第5話 拝謁の間にて

――とにかく、


 と、イエンウィアは眉間に皺を寄せて言いました。


「申し訳ありませんが、貴方の希望には応えかねます」


――それでは。

 

 一礼して、いつの間にか空になっていた残飯用の皿を手早く回収したイエンウィアは、その場を去ろうとしました。


 このままお別れしたら、次に顔をあわせても踵を返して逃げられると思った私は、何とかしてイエンウィアを引きとめようと考えをめぐらせました。

 そして私、幸運にも、彼が絶対に断らないであろう頼み事を思いついたの。


「ごはん――ください!」


 彼に手を伸ばして、絞り出すように言ったわ。

 正直お昼を食べたばかりだったし、誰かにご飯をねだるなんて貴族の娘として恥ずかしい行為だと思ったけれど、背に腹はかえられなかったのです。


 最初に会った時、イエンウィアは私に、空腹なのかと訊きました。それから、葡萄を盗もうとした子にも、お腹がすいたら自分の元に来るように、と。

 だからきっと、お腹が空いたと言えば、手を差し伸べてくれると思ったのです。



「すみません」

 

 微笑ましいエピソードに思わず笑ったカエムワセトが、口に手を当ててレクミラに謝罪した。


 「いいのよ」とレクミラは柔らかく微笑む。


「結局、それで彼の懐に上手く潜り込めたのだもの」


 初心な女性の話をしているのに、選ぶ言葉がいちいち俗物的なのが勿体ない。


「確かに、妙案だの」


 フイが口を開いた。


「あやつは幼い頃、道端で餓死寸前のところをワシに拾われたのだ。動物だろうと人間だろうと、腹をすかしている者を放っておけんのが、あやつの性分だった」


 ポツポツとしたその口調から、イエンウィアに対する養父としての愛情が伺えた。職場では人一倍イエンウィアに厳しかったフイだが、それはイエンウィアに対する期待の大きさと、若くして高位職に抜擢された彼に対する周囲からの嫉妬を少しでも緩和させる為であった事は、カエムワセトもイエンウィアも承知していた。



 ――その通りです。目論見は、見事成功いたしました。

 その日私は、小さいお皿に盛られたデーツ(ナツメヤシの実)と、それを食べる間だけの、イエンウィアとの時間を獲得できたのです。

 

  それからは、イエンウィアが逃げようとする気配があったら、私は必ず「空腹だ」と言うようにしました。そうすれば彼は何かしら食べ物をくれて、また話を続けることができましたの。

 弱味につけこんだなんて、仰らないで下さいね。


 私の、恥を忍ぶ努力と彼の誠実さの甲斐あって、私達は徐々に仲良くなりました。

 いつの間にか、施しをねだる必要もなく、彼がお休みの時間は当たり前に談笑できるようにまでなりましたの。

 イエンウィアは、私が奥庭に入る事を咎めなくなりました。咎めた所で言う事を聞かないのだから、言っても無駄だと諦めたのかもしれませんね。

 

 イエンウィアに想い人がいると知ったのは、そういった談笑の中ではなく、意外にも拝謁の間で神様にお伺いをたてていた時だったわ。



「ええっ!」


 突然、ライラが心底驚いた様子で声を上げた。


「あの人、好きな人いたの!?」


 わざと言っているのならとんだ性悪だが、本当にイエンウィアの想いに気付いていなかったのだからどうしようもない。

 しかし、その場に非常にしらけた空気が流れる事態は、止められなかった。


「「黙ってろ」」


 やや苛立ちを顕わにしたアーデスとジェトが同時に言った。


「そうなの。実はいたのよ」


 レクミラはライラに、困ったような笑顔を向けた。



 その日、私は久しぶりに神様のお声を聞こうと、拝謁の間に入りました。そこで、最近最も気がかりだった事を訊ねたのです。


「プタハ神様。私は恋愛結婚ができるでしょうか。政略結婚はどうしても避けたいのです」


 私が年頃になってから、父は毎日のように、良い嫁ぎ先は無いか誰かに聞いているようでした。良い嫁ぎ先とは勿論、家柄の良い、我が家の繁栄に繋がるお相手とのご縁の事ね。 

 幸いと言うべきか分らないけれど、我が家はそれなりの家柄だったから、父のお眼鏡に叶うお相手はなかなか見つかりませんでした。 

 貴族の娘に生まれたからには、政略結婚も仕方ない事よね。……頭では分っていたのだけれど、私はどうしても心に抵抗があったのです。

 だから出来る事なら、好きになった人と家庭を持ちたいと望んでいました。

 神様はそれにどうお答えになるかしら、と。内心ドキドキしたわ。

 

 いつもは少し待てば神の声を聞いた神官がお返事を下さるのだけど、その時は、少し時間がかかっているようでした。


「政略婚を恐れてはならない。真の幸福は、結婚後に存在する」


 驚いたわ。イエンウィアの声だったのだもの。

 まさか補佐役がお告げ役の仕事をするとは思っていないじゃない? だけどこれは、チャンスだとも思ったの。


「では……イエンウィアは私を愛してくれるでしょうか」


 とても緊張したわ。ずっと好きだ好きだと言ってはきたけれど、こんな風に真面目に口にした事はなかったから。


「その者は友人の一人として、既にあなたを愛している」


 今度の声は、意外に早く帰って来たわ。


「友情を望んでいるわけではありません!」


 分っているくせに、と少し腹が立ったわね。

 書面で伺いを立てればよかったかしら、なんて思ったわ。書面なら答えは『はい』か『いいえ』のどちらかじゃない?


 また少し間が空いて、返事が来ました。


「彼の恋情なら別の者に向いている」


 地の底に突き落とされた気分でした。

 でも、私は彼がちゃんとその人からも心を貰えているのか気になったの。

 よくよく考えてみれば、以前の質問で『恋人はいない』と言っていたから、片思いの可能性が高かったのだけれど……片思いだといいなという気持ちと、彼がその人から愛されていればいいなという彼の幸せを望む気持ちの二つが存在したわ。

 おかしいわよね、自分から失恋を望むなんて。


「その方の恋情は、ちゃんと彼に向いているのかしら……」


 問いかけに返事はなかった。

 普通ならあり得ない事よ。

 だけど、私はその沈黙を『いいえ』と理解したわ。


「そう。私も貴方も一方通行なのね。……悲しいこと」


 悲しかったのよ、本当に。『いいえ』という沈黙が、涙が出るくらい辛かった。

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