第5話 スラム街×かませ犬×かませ犬

 10ヵ月ほどが経過した。

 魔力はまだまだ伸びている。


 成長している。

 それは間違いない。

 だが、同時にこうも思う。


 この程度の訓練で満足していいのだろうか。


 俺が目指した理想のダークヒーローの強さは、この程度の努力でたどり着けるものなのだろうか。


 否。


 魔力総量が多いからどうした。

 それで原作主人公に「こんな相手に、どうやって勝てばいいんだ」と膝をつかせられるのか?

 心が折れそうなときに一歩前に出る力強さを教えられる敵キャラになれるのか?


 否、断じて否だ。


 俺の目指す理想のダークヒーローは主人公と同じ能力で満足してはいけないのだ。

 主人公を凌駕する上位互換能力。

 それがあるからこそ圧倒的絶望感としてストーリー中に存在が許されるのだ。

 このまま魔力を増やして、ルーン文字がうまくなったからといって、憧れにはきっと届かない。


 そこで今日から訓練の内容を一段階引き上げる。


(たとえばこれまで3文字程度しか挑戦してこなかったけど、4文字や5文字、果ては10文字以上のルーン魔法を扱うってのはどうだろう)


 ᛗᚨᚱᚲᛖマーケ


(ん? あれ? 発動しない……?)


 俺が使ったのは物を浮遊させる魔法だったんだが、思った通りの効果が発揮されていないし、発動した感覚もない。


 もう一回だ。


(ダメだ。発動する気配が微塵もない)


 何故だろうと考えてみると、やはり文字数に上限があるのではないかという仮定にたどり着く。


 うーん、どうにか使える文字数を増やせないものだろうか。


(いや待てよ? 片手で3文字しか使えないなら、両手を使えば?)


 最大で6文字まで使えるのではないだろうか。

 試す価値はある。


(よし! 右手に明かりのルーン文字、左手に打ち消しのルーン文字。右手と左手で別の文字を並行して書けるようにするぞ!)


 単純計算で手数が二倍。

 右手と左手で別の文字を書くのは難しいけど、幼少期から訓練すれば呼吸をするようにできるはず。

 利き手でしか文字魔法を使えない原作主人公に対する絶対的優位を確実に取れる!


 魔力の消費量も二倍になって総量増加がはかどる……はずだ。両手でルーン魔法を使えるようになれば。

 いまはどっちも不発になってむしろ効率悪くなってるけど、そのうち効率も上がるはず!

 こっちは5文字のルーン魔法を試した時と違って手ごたえがある!

 訓練の果てにいつか使えるようになる気がする!


(そういえば、今日は母さまが家を空ける日か)


 母はスラム街では地位の高い人なのでひと月に一度ほど役員会議みたいなものに参席してるんだと思う。


(お、ちょうど帰ってきたかな? 扉の方が騒がしいもんな)


 右手と左手で別々のルーン魔法を使う練習をしていると、玄関の方でガタガタと音が響く。


(なんか今日は落ち着きが無くないか? いくらなんでも扉を乱暴に扱いすぎだろ)


 ガンガンと、ハンマーを打ち付けるような振動音が響いている。

 家のカギをなくしてしまったのだろうか。

 いや、違うのでは?


(もしかして、扉の向こうにいるのは母さまなんかじゃなくって――)


 蝶番を壁ごと抉りながら、ドアが破砕される音が突き抜けた。


「ここがあのアマの家か。ケケッ、ずいぶんいい暮らししてんなぁ!」


 そこに、ガキが三人いた。

 ハンマーを持った不衛生な服を着た、堂々とした男子の後ろに、コバンザメみたいな子分たちがおどおどと引っ付いている。


(やっぱり押し入り強盗じゃねえか! クソが!)


 だから俺はこんなスラム街は嫌だって言ったんだ!

 お前ら汚ぇぞ!

 保護者がいない時間を狙って不法侵入するなんて!

 正々堂々戦え!


「や、やっぱりヤバいっすよアニキ!」

「そうっすよ! ここの家の父親はやべえ強いらしいんすよ!?」


 おお!

 いいぞ名もなきモブAとB!

 そのままビビり散らして引き返せ!

 そのいかにも考え無しそうなガキ大将に三十六計逃げるに如かずってことを教えてやれ!


「ハッ! お前ら知らねえのか? ここの親父はもう一年近く帰ってきてねえよ。どうせ外の世界で新しい女でも見つけたんだよ。報復される可能性は限りなくゼロに近いと考えていい」

「な、なるほど!」

「さすがアニキっす!」


 お、お前えええ!

 なんでそんなやんちゃ小僧の見た目で知的キャラやってんだよ!

 詐欺じゃねえか!

 ギャップ受け狙ってんじゃねえよ!

 滑り散らしてるからな!

 もっと節度を持ってこの場は引けっての!


「お、すげええ! 保存食がいっぱいだぜ!」

「アニキ! こっちには宝石があるっす!」

「こっちは札束っすよ! 初めて見たっす!」

「わはは! どうだ俺はすごいだろ! テメエら俺についてこい!」

「「はいっす!」」


 待て待て待て!

 それは巡り巡って俺の血肉になる栄養素なんだよ!

 奪われてたまるか!


 ᛇᛉᛞイズード


 虚空をなぞる指先が描くルーン文字が青白く光り、氷弾と化して邁進する。


「いてェッ!?」

「アニキ! 何かいるっす!」


 くっ、兄貴分をいの一番に叩くつもりだったのに狙いがそれた!

 それに、思った以上に威力が低い……っ!


「なんだこいつ、ガキか?」

「こ、こいつに違いないっす! こいつに怪我させられたっす! いまのうちにやっちまいましょうぜアニキぃ!」

「お前の頭は飾りか? そんな暇あるかっての。食いもんも金目の物もこれ以上持てないんだし、とっとと帰るぞ」


 この、逃げるな……ッ、卑怯者!

 こっちはまだ満足に立ち歩きできないんだぞ!

 この場で戦えッ!


 ᛇᛉᛞイズード! ᛇᛉᛞイズード! ᛇᛉᛞイズード


「邪魔だ! ファイアボール!」


 俺が作り出した氷のつぶてが、ガキ大将の作り出した火の玉に打ち消される。


(くそ、くそ! こんなものなのかよ!)


 強くなったつもりだった。


 前世では使えなかった魔法を、言葉もまともに扱えない頃から使えて、自分はすごいんじゃないかって勝手に思ってた。


 すごくない、全然。


 このファンタジー世界で魔法を使えるのは何も特別なことじゃない。

 スタートラインに立っただけだった。

 俺は、弱い……!


「それはあいつのモノだ。返してもらうぞ」

「は?」


 突風が吹いた。

 そう錯覚した。


 いや、風が吹いたのは間違いない。

 ただそれは自然に発生した現象ではなくて、たった一人の人物が高速移動したことによって生じた物理現象だった。


 ガキどもが持ち出そうとした家財を奪い取って、無精ひげの男が部屋の中心で悠然と立っている。


「それは俺たちが奪ったんだぞ! 返せよ!」

「返せだと? 妙なことを。これは俺が奪い返したものだ。欲しければ力づくで来い」

「う」


 男は凄むでもなく、淡々と言い放った。

 それなのに、なんだ、この重圧。

 不用意に踏み込めばすなわち死ぬ。

 そんな根拠の無い確信が脳内でうるさいくらいに警鐘をかき鳴らしている。


「お、覚えてろよぉぉぉ!」

「アニキ! 待ってくださいっす!」

「置いてかないでくれっすぅ!」


 ガキどもが尻尾を巻いてがらんとした入り口付近で、男がやれやれと息を吐いた。


「大胆な行動をする割に性根の臆病なガキどもだ。これは、ちぃとばかし長老に強く言っておかないといけねえなぁ」


 無精ひげの男は扉を元あった位置に近い場所に設置しなおすと、両手の指先に魔力を集めた。


 右手の指先が虚空に描くのはᚠᚱᛖフレの文字。

 左手の指先が描くのはᚦᛁᛏシットの文字。


 前者は修繕を意味するルーン魔法。

 そして後者はルーン魔法の効果を強化するルーン魔法。


(あ、あれはまさか! 両手で同時にルーン魔法を!?)


 二つのルーン魔法が並行して発動し、破壊されたドアを元通りに修繕してしまう。


 そんな様子を見て、俺は堪えがたい激情に襲われた。


(俺がやろうとしてたことじゃねえか!)


 人のアイデアを先に実現するんじゃねえよ!

 訓練の末に達成できたとしても、俺がパクったみたいになるじゃねえか!


(というか、待てよ? この顔つき、この目つき。それに何より、希少なルーン魔法の使い手……この人、まさか)


 俺が知る限り、この世にルーン魔法の使い手は3人しかいない。

 一人は俺ことクロウ。

 もう一人は原作主人公であるシロウ。


 そして最後の一人は――


「ただいまー。クロウ、いい子にしてたー?」


 ちょうど役員会議を終えた母さまが、扉を開けて帰ってくる。

 彼女の視線が無精ひげの男と交差して、目を丸くして、石のように硬化した。


「よう、帰ったぞ」

「イ、イチロウさん!? 本当に本当に!?」

「おう」


 母さまが黄色い歓声を上げて、それから俺を抱きかかえて紹介してくれた。


「ほらクロウ、このカッコいい人がクロウのパパだよー」


 三人目のルーン魔法使い、いや、原初のルーン魔法使い。

 俺たちの父親がそこにいた。

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