第21話 やむごとなきちっぱい

 木内さんに対してすっぱりあきらめがついたとはいえ、すぐに別の人に目が向くほど、俺は器用な心の持ち主ではない。

 一つの恋の終わりが、必ずしも次の恋への扉を開けてくれるわけではないのだ。


 一方、今まさに狂おしい恋の渦中かちゅうに身を置く者もいる。

 オカヤンだ。


 こいつは身の程知らずにも、愛凛にガチ恋をしてしまったらしい。


 お前さぁ。


「やめとけよ。あいつはお前とは違う世界の住人だ。人間が神に恋するものじゃない」


 そう言ってやった方が本人のためだとも思った。ただ、誰でも夢を見る権利はある。俺も、木内さんに恋をした。それをきっかけに、自分を変えることができた。

 短期的には無謀で望みがなくとも、チャレンジの結果として本人を成長させることもある。


 9月中旬。

 この日の夜も、例によってオカヤンとFPSを楽しむ。夏休みに入る頃から、俺はいわゆる自分磨きに多忙にしていて、ゲームの時間は減ったが、それでも週に2度ないし3度ほどは、ゲームをたしなんでいる。


『南側の稜線りょうせんに敵いる。たぶん気づかれた』

『了解。タカ東側クリアできる? 射線切りながら東側の丘上に移動できた方が強そう』

『だね。こっちはクリア』

『おけ、移動するわ。そういえばタカは明日文化祭行くの?』

『明日は午前中がクラスの出し物の当番で、午後はラブリーと一緒にオーケストラ部とかるた部のイベントを見に行くよ』

『お前ら仲よすぎん?』

『まぁズッ友だからな』

『前は性格ヤバいって悪口言ってなかった?』

『そうだっけ、そんなことないと思うけど』

『記憶力どうなってんだよ。まぁ実際、性格悪いことないと思うけどね。まぁちょっと辛口だし、目が冷たいけど、かわいいは正義だから』

『かわいいだけじゃないだろ、あいつのいいところは』

『タカ、友達のふりしてラブリーのこと狙ってない? 悪いけどここまできたら絶対に俺の嫁にするから。彼氏いないらしいし、スポッ〇ャでもめちゃくちゃ楽しんでくれてたし』


 俺は心の中で嘆息たんそくした。あぁ、こいつはダメだ。現実がまるで見えていない。


 スポッ〇ャからの帰りの電車で、愛凛はオカヤンについて感想を漏らしていた。


「一緒に遊ぶ分にはまぁまぁ楽しいけど、それだけかな。仲良しにしてもいいけど、友達としては微妙。彼氏は絶対にない。なんか時々、いやらしい目で見てくるし、謎にカッコつけるし」


 散々な言われようだった。本人が聞いたら失神するだろう。だからこそ、今のうちにやめとけ、と思っている。


『まぁラブリーとつないでやったんだから、あとは見守ってるよ』

『それはほんと、感謝します。マジで感謝してます』


 せいぜい、頑張って。どうなろうと、いい経験になるよ。


 文化祭、ウチの高校は全学年全クラス、それから一部の部活や同好会でそれぞれにもよおし物を出す。

 クラスでは、例えば演劇、喫茶店、縁日、カジノ、ゲームコーナーなどが主だった出し物だ。


 ウチのクラスは脱出ゲームをやることになった。要は謎解きだ。当番はクラス全員で持ち回りで、参加者の整理やルールの説明、脱出成功の判定などを行う。


 1日目の午前中、当番をこなして、午後は愛凛と合流し、オーケストラ部の会場である講堂に向かう。


「あすあすには、みーちゃと一緒に見に行くねって伝えてあるから」

「そう、ありがとう。木内さんは、俺から告白されたってこと、ラブリーに言ってるの?」

「うん、私にだけってことで、教えてくれたよ。みーちゃに告白されて、断ったって。私とみーちゃが気まずくならないかって、心配してた。優しくて、人の気持ちを大切にできる子だよね。私からは、それ以上のことは聞いてない」

「そう。俺も、ラブリーと木内さんが気まずくならなくて、安心した」

「ありがと、心配してくれて」


 オーケストラ部の演奏は、半分がクラシック、半分がポップスだったようだが、音楽にまったく造詣ぞうけいのない俺には知っている曲がなかった。つらたん。


 総勢30人ほどの演者たちを見ていると、やはり木内さんに目がいくが、以前のような甘い感情をともなった視線ではない。大切な人であることに違いはないが、少々、複雑な思いだ。


 俺はもう、夢からさめたんだ。


 そのあと、クラスメイトの深澤さんと末森さんが所属するかるた部の部屋に移動した。


 部員同士の本気の勝負を見たあと、かるた体験として、愛凛とタイマンを張ることになった。


 (負けられねぇ)


 と思いきや、


「うッ……」


 勝負が始まって早々、俺は敗北を確信した。


 かるたの札を挟んだ正面に、愛凛の小悪魔を思わせるいたずらっぽい顔がある。目を皿にして、夢中に札の配置を覚えている、そのすぐ下。

 前かがみになった胸元、ゆるめな赤いTシャツの無防備な隙間すきまから、黒いそれが。


 お、おい、まさかお前は。


 JKが、く、黒いブラをしとるんかぁ!?


 なんてけしからんやつだ!!


 俺の目はたちまち血走り、顔がかあっと熱くなり、鼻息が荒くなり、あごに異様な力が入った。


 (うぅ、見える、見えてしまう……!)


 愛凛はちっぱい(いとをかしき、ちひさき乳房なり。それ、やむごとなし)だ。


 まな板のよう、ではないが、まだふくらみ始めたか、それとも発育が完了してもその程度なのか、外見の印象強さに比してその部分の主張はひどく控えめに感じられる。


 しかし、それでも俺にとってはこの上なく鮮烈で、魅惑的な光景だ。


 爽やかなのに、妖しい美しさ。


 見てはいけない。


 と思うほどに、視線が釘づけになってしまう。


 (ああぁ、ダメダメダメ……!)


 懸念したそのまま、俺の体の一部分に、熱い血液が勢いよく集中し始めた。


 こうなるともう、俺は柔軟な姿勢がとれない。

 試合が始まっても、俺はまるで腰が抜けたようにじっと正座に座り込んだまま、文字通り手も足も出なかった。


「みーちゃ、全然手が伸びないじゃん。私のキレイな手に触れたらどうしようって、遠慮しちゃってるの?」


 愛凛の挑発的な冷やかしにも、俺は顔を赤くするだけで反論もできない。


 これは愛凛の盤外戦術だ、ささやき戦術だ、口プだ、トラッシュトークだ、惑わされるなと思えば思うほど、俺の視線は獰猛どうもうなハイエナのように一途いちずにエロを求めてしまう。


 そんなに騒ぐな、高杉マグナム。


 持ち主を困らせるんじゃないよ。


「高杉君。構えは、もっと足を広げて、もう少しだけ上体を上げた方がいいよ」

「うっ、あ、ありがとう」


 和服姿の深澤さんに指導を受けつつ、だがどうしても俺にはその姿勢がとれなかった。


 結果、俺は惨敗を喫した。


 負けるとともに、ようやく俺の体は落ち着きを取り戻した。

 俺は文化祭にやってきて、いったいなにをやってるんだ。


 愛凛は俺の欲情の高まりなどに一切気づく様子もない。


「今日楽しかったね。明日、姫と一緒にTCA行くから。ほんじゃ、ばいちゃー!」


 その夜、俺はひっそりとマグナムの手入れをして、かるたで負けた無念をわずかに晴らした。

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