第18話 分岐点×恩×誓い

 謎の老人から預かったパンをササリスが母親のもとへと届ける道中のことだ。


「へへっ、おめえらいいもん持ってんじゃねえか。そのパンを俺に寄越しな」


 スラム街で食料を得る方法は主に三つ。

 一つはゴミの山から残飯を漁る。

 次に、交換する。

 そして最後の一つが、

 自分より弱い相手から奪う、だ。


 だから基本的に、戦う力を持たない子どもは、食料を得たらその場で食べる。

 わざわざ周囲に見せびらかすように持ち歩いたりはしない。


 もし、子どもが食料を持ち歩いているとすれば可能性は三つ。

 一つは略奪されたことがないスラム街初心者の可能性。

 そして二つ目は危険を承知の上で、誰かに食料を届けなければいけない状況下にある可能性。


「邪魔」


 最後に、子どもと見くびってやってくる相手を狩り返すだけの実力を隠し持っている可能性だ。

 俺とササリスはそっちのパターンだった。


「ぎゃぁぁぁぁぁ⁉」


 ササリスの放った糸魔法が、絡んできた男の指を切り落とした。


「品の無い悲鳴だね」

「ひっ」

「逃げんじゃないよ」


 手を出してはいけない相手に手を出したと察した男が、全速力で逃げ出そうとする。

 だがササリスの糸魔法の方が早い。


「がっ、体が、動かねえ」


 ササリスの糸は切るだけでなく、捕縛用にも使える。鋭い刃物でも切れないほどの強靭さを誇る糸に全身をからめとられた男が、アンバランスな体勢で空間に縫い留められる。

 身動きの取れなくなった男のそばへと歩み寄ると、ササリスは男の懐をまさぐりため息をついた。


「はぁ、しけてんね」


 短くなったタバコの吸い殻。

 それが男の全財産だった。


 ササリスが糸魔法を変質させようとしていたので、俺は割り込んだ。


「まあ待てってササリス。何も人の価値ってのは持ち物で決まるものじゃない」


 男の前に立つと、彼の顔がよく見えた。

 怯え切った顔をしていた。

 死にたくないという声が聞こえてくるようだった。


「あんた、仲間や知り合いはいるか?」

「いる! 俺を殺せば、俺の仲間が必ず報復にくるぞ!」


 嘘だろうな、と思った。


 スラム街の人間は情に厚いが、基本的には自分の命を一番大事にしている。

 死んだ仲間のために格上に挑む人は少ないだろう。

 まして、こういう三下臭いやつならなおさらだ。


「まあ来ても返り討ちにするだけなんだが、お互い無益だろ?」


 俺らは特に得るものがなく、相手は命を落とすことになる。


「そこで提案だ。お前、帰ったら仲間に伝えろ。俺とこっちの女の子の特徴と、手を出せばやばいってこと。それで命は見逃してやる」

「へ、へへ、怖くなったか? ははっ、そうだ、お前は俺に手を出せない。交渉なんて受け付けるかよ! 無条件で俺を解放しろ!」


 はあ、やだやだ。

 これだから三下は。

 言動がいちいち小物臭いぜ。


 指先に魔力を集め、【肥】の文字を書き、男を対象にして文字魔法を発動させた。


「おぶっ⁉ ぐ、ぐるじ」

「あんたに体がぶくぶくに膨らむ魔法をかけた。このままだと鋼線が体に食い込んでお陀仏だぜ?」

「や、やめろ……」

「やめろだぁ? やめてください、だろ?」


 細身だった男が見る見るうちに肥満体系へと変貌していく。

 ササリスの鋼線が男の皮を裂き、肉を断ち、血を流していく。


「やめてください! あなた方二人に手を出すなって伝えさせていただきます! 他の徒党にも喧伝して回ります! だから、やめてぇ!」


 野太くなっていく声で、男が締泣きする。


「ササリス、解放してやれ」

「あいよ」


 糸魔法の拘束から解かれるや否や、男は一目散に逃げだした。


(あ、逃げられた。せっかく【治療】してやろうとおもったのに)


 一応文字魔法を飛ばしてみるが、やっぱり届かなかった。


 ふむ、文字魔法の有効射程は要改善だな。


「なるほどね、持ち物だけが価値じゃないってのはそういうことかい。情報はタダじゃない。師匠の言った言葉の意味がわかってきたよ」


 俺たちが実力者だという話が広まれば、襲われる回数は少なくなるだろう。

 襲撃を受けるたびに返り討ちにするよりよっぽど効率がいい。


「ところで師匠、最後に飛ばした魔法はなんだったんだい?」

「ん? ああ、ササリスが切り飛ばした指を治してやろうかと思ったんだが、射程外に逃げられた」

「切り落とした指を直す。そんなこともできるのかい?」

「言ったろ。俺の文字魔法は何でもアリなんだよ」


 ササリスはしばらく、口に手を当てて考え込んで、やがて俺の目を見てから頭を下げた。


「師匠、師匠の魔法なら、あたしのお母さんの病気も治せるかい?」


 そういえば、ササリスの母親は病気になったから配管の住居を捨てることにしたんだったか。


「頼むよ、たった一人の、家族なんだ」


 ササリスが俺に縋る。


「助けてよ、師匠」


 俺はいま、ターニングポイントに立っている。

 なんとなく、そう思った。


 感情的には、助けたい。

 けど、それでいいんだろうか。


(原作でササリスは徹底的な拝金主義だった)


 金さえあれば善悪問わずに治療を施す名医。

 それが俺の知る未来のササリスだ。

 だが同時に、金が無ければ仕事仲間だろうと切り捨てる。

 それが闇医者として成長したササリスだ。


(もしかして、原作でもこうして、母親の病気を治してくれる人を探して回ったんじゃないか?)


 だけどササリスはスラム街の人間だ。

 金を稼ぐ手段なんて無かった。

 治療費を払うあてなんてなかった。


 だから、ことごとく断られ続けてきたんだとしたら?


(原作のササリスが金の無い人に治療を施さないのが、自分が同じ目にあったからだとすれば、それは自然な流れだ)


 これでササリスが主人公だったなら、自分がつらい目にあったからこそ、ほかの人には同じ苦しみを味わってほしくないと思うのかもしれない。

 だけど彼女は主人公ではない。


(あるいは、自分が憎んだ人間と同じ道を歩むことで味わう苦しみを、自らの罰として受けていたのかもしれない)


 少しの間、幼少期の、母親と死別していないササリスを見ていて、彼女ならそうしかねないと思った。


(ここで彼女の母親を治療したら、シロウとササリスの関係性が大きく変わってしまうんじゃないか?)


 と、まあ。

 いろいろ考えてみたけど、やっぱり答えは決まっている。


「別に構わないが、貸しだからな」


 ササリスとはビジネスライクな関係を築くって決めたんだ。

 後のことは後で考えよう。

 俺に叶えられる範囲の願いごとなら、叶えるんだ。


「必ず返すよ、この恩は絶対に――一生かけて」


 ……なんだって?

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