第16話 【滅】×【連射】×

「記憶、か。面白い推理だ」


 世界で最も恐ろしい秘境の一つ、アルカナス・アビス。

 そこにいた、親父殿の幻影は楽しそうに口端を歪めている。


「そうだ。アルカナス・アビスはカギの保有者の記憶を読み取り、最強と思われる存在を再現する迷宮だ」


 ん?

 ということは迷宮基準でも、アルバスくんは親父殿より格下って判断されたってこと?

 古代文明の王(笑)。


「文字とは古来、記憶を書き記すために生み出された記号だった。記録を情報として保存することで、時間や場所を超えて知識を伝承する。ルーン魔法の使い手にふさわしい場所だとは思わんか」

「さあな、そんなうんちくを語るために俺を呼び出したわけじゃないだろう」


 まだ俺が赤子だったころ、親父殿は言っていた。

 親父殿を見つけ出せれば、彼のとっておきを俺に伝授してくれる、と。

 俺がこの地を訪れたのも、究極的に言えばそれが目的だ。


「本題に入ろうぜ、親父殿。あんたの持つ奥の手ってやつを寄越しな」

「お前は、なぜ力を求める」

「記憶のあんたが知る必要は無い。新たに知識を得ることはできないんだろ?」

「それもそうだな」


 親父殿は、ゆっくりと手のひらを天へと掲げた。

 瞳は閉じられていて、一見すると隙だらけだ。


(それなのに、なんだ、この威圧感、この気迫)


 どれだけ間合いを取っても、間合いを詰めても、彼の間合い。

 わずかにでも動けば致命傷を負う。

 そんな予感がしてならない。


 親父殿の髪が揺れる。

 シロウと同じ黒髪が、根元から毛先にかけて蛍火色にきらめいていく。

 彼の周囲に燐光がほとばしり、荘厳さすら放っている。


「来い、クロウ。お前の成長を見せてみろ」


 明らかに様子が豹変した親父殿は、掲げていた手を下ろして自然体で俺と向き合う。

 ルーン魔法を構えるそぶりはない。

 俺の成長を見くびっているのか。

 それとも、余裕なのか。


(確かめるには、最速の一撃だな)


 文字を書き終えるまでの時間、魔法として発動してから着弾するまでの時間、そして威力。

 それらから逆算すれば、ここで発動すべき文字魔法は決まっている。


スリサズ


 ルーン魔法は発動した。

 一文字に込められた膨大な魔力が、一条の稲妻となって迸る。

 閃光が洞窟内に乱反射する。


 極限の集中が、時の流れすら緩慢に見せた。


 親父殿へと肉薄する速度は光速。

 彼が一文字書き終える前に到達する。

 予測できていたとしても、避けることも防ぐことも不可能。


「は……?」


 意識の波長が、乱れるのがわかった。

 じれったくなるほど粘性を帯びていた時間の流れが、急激に元の速度を取り戻していく。


「なるほど、さすがは俺の息子なだけはある。いい一撃だった。だが」


 届いたという確信が、蜃気楼のように霧散する。


「その程度のルーン魔法、俺の領域では通用しない」


 目に映る無傷の親父殿の存在が、彼我の実力差をありありと見せつけてくる。


「どうしたクロウ。こんなものではないだろう?」


 親父殿が、期待半分、呆れ半分の笑みを浮かべる。


 くそ!


(そういうのは! 俺がシロウにやるやつ!)


 もう怒った。

 記憶ごときが調子に乗るな。

 俺のアイデンティティに踏み込んだこと、後悔させてやる!


「【滅】」


 この文字を使うのは、初めてだ。

 だが威力はお墨付きだ。


「ほう、独自の文字か。面白い」

「なっ⁉」


 受け止めている、だと?


(相殺してやがるッ! 無数のルーン魔法を一文字ずつ、高速で展開して!)


 俺が繰り出した滅亡の概念は、悪霊のような輪郭で攻め入った。

 しかしそれが、親父殿の直前で静止している。

 つばぜり合いを繰り広げるかのように、一進一退の攻防を繰り広げている。


 いや、一進一退ではない。


(押されているのか? ルーン魔法を凌駕するはずの、俺の文字魔法が)


 文字魔法【滅】のエネルギー量は、魔法として確立した時点をピークとして徐々に減衰していく。

 ひるがえって、親父の周囲に展開される無数の文字列は一瞬一瞬が最大威力。

 時間経過とともに形勢が悪くなるのは俺の方だった。


「ぐっ」

「どうしたクロウ。それで限界か?」


 滅びの魔法は、親父殿の奥の手を前に敗北を喫した。

 俺の切り札は親父殿に通用しなかった。

 すなわち、俺の持ちうる武器では、親父殿に届く牙足りえない。


「そう、だな」


 思えば、俺という存在は最初、ルーン魔法三発で魔力が枯渇する雑魚だった。

 ナチュラルボーンの天才とは、最初から立っているステージが違う。

 たどり着けない領域だってある。


「ここが限界だ。……現時点ではな」


 だからどうした。


 きっかけは掴んだ。


 ならばそれを手繰り寄せればいい。


 そのさきに、親父殿の領域は必ず待ち構えているのだから。


「【滅】」

「ふん。馬鹿の一つ覚えか。その文字は俺に通用しなかったと――」

「勘違いするな」


 同じ魔法だからといって、同じ戦術だとは限らないぜ?


 右手で書いたのは【滅】の文字。

 俺にはまだ、左手が残っている。


「【連射】」

「無駄だ」


 親父殿へと向かった文字魔法が制御権を奪われた。

 宙を踊る【滅】の文字を、奪われた【滅】の文字魔法が相殺する。


「器用すぎるというのも、悩みものだな。物事を小手先で解決できてしまう」


 不敵な笑みを浮かべていた親父殿が顔を引き締め、真剣な表情で俺を見ている。


「言ったはずだ。ルーン魔法は文字数が増えればそれだけ制御が難しくなる。両手に分けて威力の減衰を抑えても、そのツケはほかの部分に回ってくる。魔法の制御権がいい例だ」


 俺のアプローチは、違うのか。

 違うんだろうな。

 親父殿はルーン魔法を連発するときに、俺のような手段で行っていたか?


 違う。

 親父殿がやってみせたルーン魔法の高速筆記の原理は、もっと別。


 俺にもできるのか?

 彼と同じことが。


 可能だ。

 親父殿はルーン文字しか持っていない。

 ルーン魔法で再現可能な範囲に彼はいる。


 だが、いったいどうすれば。

 親父殿が文字を描いた様子はなかった。


 だったら、いったい何の魔法で。


「……」

「どうした」


 そうか、そういうことか。


「読めたんだよ、あんたが使ったルーン魔法のトリックが、ようやくな」

「ほう? ならば見せてみろ、貴様がたどり着いた極点を」


 俺は手のひらを天へと掲げた。

 その行為自体に、意味はない。


 ウィルド


 ただの、親父殿に対するリスペクトだ。

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