第三章 私は草色神官の唇に噛みついた

第4話 始まった努力

 それから私は、暇さえあれば神殿に通うようにしました。

 落とすにしても、まずは仲良くならないといけないでしょう? そもそも、私達はお互いの事を何も知らなかったし。彼が既婚者かどうかすら分らない状態だったもの。

 今までみたいに、のんびり偶然なんかに頼っていたら、父がお見合い相手を見つけて来るかもしれない。

 私には、あまり時間がなかったのです。

 

 幸い、初めて会った時に、イエンウィアが動物に餌をあげていたところに出くわしていたので、きっとまた同じ時間に同じようにするだろうと踏んで、例の壁の穴を注意して見ていたのです。そうしたら、やっぱり来たの。ちょうどお昼を過ぎたあたりにね、ほぼ毎日、犬や猫が壁の穴を抜けて、奥庭に入ってきていたのです。


 壁伝いに近づいてそっと覗くと、イエンウィアが最初に会った時と同じように、犬や猫が群がる中に残飯が乗ったお皿を置いているのが見えました。

 

 不思議よね。自分の恋心に気付いた途端、姿を見ただけで心臓が強く脈打つのだもの。

 緊張で指先が冷たくなるし。それに、イエンウィアの一挙一動が輝いて見えました。動物を使って残飯処理をしているだけなのにね。

 本当、我ながらおめでたいというか、恋を病だというのはまさしくこういう事だと思いましたわ。


 声をかけるのも忘れて見惚れていると、しゃがんで猫を撫でていたイエンウィアが、突然ぱっと顔を上げたのです。

 目が合った時は、心臓が止まるかと思いました。

 イエンウィアも、そのまま固まっている私をしばらく黙って見つめていました。そして彼は、怪訝な顔をすると「……レクミラ?」と私の名を呼んだのです。

 

 私は壁の陰から出ると、特に乱れているわけでもないスカートの裾を直しました。名前を覚えてもらえていた事と、名前を呼んでもらえた事に、とても舞い上がっていたのです。


「ごきげんよう!」


 舞い上がりすぎて、挨拶が上ずってしまいました。


「何か御用ですか?」


「はい!」


 イエンウィアの問いかけに、私は大きく頷いてこう言ったのです。


「私を連れて逃げて下さいませんか!」



「あら皆さん、あの時のイエンウィアの顔と一緒!」


 レクミラが、手を叩いてカラカラと笑う。

 

 いつの間にか、聴衆席に若い神官が二名増えていた。どちらも、イエンウィアと交流が深かった者である。堅物で有名だった同僚の秘め事と聞いて、野次馬根性で輪の中に入ったようだ。

 

 呆気にとられて、ぽかんと口を開けていた聴衆席の面々であったが、その後何名かの口から、「はぁ~……」と大きなため息がもれた。

 賛美のため息ではない。嘆息である。


「あんたホントに落とす気あったワケ?」


 最も大きなため息をついたジェトが、胡坐の上に頬づえをついて呆れた眼差しを語り手に向ける。

 語り手のレクミラは、華奢な肩をひょいとすくめて恥ずかしそうに頬を赤くした。


「仕方が無かったのよ。その時は頭の中がお祭りみたいにドンチャン騒ぎだったんだもの」


「分ります分ります!」と、同じように頬を染めたライラが何度も頷いて同意する。


 普段、相棒の頭の中がお祭り状態である事を知ったアーデスは、今後とも職務に差し障りが出ない事を祈りながら、レクミラに比較的好意的な感想を述べる。


「よかったじゃねえか、逃げられなくて」


「逃げられたわ」


 はやりか。


 奇跡的に、聴衆勢の心の声が一致した。

 

 先の魔物戦では、レクミラに負けず劣らずの肝の太さを発揮してくれたイエンウィアである。しかし、知り合ったばかりで『自分を連れて逃げろ』と頼んでくる女性の前にいつまでも居るほど、ツワモノではなかったらしい。


「正確には逃げられそうになった、ですけれど」


 警戒心丸出しで後ずさるイエンウィアを目の当たりにして、盛大に失敗した事を自覚したレクミラは、慌てて弁明したという。


「先日の出来事でイエンウィアに心を攫われてしまった事と、父が私の意に反してお見合い相手を探している事をきちんと説明した上で、少し事を焦り過ぎたとお詫びしたわ」


 弁明どころか追いうちをかけたらしい。


「アタマ痛ぇ……」


 呻いたジェトがこめかみを揉む。


「その時、イエンウィアにはきっぱり断られたのですけれど」


 そう言ったレクミラは、悲しそうな笑みを浮かべた。


『やはりご結婚されているの?』

『いいえ』 

『恋人が既にいらっしゃるとか?』

『違います』

『では……私がお好みではないのかしら』

『それ以前に、告白前に自分を連れて逃げろと言ってくる相手を貴方ならどう思いますか』

『情熱的?』

『……』


 幾つかの質疑応答の後、イエンウィアは額に手を当て俯くと、考え込むように黙ってしまったという。

 価値観の違いだけでは片付けられないズレを、この時のイエンウィアは感じていたに違いないと、その場の誰もが心に思った。

 と同時に、どうやらこのレクミラという女性は天然ボケという類の人種らしい、という事実にも気付く。


 レクミラがイエンウィアの好みから外れていたという事はなかっただろう。イエンウィアを知る者なら、それは簡単に導き出せた。

 イエンウィアには女性の好みの偏りはなかったと思われたし、レクミラは、彼女を見たものであれば大抵が『美しい』と評価する容姿の持ち主だからである。

 ただ、気品も愛嬌も優しさも正義感も美しさも備わっているのに、このボケた性格一つが顔を出すだけで、上記の美点の全てをブチ壊すだけの破壊力を持っているは恐ろしかった。


 どことなく怪我を負ったような空気が、聴衆勢の中に流れた。

 だが幸いなことに、次にカカルが発した言葉で、その空気が幾分和むことになる。


「最初の質問で『はい』って答えなかったのが、イエンウィアさんらしいっすね」


「おお~っ」


 幾人かの聴衆がカカルの言葉に拍手を贈った。

 妻がいると答えればレクミラも諦め、そこで話は終わったはずである。

 レクミラも嬉しそうに目を細め、カカルの意見に同意する。


「そうね。とても誠実な人だった。だから私達、お友達にまでなれたのだと思うわ」





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