第19話 射程×血×弱点克服

 一生かけて恩を返すよとかいうササリスの不穏な宣言を受けた後、俺はササリスと彼女の母親が暮らしているというスラム街の僻地を目指して歩いていた。


「なあ師匠、さっきからずっとなにやってんだい?」

「調査。俺の文字魔法の」


 指先に込めた魔力で横線を描きながら歩いていると、書き出しから一定距離進んだところで線がぷつんと切れる。文字魔法が失敗扱いになる。

 その距離はおよそ1メートル。

 直線距離で、始点から1メートル以上長い線を引こうとするとそこで空中に描いていた分の筆跡が消滅してしまう。


(文字魔法の記述可能範囲は一画目の始点を中心に半径1メートル。その外には文字を書けないのか)


 なお、右手と左手はそれぞれ別カウントらしい。

 左手でにんべんを書いて右手で咅を書いても倍にはならない。

 その代わり右手で水を書く途中で、1メートル以上離れた地点に左手で火を書くことはできた。


(じゃあ次は、文字状態での待機性能だ)


 これまでは基本的に、文字を書き終わったらすぐに魔法として発動していた。

 だけど、例えば事前に文字を書いておき、任意のタイミングで発動させることができればどうだろう。


 事前に文字を埋め込んだ場所に誘導して罠にはめる。俺の隙をついたと油断したところに、不意打ちのカウンターで返す。そんな選択肢が取れれば戦術の幅は確実に広がる。


(文字として確立してても同じか。書いた地点から1メートル以上離れて発動しようとすると、やっぱり不発に終わる)


 大事なのは文字を書いた地点と、文字魔法を発動する地点の距離だ。

 例えば【投石】と書いた魔法を発動して石を発射する分には1メートル以上飛ばしても問題無いが、【投石】と書いた地点から1メートル以上離れて魔法を発動することはできない。


(それに、持続する時間も短い。込める魔力の量を増やせば文字の状態で多少は長持ちするけど、すぐに滲んで文字として読めなくなっちまう)


 つまりまとめるとこうだ。

 俺の魔法は書き始めから半径1メートル以内でしか発動できず、書き終わりから発動まで長時間のディレイをはさむこともできない。


(思わぬところに見つけちまったな、文字魔法の弱点)


 仮想敵のシロウは俺と同じ弱点を持ってるからいいとしても、それ以外の相手と対峙した時にはこれが弱点になりかねないな。


 うーん、どうにか克服できそうな気がするんだけどな。


「ついたよ」


 気が付くととっくにスラム街の中でも森に近い部分に俺たちはいた。

 ゴミ山の裏手にササリスが回り込むと、そこに、ブルーシートでできた小規模の野営地のようなテントが張られている。

 ブルーシートにはゴミが貼り付けられており、カムフラージュはされているが、周囲と比べて浮いている感は否めない。


「なあササリス。おまえの母親って病気なんだよな?」

「そうだね」

「俺の家を訪ねて、配管で魔法の練習して、それだけ長時間家を空けて大丈夫なのか?」


 俺だと心配になる。


「あたしだって、無策でお母さんを一人家に置いて外に出たりしないよ。まあ、師匠が糸魔法を教えてくれたから防御壁を作れたわけだけど」


 昨日までは爺さんにパンをもらいに行くたび、ゴミをかき寄せて半分埋め立てていたらしい。

 けれど衛生面のこともあって、本当はあまりしたくなかったという。

 そんなとき糸魔法を使えるようになったから、周囲に糸を張り巡らせて、近寄る獲物を両断するようにしておいたのだという。


 へえ。やっぱり便利だな、ササリスの糸魔法。


 いや待ておかしいだろ。


「ササリスの糸魔法って、指先から離れると強度が落ちるよな?」

「まあ、雑に言えばそうだね」

「糸を伸ばすためには、その分だけ魔力を消費するよな?」

「なんであたしの魔法に詳しいんだい」

「ここに糸を張り巡らせたうえで、遠出してたのか?」


 俺に巻き付けた物質を透過する糸とは違う。

 透過する糸では、外敵を阻むシールドの役割を果たせない。

 刀でも断ち切れない鋼線を使うはずだ。


 その鋼線を指先から出したまま俺と一緒にスラム街を歩き回ったなら、スラム街にはササリスの鋼線が張り巡らされていることになる。

 だが実際にはそうなっていない。


「ああ、聞きたかったのはそんなことかい」


 そんなこととはつまり、指先から離れれば弱体化する糸をどうやって堅固に維持したまま離れた場所へと移動したか、である。


「血を編んだ方の糸だよ、あたしがこの家の周囲に張り巡らせてたのは」

「血?」

「ああそうさ。師匠はあたしの糸が指先から離れると強度が落ちるといったけど、魔力が空気中に逃げないように制御しないとほぐれるってのがより正確みたいなんだ。その点、血液に混ざった魔力は外に逃げないから――」

「そ、そうか!」


 なるほど、そんな手があったのか!


「ちょっ⁉ 師匠⁉ なにしてんの⁉」


 親指の腹を犬歯で噛み切る。

 そして近くにあった廃材に【復元】と記述して、10歩ほど離れてみる。


 何秒時間が経過しても、記述した文字が消える気配はない。


(次だ。この離れた位置で、事前に設置しておいた文字魔法を発動できるなら――)


 文字を書くだけ書いて離れた廃材に向かって、魔法を発動しようと試みた。


(来た来た来たぁぁぁ!)


 文字魔法の設置、そして遠隔発動。


 不可能と思われた領域へと、俺は一歩踏み込んだのだった。

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