第25話 彼女の身に起こったこと

 スポーツ大会が終わり、11月も半ばになると季節はすっかり秋めいて、穏やかで爽やかな陽気が続く。

 12月の後期中間考査あたりまでは目立つ学校行事もなく、悪く言えば単調な毎日だが、落ち着きのある日々とも言える。


 そんななか、俺の精神状態を激しく動揺させる事実が、愛凛から共有された。


「しみけんとジュンナが付き合ってるみたい」

「はぁ!? マジぃ……!?」

「うん。ほら、あの二人、スポッ〇ャのときにずっと一緒だったでしょ。そっからも仲良しだったんだけど、一緒に帰ったり、文化祭の準備とかやってるうちに、お互い好きになっちゃったらしいよー」

「いや、でもしみけんは鏡さんのことが好きだったはず……」

「私もよく分かんないけど、あこがれとしての好きと、パートナーとしてほんとに愛し合えるってのは質が違うんだろうね」

「それにしても、あの二人がなぁ……」


 清水はもともとはドのつく陰キャヲタクで、高校に入ってから少しでも体力をつけたいという理由で登山部に入った。やせてメガネをかけた、非常に繊細で内気な印象を与えるやつで、高校生女子の審美眼からしたらモテとは程遠いタイプだ。

 一方、最上さんは天然ぽいところがあるが、穏やかで優しい雰囲気を持った美人さんで、彼女に想いを寄せる男は多いだろう。


 その二人が。

 俺は呆然とした。


 ヲタク村の村長であるこの俺を差し置いて、許可なく一軍女子と付き合うなんて、不埒ふらち千万せんばんだ。


「まぁ、話す機会が多ければ、自然とお互いに好意を持つこともあるだろうからね。好きな人とはコミュニケーションしとけってことだよ」

「そりゃあ、よく知りもしない人よりかは、しょっちゅう話す人の方が好きになりやすいわな」

「そうそう、そういうこと。さぁ、ストレッチするよ!」


 この日、天候もよく、紅葉も見頃を迎えつつあることから、愛凛と駒沢公園をジョギングすることになっている。スポーツ大会の負傷も完全にえ、また引っ越す前はこの周辺に住んでいたことから、久しぶりに散歩がてら、一緒に走ってみよう、と愛凛が言い出したのだ。


 この4ヶ月ほど、俺は毎日5kmないし10kmのジョギングをほとんど欠かしたことはない。実際に走ってみても、愛凛にぴったりとついていけている。

 kmあたり6分というペースを維持しつつ、並走してなお会話できるほどには、体力がついた。


 愛凛も少し驚いたらしい。


「みーちゃ、ほんとしっかり鍛えてるんだね。背も伸びてきてるし、筋肉もついたよね。この前も、私をずっとおんぶしてくれてたしさ」

「筋トレもランニングも、ほぼ毎日続けてるからね。スポッ〇ャ行った日と、それからスポーツ大会の日くらいだと思うよ、トレーニングしなかったの」

「すごいと思うけどさ、そのモチベーションてなんなの?」

「ん、モチベーション?」

「そう。だってみーちゃはあすあすのこと好きだから、自分磨き始めたわけじゃん。あすあすにフラれて、きれいさっぱりあきらめたって言ってたわりに、もとのひきこもりゲーマーに戻らないで、自分磨き続けてるのはなんでかなって」

「単純に、成長できてるのがうれしいって感じかな。最初は面倒だしきつかったけど、習慣にするとどうってことないし」

「へー、イイ感じだね。で、新たな恋のお相手は見つかったの?」

「うーん、特に。ラブリーは?」

「うん、私も特に、かな」


 そのあとひたすら走り続け、公園を5周、10km強を走ってから、ようやくこの日のジョギングを終える。


 俺は毎日、一人で走っていて、それはある意味で孤独や苦痛との戦いなのだが、ペースを合わせて誰かと走るというのは、それだけでいつもとはまったく違った楽しさや気持ちよさがある。

 愛凛も、同じことを思ったらしい。


「私、一人で走るのも好きだけど、こうやって誰かと走るのも好き。楽しいよね」

「うん、俺も楽しかったよ」

「みーちゃ、いつもありがとね。なんでも私に合わせて付き合ってくれて」

「なんだよ、らしくないな。いつも生意気で、図々しくて、わがままなのに」

「私のことどう見えてんだよ」


 言った通りに見えている。

 ただ、生意気で、図々しくて、わがままではあるが、頭が良くて、優しくて、面白くて、友達思いの、いいやつだ。


 汗をいてから、公園内を散策して、紅葉もみじ狩りをした。この時期、特に土日の駒沢公園は紅葉を目当てに訪れる来園者が引きも切らない。


「久しぶりの駒沢公園、気持ちよかったぁ。自由が丘もいいとこなんだけどさ、近くに公園がまったくないんだよね。ねこじゃらし公園とかぽかぽか広場っていう、かわいい名前の公園があるんだけど、すっごくちっさな公園だから、遊んだり走ったりできるとこがなくて」

「お互い家近いしさ、また近いうち遊びに来ようよ」

「そうだね。テニスコートとかもあるし、また遊んでね」


 この日、愛凛は愛用しているクロスバイクにまたがり、笑顔を残して帰っていった。


 (相変わらずいい脚だな……)


 などと思い、それ以上にその颯爽さっそうとした姿に、胸のすくような気持ちだった。


 その翌日だった。

 朝のホームルームが始まっても、愛凛の姿が見当たらない。


 (昨日、汗かいて、風邪でもひいたかな)


 その程度で体調を崩すようなヤワな女じゃないだろうが、俺の記憶が正しければ、愛凛はこれまで一度も遅刻や欠席をしたことはなかったはずだ。

 さして気にも留めなかった。


 が、彼女がいない理由はすぐに判明した。


 朝のホームルーム、担任教師がやけに神妙な面持おももちで教室に入ってきたかと思うと、開口一番、


「今日から少しのあいだ、高岡さんがお休みになります」


 (少しのあいだ……?)


 俺はこの時点で、不穏な予感を覚えた。愛凛に、なにかがあった。

 担任は続けて理由を明かした。


「昨日、高岡さんのお父さんが、亡くなりました」


 えっ、という声が複数、上がった。

 その声の持ち主は、木内さんか、遠藤さんか、最上さんか、それともほかの誰かであったか。

 俺はその確認すらできなかった。


 呼吸やまばたきが止まり、やがて唇がしびれるのを感じた。


 異様な静けさが、クラス全体を包んだ。


「詳しくは話せませんが、ご家族にとっても突然のことだったそうです。みなさん、友達のことが心配だとは思いますが、今は個別の連絡などは控えるようにしてください。なにかあれば、帰りのホームルームでまたお知らせします」


 担任が去ったあともしばらく、教室はどんよりと重い空気が満ちて、しわぶきひとつ、はっきりと聞こえるくらいに静かだった。

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