った。
ワタルはモテる、物凄く。だから話しかけてくる女の子なんて、それこそ毎日のようにいるのを俺は散々見てきた。俺なんて女の子と喋るなんて片手で数えられる程しかない。こう言う時に妹の話しか出てこない時点でお察しだろう。なのに、女の子の知識は俺と同程度だ。それと言うのも中学、高校とずっとワタルはあの調子なのが原因だと思っている。更に俺がモテないのは、そのとばっちりを受けている筈だ。絶対。……多分。
横目でワタルの顔を見る。俺の苦悩なんて知る由もなく、楽しそうに恋話に聞き入っている。
なんだか白けてしまった。左手で頬杖を付き、右手をジーンズのポケットに突っ込んだ。そこにあるはずのスマホを取り出す為だったが、右手はそのままポケットの底に到達してしまった。あれ? 左手のポケットにも手を入れたが、やっぱり無い。
「悪い。スマホ置いてきたみたいだからちょっと見てくるわ」
俺が立ち上がるとワタルも腰を浮かせた。
「俺も一緒に行こうか?」
「いい。多分ロッカーか、そこに無けりゃ二◯三号室のどっちかだから」
そう言って鞄を担ぐと二人を残しロッカーへと向かった。
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