幕間

幕間×白×除幕

 ずんぐりとした森林を空から見下ろすと、少し開けた場所に湖がある。湖の周りにはログハウスが点在していて、小さな集落を為している。


 その外れにある一本の大樹に、二人の子供がいた。

 一人はボサボサ頭のツリ目の少年。

 左右へ伸びる太い枝へと足をかけ、大きな樹木に上っている。


 そんな彼を、一人の少女が、地面から不安そうに見上げている。


「ねえ、シロウ! 危ないってばー」

「平気平気! ほら、ここに足をかけて、体を持ち上げたら――あ」


 ずるっ、と樹皮から足が滑り、少年が地面へ真っ逆さまに落ちていった。


「いってぇぇぇぇ!」

「あー! もう! だから言ったのに!」


 頭から落ちて、大きなたんこぶを作った少年のもとへ少女が駆け寄った。


「ほら、ヒールかけてあげるから」

「へへ。サンキュ! ナッツ」


 二人はこの森で育った幼馴染だ。

 シロウという少年は無鉄砲で、たびたび危ないことをしては、多くの場合怪我をする。

 そしてそれを甲斐甲斐しくナッツが世話をする。

 二人はそうして生きてきた。


「ねえシロウ。どうしていつも無茶ばかりするの?」

「無茶なんてしてないよ」

「ヒールかけてあげないよ」

「わー! ごめん! ごめんってナッツ!」


 ナッツはシロウに対し、手が焼ける弟みたいだなぁと思いながら回復の魔法をかけた。

 優しい光がシロウの頭を包みこむと、彼の頭部からズキズキした痛みがみるみるうちに引いていく。


「ナッツはさ、これのためなら命を賭けてもいいって思える夢はある?」

「なにそれ」

「俺はさ、いっぱいあるんだ。この世界には俺の知らないことがたくさんあって、見たこともない世界が広がってるんだ」


 キラキラと目を輝かせて夢を語るシロウが、ナッツにはとてもまぶしく見える。


「たとえば、森の外に行くと家に帰ってこれないかも、って不安にもなるけど、その何倍も何十倍も、胸がわくわくするんだ! 押さえきれないくらい! ナッツは無いの? そういうの」


 シロウに問いかけられてナッツの頭に浮かんだのは、どうしてだろう、シロウの顔だった。

 ずっと彼と一緒にいたい。


 もし、シロウがどうしても森の外へ出て、世界中を旅すると言えば、どうするだろう。

 もちろん、危ないよと止めるつもりだ。

 それでもナッツは知っている。

 シロウの好奇心は、一度火が付けば誰が何と言っても消えないのだ。

 彼女が行かないでと言っても、最後には旅に出てしまうとわかっている。


 そのとき、ナッツはどうするだろう。


「ある……かも」


 どんなに危険な旅だったとしても、きっと彼について冒険に出る。

 そんな確信が彼女にはあった。


「でも! シロウはまだ外に出ちゃダメだからね! 魔法がまともに使えないと、村から少し離れただけで魔物にやられちゃうんだから!」

「う、わかってるよ」


 ナッツから見て、シロウは不思議な少年だった。


 普通の人なら、シロウやナッツの年のころには魔法の二種類や三種類は扱える。

 だけどシロウはいまだにまともな魔法を使えない。


「俺だって、ちょっとは魔法を使えるようになってきたんだ」

「あの指先に灯すちんまりした火の玉? あんなのでどうやって魔物を倒すのよ」

「く、工夫とやる気と根性!」

「はいはい。わたしに勝てるようになってから言ってねー」

「ぐぬぬぬぬ! ナッツ! 決闘だ!」

「ふふん、いいわよ! 負けた方は今日の夕飯を一品譲るってことで」

「い、いいぜ? 後悔しても知らねえからな!」


  ◇  ◇  ◇


 で、決闘した結果。


  ◇  ◇  ◇


「いえーい! ナッツちゃん大勝利ー!」

「ぐやじい!」


 シロウの完敗だった。


「いやー、いつもありがとうねシロウ。わたしに夕飯おすそ分けしてくれて」

「くっそー、いまに見てろよ!」

「はいはい。わたしが見てる間にちゃんと強くなってね。さ、帰ろ」


 ナッツがシロウに手を差し出した。

 シロウは口を尖らせて、ナッツの手は借りずに自力で立ち上がった。

 負けは実力が足りないからだと受け入れられるけれど、情けを掛けられるのはシロウのプライドが許さなかった。


 ナッツはシロウの子どもっぽい部分をからかおうとして、突如、凍り付いた。


「ね、ねえシロウ、なんか、森の様子が変じゃない?」


 ぞわぞわと、背中が粟立つ奇妙な感覚。

 身の毛もよだつ危険が迫っている。

 そんな気がしてならない。


 そして、寒気を覚えたのは彼女だけではなく、シロウも同じだった。


「走るぞナッツ!」

「う、うん!」


 シロウはナッツと一緒に、村の方へと駆け出した。


 すると、背後から、粘り気のある殺気が、木々の枝葉を揺らして駆け寄ってくる。


「なんなんだよ、あの化け蜘蛛は!」


 二人が感じた悪意の正体。

 それは体長5メートルはあろうかという巨大な蜘蛛の化け物だった。


 走る、駆ける、突き抜ける。

 足を止めることは許されない。

 慣れ親しんだ木々の小道が見慣れない道のりに感じられる。

 重圧で息が苦しい。


「きゃっ!」


 隣を駆けていたはずの幼馴染が、忽然と、視界から消え失せる。


 振り返る。


 樹木の根に足を取られたナッツが地面に転がっていく。


「ナッツ!」

「シロウ!」


 だからとっさに、足を止めて手を伸ばした。

 伸ばしあった二人の手が、その指先が、重なり合うその刹那。


「ギュラリュルゥゥゥゥウウアアアッ‼」


 ナッツの足へと糸が伸びた。

 シロウの指先を擦り抜けるように、ナッツの体が遠のいていく。


 背後から迫る化け蜘蛛が放った糸にからめとられ、地面を擦り、手の届かない遠くへと離れていく。


(なんだよ、なんなんだよ、これは)


 ふざけるな。

 連れて行かせてたまるか。


(ナッツは俺の、たった一人の、幼馴染なんだ!)


 腕が、熱い。

 指先がどろりと溶け落ちそうだ。


「返せ……ナッツを返せよクソ蜘蛛ォォォ!」


 手の平に、火の玉が灯った。

 生まれて初めての、まともな火属性魔法だった。


 シロウの放った魔法が、化け蜘蛛目掛けて一直線に飛んでいく。

 狙いどおり、蜘蛛の顔面に着弾した。


「ぐはぁっ!」

「シロウ!」


 だが、まるで効いていなかった。

 いや、効果はあった。

 ナッツの足元へと絡みついていた蜘蛛の糸を、シロウのファイヤーボールは焼き切っていた。

 大事な幼馴染を、彼は守ることができた。


「起きて、シロウ!」


 幼馴染を守った代わりに、彼は致命傷を負っていた。

 蜘蛛の払った前足が、彼のろっ骨を砕いたのだ。


(ダメだ、視界が、暗くなってく)


 意識が遠のいていく。


(くそ、こんなところで、終わりかよ)


 まだ、この森すら出られていないのに。


  ◇  ◇  ◇


「シロウ」


  ◇  ◇  ◇


 声がする。


  ◇  ◇  ◇


「立て。お前はここでくたばる有象無象ではない」


  ◇  ◇  ◇


 誰の声だろう。

 聞き覚えは無い。

 だけど、どうしてだろう。


 シロウは知っている。

 この声の主が誰なのかを知っている。


 だから、死ねない。

 ここでくたばるわけにはいかない。


「シロ――」


 フラフラになりながらも立ち上がった幼馴染へとナッツが声を掛けようとして、口を噤んだ。


  ◇  ◇  ◇


「お前には俺の血が流れている。力の使い方は分かるはずだ」


  ◇  ◇  ◇


 声の主に従って、手の平を化け蜘蛛に差し向けた。

 まま、人差し指を残して指を折りたたみ、蜘蛛へとぶしつけに指を突き付けた。


 シロウの脳裏に、一つの文字が浮かび上がる。


「死んで――」


 その文字の名は、ケナズ


「たまるかぁぁぁぁぁ!」


 シロウの指先から、目を見張る、爆炎がほとばしる。


 炭も灰も、後には残らなかった。

 ただ一切合切が烏有に帰した。

 化け蜘蛛の残骸など、面影もない。


「シロウ、なの?」


 恐るおそる問いかけた少女に、少年は優しく微笑んだ。


「すっげえぇぇ! 見たかよナッツ! 俺の魔法すごいだろ! これはお前に勝つ日もそう遠くないぜ!」

「ええっ⁉ ちょ、ちょっと、いまの魔法わたしに向けて放たないでよ⁉」

「えー、どうしよっかなー」

「禁止! 禁止だからね⁉」


 これは、名もない小さな村で育った少年が、世界一の冒険者を目指して世界を巡る冒険譚。

 その幕開けの物語だ。






※ルーン魔法の威力がおかしいのは父親が最初の一発に限り超出力で発動できるように細工を施していたから。これ以降は常識的な威力にもどってナッツといい勝負するくらいになりました。あと現時点では1文字しか知らなくて、冒険の途中で使える文字が増えていく感じです。

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